王の【狗】 22
その場所にはすでに人だかりができていた。街の人間だったり商人だったりと顔をしかめたりしている。
「切り裂かれて」
「物騒だねえ」
「魔法士の仕業か」
「酷い」
オーディンはその人ごみを掻き分ける。
焦っているのかなぜか気は急くばかりだった。
「いて」
「ちょっと!」
非難の声さえも聞こえない。野次馬を掻き分けて最後の一人をどけた先の光景の彼は目を疑った。
傭兵という職業柄、血や死体には慣れている。が、その場所は酷かった。
狭い家と家の間の路地には四人の男が呻き、苦痛の声をあげて倒れている。
体のいたるところが切り裂かれており、なんとか生きてはいるが、その凄惨な光景に拍車をかけているのが両脇の家の壁に飛び散った赤だった。
その光景のかなに、すぐさま紫紺の眼で周囲を見やったオーディンは見知った魔力の≪色≫を見出して言葉を失う。同時にそこからぷつりと魔力が消えていることに気づく。
氷解が胸に落ちる。脳裏に黒髪が過ぎった。
「どけろ!」
「野次馬は散った、散った!」
「下がれ!」
通りの向こうから騎士たちがやってきて野次馬に怒鳴ると彼らはさっと道を開ける。オーディンはその騎士たちの後方にアルザスを見つけて、他の野次馬たちと一緒にその場から離れる。
「オーディン。どうだっ…ぐっ」
向かってきたオーディンに気安く声をかけたアルザスはすぐさま近くの家の影になっている壁に肩をつかまれ、体を強く押し付けられて呻く。
目の前には色鮮やかで燃えるような紫紺。
「どういうことだ」
声はいつもと変わらないようだったが、どこか抑えるような響きがあった。それが怒りなのだとアルザスは察する。
「…西の市は連中がよく行く場所で、取引相手のつなぎ役と接触する場所だ。そこであの子をここにやれば食いつく」
「何だと?」
肩をつかんでいる手に力がこもる。
アルザスは何もしらない彼女を囮にしたのだ。
上手くいけばそれで元騎士や加担している現役の騎士を捕らえて、後は芋づる式に組織の連中や組織自体を引っ張り出せれる。
おそらくアルザスのことだ。それも見越して彼女に魔法を教えたのだろう。そして彼女はそれを身を守るために使った。
オーディンの苦虫をつぶしたような顔を見て、アルザスがつかまれていない方の肩を軽くすくめる。
「まあ、魔法を教えたのはどうなるか試したかったからだな。あれだけの魔力だ。興味あるだろう?ここまでとは思わなかったけどな」
オーディンの脳裏に少女の顔が浮かんで消える。
彼女は普通の少女だった。
この世界ではありえないほどに警戒心がなく、穏やかな、言ってしまえば平和ボケのような雰囲気を持つ―――ただ人より魔力の強いだけの普通の少女だった。
命のやり取りやいつ戦争が起こるかどうかもわからず、ましてや双黒という容姿からある程度の危機感を持っているはずなのに、そういったものを一切どこかに置き忘れてきたというほどに彼女は、警戒心がなく不注意で、よく笑い、驚き、怒る、どこにでもいる少女だった。そして人を疑うこと知らない少女だった。
魔法のまの字の知らずにこの世界に放り出された彼女はアルザスのことを何も疑わずに、魔法を教えてくれたことをただの好意だと受け取ったのだ。―――彼女の身を守るものだと信じて。
利用されているとは知らないで、市にあるものを見て楽しんでいたのだろう。いつかのように。
それが簡単に想像できると同時に湧き上がるのは、怒りだ。
「…貴様」
呻くような声にアルザスの顔から表情が消える。そこにあるのは王の【狗】と呼ばれる者の顔。
「使えるものは使う。それが例え普通の女の子でもな」
その瞬間、アルザスの目が見たのは銀の煌きとつめたい紫紺。
ぴたりと首筋にあわせられた剣にもアルザスは反応しない。ただ、内心では舌を巻いていた。背中にながれる冷や汗を自覚する。
目の前にある煌く、どこまでの鋭く睨みつける紫紺には確かな殺意がある。
「俺を斬っても意味はない。それにあの子は使い魔に探させている。心配ない」
淡々と語るアルザスをきつく睨みつけオーディンは剣をしまう。それにアルザスが嘆息した瞬間、眼前に星が散った。
ついでにがつんとした骨と骨のあたる確かな衝撃と痛みがおまけのようにほほに広がる。
「…ってぇ」
「当たり前だ。細切れにしなかっただけでもましだと思え」
空恐ろしいほどに冷え冷えとした声が、かがみこんだアルザスの頭上から降ってくる。どうやらほほを殴られたらしい。かなり本気で。
「俺のこの綺麗な顔が歪んだら、俺のことを好きなお嬢さんたちが泣くんだが」
「原型が分からないほどにして欲しいか?」
「それは全力で遠慮する。まずはつなぎ役の男に当たってみるか。そいつがよく行く酒場なら近くにあるしな」
「案内しろ」
そういいながらオーディンは灰色の外套をなびかせながら、身を翻した。
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