王の【狗】 17


  闇夜に浮かぶのは白い月とそれよりも大き目の青白い月、そしてその二つよりも小さい赤い月だ。月光は青白いそれで、深夜ということもあり辺りには静寂だけがあった。

 当然、人は寝静まり心地よい夢の中だろう。
 その静寂だけの世界で、ある宿の一室には窓から差し込む月光だけを頼りに、話をしている青年たちがいた。
 
「……あいつの命令か?」
「ああ」
 
 ベッドの端に腰掛けたオーディンの静かな問いに、向かいの壁に寄りかかったアルザスの抑揚のない声が答える。
 仕事の話をある程度して、食事を済ませた三人はそれぞれの部屋へと引き上げた。
 いつもならオーディンと白刃で一部屋なのだが、ここで問題が起きた。
 
 
『オーディン!女の子同室なんて、うらや…なに考えているんだ!?』
『今、本音が出たぞ。アルザス』
『いいから!シラハちゃんは別にしろ!!嫁入り前の年頃の娘だぞ!?』
『娘?この出るところが出てないヤツがか?』
『オーディン。吹っ飛ばすよ?』
 
 
 そのまま揉めた末に「ヤローと一緒の部屋で寝れるか」とオーディンがいい、結局、三人バラバラにしたのだ。
 
「珍しいな。お前に、とは」
 
 オーディンは揶揄を含んだように言う。アルザスが仄かに笑う。
 部屋に引き上げたあと、宿の者が寝静まったころを狙ってアルザスはオーディンの元を尋ねた。それは他人には聞かれたくない話があったからだ。
 
「騎士と魔法士が絡んでいるからな」
「はっ。騎士様も落ちたものだな」
 
 嘲笑にもアルザスは反応しない。ただ、空色の瞳に昏い光を宿している。
 
「こっちは驚いた」
 空色の瞳に月光が反射する。その透き通った双眸には何の感情も浮かんでいない。
 白刃がここにいたら驚いただろう。つい数時間前の彼とはまったくの別人といっても良いほどに、アルザスの空気は静謐で冷たい。
 
「裏でも噂になっている。彼の≪風の傭兵≫が祝福の姫君の加護を得た、と」
 
 お返しとばかりに含むように言ったアルザスを鋭い紫紺が射抜く。
 祝福の姫君とは間違いなく、世界の愛し子である白刃のことだろう。噂になるとは分かっていたが、加護とは大げさなと思う。
 
 加護―――≪世界の愛し子≫たちは周りの人間に祝福をもたらすといわれているため、彼らの伴侶や守り人と呼ばれる人間には世界の加護が与えられると考えられている。
 
が、オーディンは白刃のことを金ヅルもしくはただの歩く爆弾、災厄、もっと言えば疫病神のようにしか思っていないのだ。そんなことを言われても他人事にしか認識できない。
 それに彼はそういったものを信用していない。
 
 神も世界の加護も。
 それを信じるには彼の歩いてきた道はあまりにも残酷で泣き出したくなるほど無慈悲で険しすぎた。
 
 
 希望など、救いなどないのだと思い知らされるほどに。
 
 
「あいつはそういうのじゃない」
「ふーん」
 
 先程までの無表情はどこへいったのか、数時間前と同じような表情豊かなアルザスに戻り、意味ありげな笑みを浮かべてオーディンを見る。
 
「何だ」
「別に」
 
 どこか楽しそうに悪戯を企むような笑みを浮かべ、アルザスが壁から身を離しドアへと向かう。
 
「まあ、そういうことだ。よろしくな≪傭兵王≫さん」
「……ああ」
 
 そう肩越しに手を振りながらアルザスが部屋を出て行くと静寂だけがその場を満たす。
 ベッドに倒れるように横になったオーディンは目を閉じた。
 
 アルザス・ヴィルノ。
 
 五大国家の中の一国家であるシュスラーレ国が治めている土地であるシエラネバタ大陸は他の大陸の中では、三番目に大きかった。それゆえに国を統治するには各領地を治める貴族である領主が必要だった。が、その領主たちが善良だとは限らない上に何があるかわからない。―――ヴェスヴィオのような場合もある。
 同時に血を血で洗い流すような、裏切りと策略、戦乱の時代である【黄昏の時代】には他国の情報や侵略、自国の防衛や情報の流出も気をつけなければならなかった。
 
 そんな中で組織されたのは、王直属の諜報機関。
 
 王の足となり、手となり、耳となり、目となり国や歴史の裏で暗躍し、王を国を支えている闇に生きるものたちの属する組織。そして裏の世界では恐れられる組織の中の一つ。
 他の四代国家にもそういった機関があるが、シュスラーレの組織の規模は正確には把握されていない。
 王ですら、そうではないのかと言われるほどだった。最もそんなわけはないのだが。
 
 彼らは王の忠実な【僕】。
 
 絶対の忠誠を近い、膝をつき頭をたれた【感情なき騎士】であり、王の【影】。
 
 ゆえにシュスラーレの組織の者たちや組織はこう呼ばれる。―――王の【狗】、と。
 
 
 
 それがアルザスの属する世界だった。

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