哀しい望み 35
白刃が目を覚ましたのは結局、アルザスが報告に来てから半日たってからだった。
「…か、体が痛い」
ベッドの上でぎしぎしと音を出すかのようにぎこちなく白刃が身を起こす。
本当に痛い。体の節々が。主に筋肉のついている部分が。
「当たり前だ。それに懲りて今度からは加減しろ」
「オーディン……」
呻いていると声のした扉の方をむくとオーディンが部屋に入ってきたところだった。そして、彼の腕に抱かれていたものが動き。
「ぶっ」
突然、視界がさえぎられる。
べちょっと音がしそうな勢いで彼女の顔面に向かって飛んできたのは小さな白い物体。
「色気のない叫び声だな」
「悪かったな!」
文句を白刃が引き剥がすと綺麗なくるくるとした大きな碧い目と目が合う。呆れた視線を送るオーディンを見る。
オーディンは嘆息した。
「お前が助けた『龍』だ」
彼の視線の先、白刃の両手に抱かれているのは白い毛並みに白刃の両手にすっぽりと収まるほどの大きさの碧い目の小動物。
「……まったく龍の中でも希少な種だぞ。そいつ」
龍の中でも珍しい『白竜』は、他の竜に比べて獰猛でないにしても、飽くまで他の竜に比べてだ。人と比べれば格段に獰猛な種に入る。
そんな竜は時に人を襲い、人によって迫害されてきた。そして、その数を減らしていった。
はるか昔には人と契約を交わす竜もいたが、今では竜自体の数が減っているため、その姿を見ることはない。その減少している竜の筆頭が『白竜』だ。
≪世界の愛し子≫である白刃に希少な『白竜』。
どちらも希少中の希少。
天然記念物が二倍。つまりオーディンの心労も二倍という図式が出来上がる。
どうしてこう厄介なものを増やすんだお前はと胸中で毒づくオーディンをよそに、白刃は龍を見ている。
「か…」
「か?」
「かわいいっ!!」
感極まったような叫びにオーディンは頭を抱えたくなった。
「オーディン!」
「なんだ」
疲れと理不尽な怒りが声に出る。その低くなった声に彼女は動じなかった。
「この子、連れていったらダメ!?」
「却下」
即答だ。叫ぶ白刃。
「なんで!?」
「と言いたいが、お前の傍を離れないだろうな、そいつは」
「え?」
困惑する彼女にオーディンはいつもと変わらない態度で続ける。
「お前が無意識に魔力を分け与えていたから、そいつはお前の魔力によって生かされた。それはある意味、≪契約≫だ。つまりそいつはお前の使い魔になったんだ」
実際にお前の傍を離れようとしなかったからなと忌々しげに続ける。
「じゃあ、一緒に連れて行っても」
「そういうことだ」
白刃の顔が明るくなり、白い体をその腕に抱きしめる。
オーディンは嘘は言ってない。
本当は≪契約≫はしていないが、実際に白竜は彼女の傍を離れなかった。それどころかオーディンが近づけば、のどを唸らせ威嚇をする始末。
竜は人と契約するとその主を重んじ、どんなものからも主を守ろうとする。自分の身を犠牲にしても。
そういった、受け入れたものに対してだけだが、龍は思い入れの深く、慈愛に満ちた生き物だ。
だから自分を助けた白刃を守ろうとするのは当然といえた。
それに白刃の傍に彼女を守る番犬には丁度いいと彼は考えたのだ。それはひいては自分の命おも守ることにつながるのだから。
これからの道のりも安全とは言えないのだから。
同時にアルザスに会いに行ったときのことが脳裏を過ぎった。
***
「どういうことだ?」
駐屯地の隊舎の一角、アルザスに割り当てられた部屋にオーディンが尋ねてきたのは昼前のことだった。
訝しげにオーディンがアルザスを見る。
「足跡が消えてる。魔力の残滓もない。つまりお手上げってことだ」
「お前でもか」
「ああ。どうやら密偵のような真似は得意らしいな。あの魔法士は」
声に苦々しさが滲む。
アルザスは駐屯所の隊舎の一角をあてがわれ、そこで報告所や事後処理などをやっていた。そこに呼び出されたオーディンが来て聞いた話は―――魔法士の、リスティーの消息が途絶えたというものだった。
「どうする気だ?」
「まあ、ここの大将に渡す気はないからな。見つけたら好きにしていい」
声に感情はなく、淡々としたアルザスにオーディンは窓の外を見ていた視線をやる。
「策は?」
「ない。が、お前のところに現れるんじゃないかって思ってる」
「根拠は?」
「白刃ちゃんを人形にしたがってたのに邪魔されたから」
オーディンの眉が寄る。不快だと言わんばかりに。
「いい趣味だな」
オーディンの言葉にアルザスは昏く笑った。
弱っている彼女を捕らえるのは簡単だ。リスティーは造作もなくやってのけるだろう。
けれど、それは彼女が一人の場合。
捕らえることは出来ない。
なぜなら、彼女と≪契約≫をしている彼が放っておくはずはないのだから。
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