王の【狗】 32
「無事で何よりだよ。白刃ちゃん」
にこやかに声をかけてきたのは金髪に空色の目を持ったアルザスだ。
白刃は剣を抜こうとしているオーディンをなだめながら、彼の丁度、後ろにいるのであろう彼に声をあげる。
「無事だけど、無事じゃないから!現在進行形で命の危機にさらされてるから!!」
「わめくな。安心しろ。一瞬で終わらせてやる」
「安心出来るか!!」
「大丈夫だ。そういうのは得意だ」
「大丈夫じゃないわ!!」
「…………なんつーか、二人とも仲良いねぇ」
「良くない!!」
「頭は大丈夫か?」
「…………」
二人の息のあった返答になんとも言えない顔になるアルザス。
一方、一通り気が済んだのか白刃きょとんとアルザスを見て、オーディンは剣から手を離し、すでに我に返った騎士たちが傭兵やチンピラたちを捕らえているのを見やる。
「おい。忠犬」
「なんだよ。自己中野郎」
「…………」
「…………」
「オーディン、剣を抜くな!アルザス、目笑ってないから!!」
やけに寒々しい空気を纏わせた二人の間で白刃が慌てて叫ぶ。そんな三人に近づいてきたのは、大将である男だ。
「ヴィルノ殿。よろしいか?」
「ああ」
大将が報告する内容にアルザスがうなずく。その様子をオーディンとアルザスの隣で見ていた白刃は、腕の中にいる存在に視線を落とした。
弱弱しい呼吸はまさに瀕死のそれだったが、腕から伝わってくる鼓動はしっかりしている。これだと、無理をしたかいがあったと言うものだ。
白刃は薄く微笑み、後片付けをしている騎士たちを見ていたオーディンを見上げる。
女の魔法士、リスティーが言っていたのは何のことなのか。それを聞きたくても彼女は躊躇していた。
そう簡単に触れられるようなものでもないとわかっている。
それでも気になるのだ。
なぜ、嫌っているのか。憎んでいるのか。
憎んでいるのなら。
なぜ。
契約を交わしたときの、燃える紫紺と向けられた殺気が脳裏に蘇る。
なぜ、自分を。
くらりと視界が揺れた。
「あ…れ……?」
言葉はなぜかかすれて聞こえた。
どうして。こんなに、世界が回るのだろう。
狭くなりかすれていく視界の中で、最後にいつかのように伸ばされた手をみた。
崩れ落ちた双黒の少女を抱きとめ、オーディンは彼女が抱いている布を一瞥してから華奢な体を抱き上げる。
「オーディン。どうした?白刃ちゃんは…」
「気にするな」
倒れるところを見ていたのだろう。アルザスの後ろから大将が駆け寄ってくるのを見ながらそっけなく答える。
「よかったら、宿舎の一室を貸そう。そちらの方が≪祝福の姫君≫にとってはいいだろう。こちらも歓迎する」
「断る。宿を取っている」
そのまま踵を返すオーディンを大将が道をふさぐようにその前に立つ。
「しかし、街に行くよりも屯所の方が近い。なにより魔法士もいる。怪我をしているのならそのもの達に治療を頼めばいい」
オーディンは大将の視線が時折、腕の中にいる少女に向けられていることに気づいていた。
それは稀有な色を宿した彼女が今まで幾度も嫌ってきた視線だ。
好奇な目であったり、あからさまな欲望を宿した視線。
魔力の強い彼女を庇護し、敬えば≪加護≫が得られると思っているのだろう。
かつての≪世界の愛し子≫から≪加護≫を得た『白銀の皇(はくぎんのおう)』のように。
利用する気がありありと見える大将にアルザスが口を開こうとする前に、オーディンがそっけなく告げる。
「必要ない。これのことはアルザスが話したはずだ」
苦虫を噛み潰したような、悔しそうな顔をした大将を冷たく一瞥して、オーディンはそのまま歩き出す。その時、背中に向けられたのは明らかな侮蔑の言葉。
「…卑しい、小汚い傭兵風情が」
それにオーディンはうっすらと嘲笑を浮かべて振り返ることなくその場を後にした。アルザスは友人の背中を見送り、大将へと声をかける。
「まあ、大将さん。とっとと片付けてしまおうか」
「よろしいのですか?彼の少女をあのような卑しい【魔眼】(まがん)の末裔に預けても」
大将はアルザスをみて再び硬直した。正確には、空色の目を見て。
「何か問題があるのか?」
抑揚のない腹から響くような低く冷たい声。
彼の眼光や纏う冷たく刺すような殺気は大将の肌を刺し、周囲には張り詰めた、指一本も動かせないような緊張感が漂う。
アルザスは冷ややかな目を動けず顔を真っ青から白くしている大将からはがすと興味が失せたようにきびすを返し、自分の仕事をするべく傭兵たちを縛りあげている騎士たちの方へと向かった。
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