王の【狗】 25
オーディンが街の片隅で少女に毒づいたころ、当の少女は探検気分で自分を捕らえた連中がいるかもしれない屋敷の廊下を歩いていた。
目的ははっきりしている。
声が聞こえたのだ。
悲痛な。
諦めを滲ませた。
それでも切望する声が。
―――気づいて、と呼ぶ声が。
「こっちの方だと思うんだけどな。あれ?」
ぼそりと呟き、廊下の曲がり角から周りをうかがうために顔を覗かせると、すぐ傍のドアが開いているのを見つける。
誰か人がいるのか数人の男の声と女の声が白刃の耳に届く。
自分を連れてきた連中かと用心しながら壁伝いにドアまで近づき、耳を澄ます。
「例のものは?」
「いつもの場所に閉じ込めている」
「では、夜には出発できるな」
「ええ」
男の声に他の男の声がこたえ、それに女の艶やかしい声が返事をした。
三人かなと人数に検討をつける。
例のものとはなんだろうかと考えていると女の言葉に白刃は固まった。
「そういえば、あなたが見つけた双黒の小娘は?」
「ああ、珍しいからな。傍に置いてみてもいいが」
「縁起物だものね。わたしにくれない?新しく飾る人形がほしかったの」
「相変わらずいい趣味だな」
低い笑い声が響く。
白刃はまさに固まっていた。思考停止といったほうが良いかもしれない。
誰をどうするといったのだろうか。
以前、オーディンと出会ったころに白刃を物言わぬ人形のようにして売るといった魔法士がいた。
そのときの嫌悪や恐怖が思い出されて、すぐさまここを離れたほうがいいと判断した彼女は、次に聞こえた男の声に自分をののしりたくなったのだ。
「まあ、その双黒は盗み聞きが趣味らしいがな」
***
地方騎士の駐屯地の責任者で隊長である、もう引退しても可笑しくないほど年をとった男は目の前の青年二人に、部下たちに言わせれば厳しい顔を向けてうなった。
「つまり、何人か借りたいと?」
「そうだ」
シエラネバダ大陸に多い金髪に空色の瞳をもった青年は、その冷たい空色を責任者である壮年の男に注ぐ。
この駐屯地の地方騎士たちの人数は少ないが、治安が数年前まで悪かったこともあり、手だれが多い。部下を信用していないわけではないが。
「昼間の魔法士もいると?」
昼間、騎士崩れのチンピラが魔法士によって酷い傷を負わされていた。
青年の話によれば、王都で暗躍していた密売の組織の末端の構成員がこの街のはずれにおり、そこにその昼間の魔法士がいるとのこと。
チンピラとはいえ、街の人間に手を出したことに対してこの壮年の男は憤りを感じていた。
だが相手は魔法士。
魔法の威力から強い魔法士だと察していた騎士たちは、駐屯地にいる魔法士の階位を考えて手を出すべきかどうか悩んでいたのだ。
そこをアルザスは上手くついた。
構成員はこちらに引渡してもらうが、自分たちが魔法士を捕らえその身柄は地方騎士たちすなわち、ここの好きにしてもいいと。
もっとも、アルザスのいっている、魔法士は密売の連中に手を貸している人物で、昼間の―――白刃の起こした―――事件とはまったく関係ないのだが。
ちなみに、その怪我をしたチンピラたちは魔法士であるアルザスによって傷を治され、白刃に関することの記憶は曖昧にされている。
オーディンは口のうまいアルザスの後ろで、暮れていく町並みを見ていた。
相変わらず白刃の魔力は感じ取れない。
それに苛立ちを感じないわけではないが。
それよりも。
「引き受けよう」
「ありがとうございます。隊長どの」
「構わない。うちで起こったことだしな。では、よろしく頼みますぞ。【狗】の方、≪魔法士殺しの傭兵王≫どの」
瞬間、アルザスの空色の目に光が走る。
オーディンは、傭兵ということで侮蔑をその顔にあらわにし、自分を見ている壮年の騎士に視線をやることなくそのまま窓の外を見ている。
それに侮られたと思った隊長がオーディンに食ってかかろうとして―――絶句した。
自分に向けられた紫紺の双眸。
窓の外、暮れ行く空と夜が始まろうとしている空の境界の色。
空のように優しいのではなく、それは今まさに目の前の獲物を狩ろうかというような鋭い色を帯びているそれ。
大柄ともいえない青年の、自分の年から二十以上も離れた青年の発している気配に大将の背中を汗が流れる。
アルザスは自業自得だと隊長に冷ややかな思いを抱く。
≪傭兵王≫というのは一種の誉れ高き栄光の称号だ。それ以上にオーディンは史上最年少でその名を手に入れた。
国の、しかも地方騎士の、いくら治安が悪く、それなりの手だれの騎士たちの総司令官といっても、格が違う。
今まで歩いてきた道が違うのだ。
「いくぞ」
「ああ」
アルザスがオーディンを促し、部屋を出て扉が閉まるまで隊長である男はそのまま動けなかった。
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