王の【狗】 27


  白刃が口走った言葉はいたく二人の犯罪者の自尊心を傷つけたようだ。

 もっとも、「例のもの」や「閉じ込めている」、「がたいのいい、いかついおっさん」、「魔法士のおばさん」など、いかにも怪しい悪いヤツです的な会話から、今回アルザスがオーディンに依頼してきた仕事の相手だと思ったのだが、間違いなかったらしい。

 
 繰り出される剣を床に転がり、時には背を向けて逃げる。そんな中、図ったように頭上から飛来するのは氷の刃だ。
 
 それによって、左腕を軽く裂かれた。これだとオーディンに伝わっているかもしれない。
 
「ほら、どうしたの?その程度の封じなんて自分で解けるでしょう?」
 
 愉悦を滲ませながら、空中に浮かんでいるおばさん、もとい女はその優美な手をかざす。氷の刃が空中に顕れ、空気を裂くように飛来する。
 とっさに、玄関ホールに入って右側の部屋の扉が空いていたため、そこに逃げ込む。途端、閉めた扉に硬いものが突き刺さる音がして、古い扉はそれだけで部屋の中に倒れてきた。
 
「邪魔をするな!」
「あら?手伝ってあげているんじゃないの。お礼は言われても怒られるのは筋違いだわ」
「何だと!?」
 
 女の魔法に巻き添えにされかねないために下がっていた男が怒鳴り、女が嘆息する。
 
 
 元騎士だからだろうか。白刃が背を向けて逃げても男は剣を振り下ろさず、むしろ逃げ回る彼女を追いかけるだけだった。それに痺れを切らしたのか、それともおばさんと言われたのが相当、腹に据えかねたのか―――おそらく後者だろう―――白刃に氷刃を放ってきた。
 
 
 白刃は逃げるときに切りかかってこない男に、もしかしてでためしに背中を見せて逃げてみたのだ。予想通り男は切りかかって来なかった。それに男が元騎士だと知らない彼女は首を捻りつつ、女と口論している男の様子をうかがう。
 
 今なら、この魔具を壊せるかもしれない。
 
 実際、あの女の魔法士は自分で解けるだろうと白刃を挑発した。解こうと思えば簡単ではなくても解けるだろう。 
 それでも、彼女は使いたくないのだ。
 
 あの血の色が忘れられないから。
 
 
「とにかく、あなたが殺したあの男たちのようにしてあげるわ。わたくしをおばさん呼ばわりしたことを後悔するのね」
 
 その言葉に白刃が固まる。
 いつもならここで『おばさんだっていう自覚があったんだ』などと軽口をたたく彼女だが、今回はその言葉も出ず、思考も働かなかった。
 女は彼女のそんな様子に楽しげに嘲笑を向ける。
 
「あら?なあに、あなた。人を殺したことなかったの?」
 
 その言葉に白刃が女を睨む。
 
 今まで『人殺しはだめだ』、『剣や刃物を持っていたら即、警察行き』という倫理観や平和な社会の中で育ってきたのだ。
 しかも、一ヶ月前までは普通の、剣も魔法も扱ったことのない女子高校生だった白刃には人殺しなどというのは夢のまた夢だった。したくもないし、したことももちろんなく、人を殴ったりもなかった。
 
 防衛のために変態の急所を蹴り上げるなどはあったが。
 
 
 そんな少女の前でごく当然に、楽しむように語る女の態度は白刃にとって不愉快としかいいようがなかった。
 この世界では白刃のそれが甘いのだと言われても。
 
 オーディンに平和バカだと呆れても。
 
 それが白刃には許しがたいものだった。
 
 
「甘い子ね。よく双黒でありながら今までそんな考えで生きて来れたわね」
 
 白刃の様子にますます可笑しいといわんばかりに饒舌な女に白刃が口を開く
 
「…おい、おばさん」
「小娘。口を慎みなさい」
「おばさんにおばさんと言って何が悪い。あんた……最悪だね」
「ふふ。ほめ言葉としてもらっておくわ。まあ、その封じさえ解けないあなたにはそういうのが精一杯かしらね」
「解けるさ」
 
 そう強く言い、この世界で稀有な漆黒の目を空中に浮かぶ女に向ける。
 
「させん!」
 
 男が剣を振りかざし、向かって来る中、白刃は意識を集中させる。
 
 命取りだと、向こう見ずだといわれるだろう。
 オーディンは特に怒るだろう。
 
 それでも、許せない。
 
 目を閉じて、意識する。言葉をつむがずに。
 少女の纏う空気が一変する。
 
 女と向かってきていた男の顔色が変わる。
 
 風がないのに少女の黒髪がなびき、まぶたを上げたその向こうの漆黒に光が走る。
 
 瞬間。
 
 荒れ狂った風とは呼べない空気の圧力がホールを吹き荒れ、ついには屋敷全体を揺るがし、その辺り一体に響くほどの轟音を上げながら、玄関ホールを吹き飛ばしたと同時に屋敷を覆っていた結界が霧散した。
 
 
 
***
 
 
 
「なんだ!?」
「おーお、派手だな」
「………」
 
 まず地方騎士の大将が駐屯地前の広場で騎士たちに指示をだしているときに起こった轟音に即座に反応し、アルザスが口笛を吹くように手をかざしながら音のしたほうを見て、ちらりと隣にいる無言の友人を見やる。
 夜目にも鮮やかな、肩口までのざんばらな赤い髪はかすかな風に揺れ、紫紺の瞳には何の揺らぎもない。
 
 周りにいる地方騎士たちが畏怖や侮蔑、憧憬や嘲笑といったさまざまな視線を≪傭兵王≫を冠する青年にやるが、彼はそれに動揺するようなかわいい性格はしていない。
 むしろ戦いの前の高揚も戸惑いもなく、ただそこに泰然として、それでいて怜悧な周りを威圧するような闘気をまとっている。
 これが≪傭兵王≫と呼ばれる彼なのだとアルザスは知っている。
 
 ただ、いつもと違うのはと友人から視線を外して思う。
 今すぐに自分だけでもその場所に行きたいと思っているであろう、友人にアルザスは何も言わなかった。
 
 何も言わずとも青年が何を、誰を気にしているのか知っている。
 
 どれほどの焦燥を感じているのかを知っている。
 
 
 その怜悧で鋭い瞳も無表情と取れる顔からも察することはできないが―――体の横で握り締められた拳がすべてを語っていた。
 

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