王の【狗】 24


 ぱちんと自分の頬を叩き、少女が勢いよく上体を起こす。その漆黒の双眸には暗い影はない。口元に浮かんだ笑みはいつものものだ。

「さて、いつまでもこのままって訳にはいかないか」
 
 一通りぐるりと部屋を見渡す。調度品などはなく武器になりそうなものはない。
 問題はと自分を拘束する手足の縄を見やる。
 
「……オーディンて、実は結構、すごいのかな?」
 
 青年が聞いたら鼻で笑って一蹴すること――――逆にアルザスや一般の人が聞いたら目を剥くか唖然とするか驚愕するようなこと――――を呟きながら白刃はブーツの中に隠していた小型ナイフを取り出す。ナイフといってもペーパーナイフのようなもので、いつ何がおきてもいいようにオーディンに持っていろと言われたのだ。
 
 白刃はオーディンが強いことは『知っている』が、実際に戦ったところを見たことはないから『識らない』のだ。
 
 そんなことを考えながら足の縄を切ると手首も切ろうかと思いナイフを向けるとぱちんと軽く弾かれる。
 
「これって魔具かな?」
 
 それなら力がでないのも納得できる。もっとも今は魔力を極力使うことは避けたかったから都合がいいといえばいいのだが。
 
「困るな」
 
 魔力が封じられていたりするとオーディンには白刃の位置が掴みにくいのだ。貰った魔具は粉々になった。あれはある程度、抑えるものだったからヴェスヴィオでも白刃の魔力がにじみ出ていて居場所がわかったのだ。
 
「どうにかするか。ん?」
 
 ふと頭に響く音。
 かすかに聞こえるそれは耳ではなく、直接、頭に響いている。
 
 白刃はそろそろとドアに近づき、そろりと開けて周囲をうかがう。
 廊下もほこりが被っていて窓からは薄い太陽のひかりが差し込んでいる。年季を感じさせる空気に肝試しにはもってこいだなと呑気に思う。
 
 再び音。
 
 ノイズというほどの不快ではない、切実な音。
 
 
「…いや、声……か?」
 
 呟きながら白刃はそのまま部屋を出て、廊下を右に歩き出す。そっちの方に何かがあると確信しながら。
 
 
 
***
 
 
 
「なんだと?」
「だ、だから!あんたらの言う双黒の女は知らねぇ!!ひっ」
「正直に言ったほうが身のためだと、まだ分からないのか?」
「待て待て待て!オーディン!!まだ聞きたいことがある」
 
 すでにもはやどこに目や口があるのか分からないほどに腫れ上がった―――一部が陥没もしくは変色している―――顔をした男の襟首を掴みあげるとアルザスが流石に慌てて止めた。
 
 これ以上やられては聞きたいことも聞けずに、男は最期を迎えてしまう。そう内心で半ば容赦のない知り合いに呆れながら男に向き直る。
 
「魔法士は?」
「し、知らない」
「知らない?」
「本当だ!大体が騎士のだんなと一緒にいるから、絶対にあいつといるはずだ!けれど、三日ほど前から姿を見てねぇんだ!!」 
 
 最後は涙交じりの懇願に近かった。
 アルザスはちらりとオーディンと目をかわし、男に向き直る。 
 
「商品を保管している場所は?」
「なんでそれを……」
「俺の仕事だ。言え」
「……っ…まっ、街の南のはずれにある、あばら家だ」 
 
 商品とは捕まえた精霊や『龍の涙』を指す。必ず運び屋が王都の組織の方から来ることになっているため、どうしても隠しておく場所が必要だった。
 
 男は自分の体だけでなく声が震えるのを抑えられなかった。
 ≪傭兵王≫であるオーディンも怖い。それ以上に目の前にいるオーディンよりも優男にしか見えない青年の目を見て、男の背中をつめたいものが駆け上がった。
 
 
 表情の抜け落ちたような、空色のどこまでも深い空洞。青年の仕事。
 
 そこから思い浮かぶのは―――その考えに行き着くと震えは増す。思考はやめろという本人の意思に関係なく動いていく。
 
 男は青年のような目をした連中を知っていた。彼らがなんと呼ばれているのかも。
 
 
 シュスラーレ―――この国に、王に、絶対の服従を、絶対の忠誠を誓った者たち。
 自らをそれらの僕とした、闇を駆ける者たち。
 
 
「あ、ああ、あんた。い、【狗】(いぬ)…」
 
 アルザスの唇が弧を描く。
 
「へぇ、知っているのか。……残念だな。言わなければ明日も朝日を見れただろうに」
 
 瞬間、空色の瞳に残酷な光が走った。それは男がみた最期のものだった。
 地面に倒れ、ぴくりとも動かない男を無感動に見下ろしていたアルザスがふいに顔を上げた。オーディンもそちらを見やる。
 
 ばさりと羽音が生じるとともに路地から見上げる狭い空から舞い降りたのは、アルザスの使い魔。
 使い魔を腕に止まらせ、しばらくしてアルザスがにんまりと笑う。
 
「わかった。基地にいる間諜にもそのことを伝えろ。一小隊ほど動かせと」
 
 そういうとまた使い魔が羽を広げ、空気に溶けるように消えた。
 
「シラハちゃんの居場所、わかったぜ」
「どこだ」
 
 間髪いれずに問うオーディンに笑みを浮かべながら告げる。その目には先ほどの見た者を呑み込むような空洞はなく、変わりに楽しむような色がある。
 その笑みにあまりいい思い出がないオーディンは嫌な予想が脳裏を掠める。そして、それは外れなかった。
 
「商品を保管している場所。南のはずれにある、あばら家だ」
 
 
 彼が胸中で、少女に毒づいたのは言うまでもない。
 
 

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