王の【狗】 30 


 

「う…?」
 
 目を覚ましたときそこは闇だった。
 白刃は体に走る痛みに顔をしかめながら、身を起こす。そしてはっとして辺りを見回す。
 
「オーディン!?」
「ここにいる」
 
 返ってきたそっけない無愛想な返事。
 ぼと音を立てて、明かりである光球が現れる。それがオーディンの姿と周囲を仄かに浮かび上がらせた。 
 
「怪我は?」
「ない」
 
 立ち上がりオーディンを見上げながら問うと前と変わらない答え。
 思わず笑みが零れる。
 
「なんだ?頭でも打ったか?」
「失礼な。ありがとう…かばってくれて」
「お前に死なれると困る」
「そうだね」
 
 オーディンがそう言うと分かっていても白刃はお礼を言いたかった。
 たとえ契約のためであっても。
 その気持ちが嬉しかったのだから。
 
「ここは?」
「地下だろうな」
 
 オーディンが、炎が届く周囲を見回し呟くのを横目で見ながら白刃も辺りを見回す。
 どうやら地下の洞窟に落ちたらしく、ごつごつした岩や高い天井からは鋭くとがった石が下を向いている。
 
「どう外にでるかだな」
「…なんか、聞こえない?」
 
 先ほどから感じている違和感に口を開く。
 
「…………一応、頭は庇ったんだが」
「真面目に聞け!」
 
 嘆かわしいと言うようにため息をつくオーディンに白刃が思わず叫ぶとはっとして辺りを見回す。
 
「…こっち」
「おい!」
 
 走り出した彼女に舌打ちをしながらオーディンは追いかける。
 
 結局は、彼女一人に振り回されていることに腹を立てながら。
 
 
 
***
 
  
 
「こんばんは。レディ」
「こんばんは。魔法士さん」
 
 にこやかな微笑みを交し合うのは場所が場所なら手を取り合い音楽に身を任せ踊ったであろう二人は、魔法を、氷刃と焔刃をぶつけ合う。
 
 周囲には他に地方騎士たちが密売に関わった傭兵やチンピラたちを追い詰めている。
 アルザスや地方騎士の大将は屋敷を入るとそこに女の魔法士、リスティーと床にあいた大穴を見た。そこで、奥から現れた傭兵とチンピラたちとの混戦になり、アルザスはリスティーの相手を受け持ったのだ。
 
「ここに不機嫌で憎たらしいほど俺様な男が来なかったか?」
「あら。どうかしら?」
 
 リスティーは言いながら二重の≪式≫を展開させ、≪陣≫を組んで光の刃をアルザスへと放つ。アルザスは顔色を変えることなく、結界をはってそれを防いだ。
 
「それじゃあ、別の質問。……≪龍≫はどこだ」
 
 リスティーは息をつめる。
 どこまでも深い空洞の、空色の双眸が冷たく鋭く、射抜く。
 
 その空洞に、否、空虚に、彼女は恐怖した。
 感情も思考もなにもない。ただの人形がそこにいた。
 
「…さあ、なんのことかしら?」
 
 なんとか平静を保っていったものの言葉が震えているのが自分でもわかった。アルザスは唇の両端をあげ、笑みを貼り付ける。
 
 途端に湧き上がる魔力。
 
 リスティーは今度こそ顔色をなくした。
 
 アルザスの服、上着の襟元からのぞく刻印は【番犬】の証。
 驚愕と恐怖に固まる女にアルザスは短剣を構える。そして、嗤った。
 
「さぁ、吐いてもらおうか」
 
 瞬間、≪式≫も≪陣≫も組まず放たれた炎の玉は女に直撃した。
 
 
 
 ***
 
 
 
 白刃は頭に聞こえるおぼろげな声、というよりは音にしたがって足を進める。オーディンは周りに気を配りながらその横を歩いている。
 仄かな明かりにともされた少女の横顔はいつもの幼い彼女のそれではなく、双黒という珍しい外見もあってかどこか幻想的な空気を帯びている。
 少女のいつもの破天荒な行いと今の少女とを比べて、いつもの方がまだましだとオーディンは胸中で嘆息した。同時に不思議に思う。
 
 ついこの前までは傍にいることも口を聞くことでさえも、わずらわしくてしょうがなかったというのに。
 
 ぬれたような、煌く黒い双眸。
 胸に走った熱い痛み。
 刻まれた刻印。
 
 埒もないことを思い出したとオーディンが頭を振ったとき、白刃が止まった。
 目の前には重厚な、オーディンの身長の三倍、ざっと五メートルはありそうな石の扉があった。
 
 表面には優美な彫刻が施してあり、丁度真ん中あたりには上の屋敷に住んでいた人間の家の紋章らしきものが彫ってある。
 
 一流の職人の作り上げた芸術品のようなそれを白刃は見上げる。
 
「開けれるかな」
「壊すか」
「え!?」
 
 驚きに声をあげ、傍らをみるとオーディンはすでに明かりを灯していない方の手をかざしていて。
 
「待っ、うわっ」
 
 轟音とともに上がる土煙。
 大きな穴の開いた石の扉は、最初見たときの芸術品もかくやという姿はどこへやら。
 
 入っていくオーディンの後を追いながら、やっぱり自分よりもオーディンの方が物騒だと思いながら、視界に広がった光景に彼女は目を剥いた。
 

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