王の【狗】 18


 翌日、宿の一階にある食堂におりるとアルザスがくつろいでいるのを見つけた。

 彼は白刃と目が合うとにこやかに笑う。
 
「おはよう。よく眠れた?」
「おはよう。うん。オーディンはまだ?」
「あー……あいつは…」
 
 気まずそうに視線を逸らしながら言うアルザスに、給仕に朝食の注文をした白刃は思い当たることがあった。
 
「ああ。色街?」
「うん。いや、うん、そうなんだけどね。…こう、もうちょっと遠回しな…」
 
 アルザスがなんとも言えない顔で言うのを白刃は苦笑した。
 
「だって、今まででもあったし。時々、その店で待ち合わせたこともあるよ」
 
 白刃が出された朝食であるパンをちぎりながら言った言葉に、アルザスが目を剥いた。
 
「はぁ!?」
「声、大きいよ。本当。二回くらいあったかな?別の時には、それらしいお姉さんに喧嘩売られたし。買わなかったけど」
 
 買わなかったのではなく、買う前にオーディンが止めた、が正しい。止められなかったら間違いなく魔力をぶっ放していた。
 何事もないように朝食を食べながら言う、白刃にアルザスが信じられないような目で彼女を見る。
 
「なんつーか…。シラハちゃん、それなんとも思わないわけ?」
「どうして?」
「どうしてって…店で待ち合わせとか、恥じらいとかってあるもんじゃないの!?」
「そうなの?」
 
 きょとんとしている白刃に常識をある程度持っている男は頭を抱えて知り合いの青年を恨んだ。
 こんな年頃の娘になにやらせているんだよという、なぜか父親のような気分になったアルザスは疲れたように椅子に寄りかかった。
 
「……はぁ。それにしても大変だな、記憶もないっていうのに」
「うーん。結構、楽しんでるよ?まあ、大変なのは大変だけど。魔法が上手く使えないってだけで、他は不便してない」
 
 
 そう不便などしていないのだ。
 実際に記憶がなくなっているわけではない。元々、なかったのだから。この世界での記憶は。
 
 それにと彼女は思う。
 
 オーディンは俺様で理不尽な面が前面に出ているが、結構、世話好きだったりする。
 でなければ、こんな厄介者、適当に守って最後に契約をとけばいいのだから。
 白刃に怒ったりする必要も、こちらの知識を教えるような真似をする必要はないのだから。
 
 
「魔法ねえ。オーディンは教えられないからなぁ」
「え?」
 
 アルザスがのんびりとした口調で零すのに白刃が驚いたような顔をした。
 
「聞いてない?」
「うん」
「まあ、いろいろあってね。あいつも。…そっかー。でも、それだけ魔力があるのにもったいないよなー。んー」
 
 笑みを浮かべて言葉を濁したアルザスに白刃はそれ以上、突っ込まなかった。
 
 
 誰にだって知られたくないことはある。
 そうでなくても他人に自分のことを好き勝手話されるのはいい気分ではないだろう。
 それに、自分は知る必要ないと白刃は思う。
 契約をとけばすぐにでも帰ってしまうのだ。
 
 
 深入りする必要はどこにもない。理由も―――ない。
 
 
「よし!!」
「うわっ!なに、いきなり」
 
 勢いのある声に白刃が驚いてアルザスを見る。アルザスが白刃を見て、にやりと笑う。その空色の目には面白がるような色が宿っていて、白刃は首をかしげた。
 
「簡単なのを教えてあげるよ。初級の風の魔法だけど、変態とか変態とか変態とかを追い払うときに便利なヤツだよ」
「本当!?ていうか、変態って…目の前にいる人みたいな?」
「こら、なに白い目で見てんの。教えてほしくないわけ?」
「ドウモスミマセン」
「心こもってないなー」
 
 棒読みで謝る白刃に苦笑しながらアルザスが簡単な魔法を教える。
 
「……て、やつかな。まあ、魔法ってイメージが大事だから、大掛かりなものじゃない限り≪式≫は必要ない」
「≪式≫?」
 
 疑問を浮かべた白刃にアルザスが説明する。
 
「魔法の基礎になるものが≪式≫。詠唱や物に描いたもの、全部合わせたものがこれ。で≪式≫をいつくか組み立てて≪陣≫にするんだ。それでその魔法が発動するってわけ。ま、使ってみてよ。そのときが来たらね」
「わかった。ありがとう」
「どういたしまして」
 
 白刃が微笑みながらお礼を言うににこやかな返事をしながら、一瞬、彼の目に刃にも似た光が走ったのに白刃は気づかなかった。
 

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