道化たちの宴 44


 

 深い場所に落ちていく。
 水の中に漂うような感覚。
 自分の輪郭が曖昧になる。
 溶けてゆく。
 同化して、固形になりそしてまた溶けて。
 そこでいつも見るのは差し伸べられたあの日の優しい手なのだ。
 
 
 
 まぶたを開けるといつものような奇怪な子供むけなのだろう―――子供が見たら大泣きをして絶対にここには来ないような―――玩具が空中に浮かびくるくると回っている。
 
「お疲れさまです。気分はどうですか?」
「……吐きそう」
 
 白刃の述懐にヴィヴィラードの傍にいた魔法士がいつもの如く慌てて器を取りに部屋を出て行った。
 
 
 
「…し、死ぬ」
 
 ≪契約≫の魔法の解呪は彼女が思っていたよりも壮絶だった。
 ただ、寝台に横たわっているだけでいいのだが、その間に行われる≪陣≫の解読には本人への影響がすさまじく、いつも解読や≪陣≫の表層を見たりするだけでもその後の反動は体に多くの負担を強いた。
 
「大丈夫ですか?今日は休みますか?」
 
 ヴィヴィラードのための部屋、そこにあるソファにだらしなくぐったりと横たわった白刃にヴィヴィラードは心配げな表情を浮かべる。
 それに苦笑しながらも白刃は首を横に振った。
 
「大丈夫。…少し休んだら昨日の続きをお願いしていいですか?」
「じゃあ、勉強は午後から始めますです」
 
 ヴィヴィラードは顔色の悪い彼女を見ながらうなずく。その表情には気遣う色があって白刃は苦笑した。
 
 ≪束縛の契約≫。
 
 それが白刃とオーディンの間に交わされてしまった契約だった。
 それを解いてもらうために彼女たちは王都を目指していた。王都、王城にいる魔女であるヴィヴィラードに頼めばこの契約はすぐさま解呪できるはずだったのだが―――誤算が生じた。
 
 ≪束縛の契約≫の≪陣≫が複雑で入り組み、白刃の内側、深層つまり魂と呼ばれるような領域の一歩手前まで踏み込んでいたのだ。
 命と命をつないでいるのだから当然ともいえるが、それが魂となると下手をすれば魂の消滅もありえるこの事態に、ヴィヴィラードは少しずつ≪陣≫を解いていく方法をとった。
 
 それは白刃に大きな負担をかけるものだったが、彼女は即座に迷うことなくうなずいた。
 それを後悔はしてないけれど。
 
 白刃の肩に乗っているセイが鼻を彼女の首筋に押し付ける。
 元気をだしてか大丈夫といっているように。
 白刃は微笑みながら優しくその体を撫でた。
 
「オーディンが知ったら怒るかな」
 
 セイは当然だというように鼻を鳴らす。それが可笑しくて白刃はかすかに笑い声をあげた。
 ヴィヴィラードは奥の部屋に行って≪陣≫の解析をしている。
 白刃はそれまでに目の前に並べられた果物をつまんでいた。
 普通に食事をすると解呪によって吐いてしまうことが多く、それだと食べたら食べた分だけもったいない気がして彼女はあまり食べないようにしていた。
 
 解呪を初めてその日で丁度、一週間、白刃は自分の体に負担を強いていることのもろもろをオーディンには伝えていなかった。
 
 
 
 
*   *   *
 
 
 
 
「オーディン。その怖い顔はどうにかならないかい?」
「いつもこの顔だ」
 
 穏やかな声に淡々とした、知っているものが聞けば不機嫌だと分かる声が応じる。
 王の補佐官はその会話に慣れたようで初めて聞いたときのように目を丸くして固まることはなかった。
 
 王城の一角。太陽の光がふんだんに入り風通しもよく、大きな窓からは城下の街並みが一望できるその場所はシュスラーレ国国王の執務室だった。
 大きな窓を背にして重厚な執務机に向かって書類を見ているのはシュスラーレ国第二十五代目国王陛下である青年だ。
 
 名はユリウス・フォン・マティニアス・レギン・シュスラーレ。
 
 輝くような銀にも見える金髪に翡翠のような双眸を持った穏やかな空気をかもし出すこの青年が外見どおりの優男でないことをオーディンは知っている。
 十年前に起こったシュスラーレ国の内乱で彼は実の叔父を殺して玉座についたのだから。
 
「会いに行かないのかい?」
 
 誰にと聞かなくても分かるのが気に食わないオーディンは眉間にしわを寄せた。
 
「必要あるのか」
 
 突き放すような返答にユリウスは苦笑した。
 
「嫌われてしまうよ?」
「それを俺が気にしないといけないのか」
「君は変わらないね。奥さんが出来ないよ?」
「二十五歳のお前に言われたくない。さっさと結婚しろ」
「うーん。ほら、僕、変わってるから」
「変人の間違いじゃないか?」
「それはそれでいいよね。嬉しいかも」
「……喜ぶな変人が」
「あれ?オーディンなんで疲れてるんだい?」
 
 補佐官である男は書類を片付けながらこの国王と護衛である≪傭兵王≫の珍妙なやり取りをどう止めるか迷っていた。

 


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