哀しい望み 38 


  気持ちよく、まどろみの中にいた彼を邪魔したのは人の気配と嫌な予感だった。

 
「…き…の?」
「…う…んだ。めず…し…。…う…よう…」
「じゃ…こいつに…せ…ら?」
「え!?」
 
 驚くような焦った少女の声に覚醒が促され。
 
「よし!行け!!」
 
 よく知っている男の声に考える前に体が反応していた。
 
 飛び掛ってきた白い物体を寝ていたベッドから跳ね起きて避ける。同時に、枕の下に隠していた短剣を、目を丸くしている黒髪の少女の隣にいる金髪の男へ投擲する。
 金髪の髪の数本を犠牲して短剣が鈍い音と共に壁に食い込む。
 
 室内を支配するのは静寂。
 
「………」
「………」
「………」
「…オ、オーディン?」
「起きたのか。おはよう」
「………」
 
 白刃が恐る恐る口を開き、アルザスはにこやかに微笑む。オーディンの眉間にはしわが寄っている。
 彼は白刃たちから視線を外すと、ベッドのシーツに埋まっている白い物体の尻尾をわし掴むと白刃に向かって投げた。
 
「このチビをちゃんと躾けろ」
「わっ!危なっ!って、チビじゃないってセイだよ」
「セイ?」
「そ。セイ。本当はもっと長い名前なんだけど、あたしの故郷とは別の国の古い言葉で『光り輝くもの』っていう意味」
「ふーん」
 
 白竜を自分の目線ほどに持ちあげて言う彼女にオーディンはそっけなく反応をした。
 
「あれ?白刃ちゃんって記憶ないんじゃ……」
「とっ、ところっどころね」
 
 白刃が動揺しながらしどろもどろに言う横で、オーディンがそっとため息をつく。アルザスはしばらく白刃を見下ろしていたが、ふと笑うとオーディンへと視線をやる。
 
「これからどうするんだ?」
「まずは、フェゼルに向かう。そこで転移門を使って、一気に王都にいく」
「そうか。じゃあ、ゾルテを通るな。今の時期だと『華謡祭』と被るかもしれないな」
「かようさい?」
「そ。ゾルテならではの祭りさ。これは見たほうがいいと思うよ。いいものが見られる」
「いいものか?」
「いいものだろ?酒飲んで、きれいなお姉さんはべらして、やりたい放題できるんだぞ?」
「………」
「………」
「あ、なんだよ!オーディン。そこでため息つくなって白刃ちゃん、なにその冷たい目!」
「……いや、なんか…ねぇ?」
「いつものことだ。ほっとけ」
 
 白刃がなんともいえない顔をし、オーディンは完全に呆れた目を向けながら、アルザスに向き直る。
 
「で、お前は何をしに来たんだ?」
「そうそう。ちょっと白刃ちゃん借りていい?」
「へ?あたし?」
 
 指名された白刃はきょとんとし、オーディンはアルザスの目を真っ直ぐに見る。一瞬、彼の目に警戒の色が過ぎったのを見てもアルザスは笑みを浮かべるだけだ。
 
「好きにしろ」
「じゃあ、行こうか」
 
 白刃の手をとりエスコートするアルザスに戸惑いながら、オーディンを見ると彼は再びベッドへと入るところだった。
 セイは白刃の右肩に大人しく乗っている。そこが定位置と決めたようだ。
 
「いいところがあるから案内するよ」
「そうれはどうも」
 
 そして扉を閉めようとして、彼女は小さく呟いた。
 
「…いってきます」
 
 なぜか拭えない不安のようなものを宿して―――扉を、閉めた。
 
 
 
 
***
 
 
 
 
 宿から出るとそこは人々で賑わっていた。
 
 露店の店主たちの大きな声や着飾った少女たち、もしくは値切りをする女性や商人、旅人の姿が見受けられるなか、白刃とアルザスはしばらく歩いて広場にでると一軒の喫茶店らしき店に入った。
 中はやわらかい雰囲気のつくりで天井は広く、かわいらしいカーテンや家具は女の子が好きそうな感じだった。
 二人は広場を見渡せる、外のオープンテラスになっている場所の一角に向かい合わせで腰を下ろす。
 ちなみにセイは白刃の足の上で目を閉じて、丸まっている。
 
 白刃は先程から感じる視線に眉を寄せる。
 その視線の元凶は目の前にいる甘い笑みを浮かべた男なのだが、その本人はわかってやっているのだろう。笑みを絶やさずにいのは白刃にとっては嫌がらせだ。
 目立ちたくないのになあと双黒であるがゆえに視線を集めている自分のことは棚に上げておく。
 
 白刃が注文したのはあっさりとした柑橘系の飲み物とケーキ、アルザスは普通のお茶だけだ。
 
「白刃ちゃん」
「ん?」
「俺さ、君に謝らないといけないんだよね」
「は?」
 
 白刃は意味がわからないというようにケーキを口に運び、眉を寄せる。アルザスはカップを置きながら苦笑した。
 
「君が攫われたのは、俺がそう仕向けたからだ」
「………え?」
 

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