哀しい望み 37


 「…だから、お前はお人好しだと言うんだ」

 宿から出たオーディンはそのまま大通りへと出る道を急ぐ。彼の前を淡い緑の燐光をまとった蝶が飛ぶ。それを彼は追う。
 
 こぼれた言葉は先程の白刃のお礼にたいするものだった。
 お礼を言われるようなことはしていない。むしろ釈然としないものを抱えているオーディンとしては、お礼など言われないほうがよかった。
 
 大通りに出ると、可笑しいほどの静寂に満ちていた。
 生き物の気配が、ない。
 
「リスティー」
 
 大通りに出たオーディンと対峙するようにいたのはかつての色街にいた女であり、今回の密猟の件で捕まったにも関わらず、逃亡した魔法士だった。
 リスティーの差し出した手に蝶が止まり空気に溶けるように消えた。緑の燐光の残滓がリスティーの身を飾る。
 彼女の結界に取り込まれたことをオーディンはわかっていたが、それを別段、焦ることはなかった。
 腰にある長剣をの柄に手を添え、相手に決して友好的ではない視線をやる。ただ自然に立ち、冷めた視線をやる男にリスティーが笑みを浮かべた。
 
 瞬間、周りの風景が一変する。
 
 二人がいるのはうっそうとしげった森の中。それでもオーディンは特に動揺しなかった。
 ほこりや泥に汚れていても美しい女はその傷ついた手をオーディンへとかざす。
 
「わたしの邪魔をした罰よ。ねぇ、≪魔法士殺し≫さん?」
 
 その緑色の瞳に光が走ると同時に氷刃が彼に向かってくる。が、オーディンそれを風の壁で弾いた。同時にリスティーに向かって踏み込む。
 
「くっ」
 
 弾かれ氷刃のかけらが自分に向かってくるのに悔しげに唇をかむ。そして息をのむ。
 目の前で一閃した銀色の煌きをすんでのところで交わし、すばやく≪式≫を組み≪陣≫を張り巡らせ、炎と風の刃を放つ。
 
 オーディンは炎と風の魔法を無造作に斬り消し、そのまま彼女へ刃を走らせる。防護結界に触れた瞬間、結界が霧散し、無慈悲に自分に振り下ろされる剣をリスティーは、紙一重でかわす。
 
 彼女は内心で戦慄した。
 
 今まで魔法士として剣士と戦ったことのある彼女は侮っていたのだ。所詮は剣士だと。魔法の前にはその身を焼かれ、切り裂かれて終わるものだと。
 ただ、目の前にいる男は魔眼をもっているのに過ぎないのだと。
 魔剣を持っているに過ぎないのだと。
 
 それをここにきて彼女は理解したのだ。
 
 彼は≪傭兵王≫。
 
 
 
 彼は―――≪魔法士殺し≫だということを。
 
 
 
 オーディンは一瞬で女の懐に一気に入り、剣を振るおうとして飛びのくと、彼がいた所に雷撃が落ちる。
 リスティーは舌打ちをし、ふいに笑みを浮かべた。それにオーディンが眉を寄せる。
 
 あまりにもその笑みは不自然だったから。
 
 その嫣然とした喜びを表すような笑みは。
 
「ねぇ、オーディン」
「なんだ。降参か」
「あの子に話さないの?全部」
 
 ぴくりと彼の剣を持つ手が動く。その紫紺が細くなる。
 
「…盗み聞きか。いい趣味だな」
 
 オーディンの吐き捨てるような声音にくすくすとリスティーが笑う。
 
「魔眼をもった一族がどこにいたのか。どうして…」
 
 リスティーがオーディンの後ろへと転移し、言いながら炎を放つ。
 
「あなたは魔法士を憎むのか」
「よくしゃべるヤツだ」
 
 炎を剣で斬り、冷ややかな怒りを宿した声を発したオーディンの片手にある短剣を振る。短剣が女のわき腹を裂く。それに構わず、腕に剣を走らせた。
 
「あぁぁああぁぁぁあ!!」
 
 女の悲痛な声が森や廃墟と化した屋敷に反響する。
 オーディンは肘から下を切り落とされた腕を押さえ、腹部を赤く染めたうずくまるリスティーを感情のない目で見下ろす。
 
「何か言い残すことはあるか?」
 
 剣の切っ先をリスティーに向けると、女は呼吸を落ち着かせ、青白い顔を上げた。
 緑の目が狂気を宿して煌く。
 オーディンは本能の導くままに剣を振るい、瞬間、その場に閃光と爆発が響いた。
 
 
 
 
 眠っていた白刃ははっとして目を覚ました。周りを見渡し、自分がいるのが宿の部屋だとわかりほっと息をつく。
 白刃のベッドの近くにあるサイドテーブルの上で眠っている白竜を見て微笑み、隣の無人のベッドを見て、訝しげに眉を寄せた。
 窓の外に視線をやり、予感めいたものを感じながら呟く。
 
「…オーディン?」
 
 
 
 
 土煙が収まったとき、ほぼ重なり合っていた人影が二つに別れ、一つが地面へと倒れた。
 リスティーが苦しそうに呼吸をし、顔を苦痛に歪ませる。
 
「わたし…ね、あ、なた…に、殺さ…、っかったの」
 
 あんな暗い場所で、死よりも辛い責め苦をうけるくらいなら。
 
 彼の手で死にたかった。
 
 そういって満足そうに微笑む。
 オーディンは何も言わず微笑む女を見下ろしている。その目には何の感情の揺らぎもない。
 
「ふふ…さよ、なら。…よう…い、おう…さん」
 
 緑の瞳から光をなくした女は、そのまま何も言わなかった。
 オーディンは剣を鞘に戻すと、静かに森に溶け込むようにその場を後にした。
 
 

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