「さて、昨日の復習から行くです」
「はーい先生」
「先生ではなく師匠です」
「はい、師匠」
どちらともなくくすくすと笑いあう。
ヴィヴィラードと白刃がいるのは城内の上の階にある少し小さめの庭園、その中にある東屋だ。
石の円形のテーブルの上には、分厚い年季を感じさせる魔法書が広げられている。
いざ、魔法を習おうとしたとき、まず困ったのは文字が読めないことだった。
それに思い至ったときの白刃の境地はもはや谷底のどん底に落ちたようなものだったのだが、ヴィヴィラード曰く『感覚で覚えてもらったほうがいいと思うです』という鶴の一声で、どちらかといえば実践に近いやり方で現在、教わっている。
「まず、目を閉じて、ゆっくり深呼吸をするです」
白刃がその通りにしていくのを横目で確認しながらヴィヴィラードはゆっくりと言葉を重ねる。
「そして、自分の中にある魔力を意識してくださいです。自分の内面にもぐりながら沈むというような感覚で暗い中を探っていくです」
意識の中で白刃は一人だ。その暗闇にヴィヴィラードの声が響く。
自分の中に沈んでいく。
思考は遮断され、そして深く根底にもぐる。
体の中にある空洞に手を伸ばす。
意識の外、ヴィヴィラードは白刃の真正面に立ち、彼女をじっと見据える。
ふいに白刃の黒髪が浮く。魔力が燐光を放ちながら表面に現れる。
それを見ていたヴィヴィラードはもうそろそろかと唇を開く。
「手のひらに水の球をイメージしてくださいです」
白刃の片手が肩の位置まで上がり、その手のひらの上に水が集まりだす。
ふいに彼女の眉間にしわが寄る。
そして。
「わっ!!」
軽快な破裂音と共に水の固まりが四散し、白刃にかかった。
「昨日よりは魔力を練るのに、時間がかからなかったです」
「そっか。よかった」
ほっとしたように白刃が笑うとヴィヴィラードは彼女に体を拭くタオルを差し出す。それを受け取り顔や髪を拭く。
東屋の椅子に二人して座り、何気なく白刃が好奇心をその目に宿して魔法書を覗き込む。
その時、白刃はなぜか視界がゆれるのを感じ。
「白刃さん?」
ヴィヴィラードが手を止めて虚空をみる白刃を怪訝そうにみる。
その茫洋とした漆黒の稀有な双眸。
「…巡る根源を指すもの、揺りかごたる形亡き者よ、具現しその真価を…」
「白刃さん!」
するどくヴィヴィラードが呼びかけると白刃の漆黒の目に光が戻り、彼女はきょとんとした目でヴィヴィラードを見た。
「読めたんですか?それ」
「へ?」
ヴィヴィラードの指摘に白刃は自分の手元にある魔法書を見る。
一瞬のうちに過ぎる記憶。
「え?」
自分は今、何をした。
白刃の背中を何か嫌な感覚が走る。
顔色が悪くなった彼女にヴィヴィラードは慌てた。
「だ、大丈夫ですか!?白刃さん!」
大丈夫だと声に出したい。
口元を押さえた白刃が何とか声を出そうとしたとき、ヴィヴィラードは鋭く視線を横へ飛ばす。それを白刃が疑問に思うまえに。
「弾け、守りの壁」
瞬時に青い燐光を放つ≪陣≫が彼女たちの前に現れ、硬質な音をさせ何かを弾く。
驚愕に目を瞠る白刃に構わずヴィヴィラードは魔女の顔で新たな≪式≫を組んだ。
「絡め取れ、容(かたち)なき鎖!」
鎖のようになった水が庭園に面する外廊の角を曲がろうとした影をとらえた。
白刃はその一瞬の出来事に呆然として小柄なヴィヴィラードを見たのだった。
* * *
白刃とヴィヴィラードが襲われたとき、オーディンは騎士たちの鍛錬場でアルザスといた。
鍛錬場のど真ん中で剣を持って。
「さて、今日こそ決着をつけようか、オーディン」
アルザスの声を聞きながらふと感じた気配に彼は眉を寄せた。
≪契約≫の刻印がかすかに『揺らいだ』ような感覚に覚えがあった彼は、放たれた風の刃を反射的に叩き斬る。
「余所見すると怪我するぜ?≪傭兵王≫さん」
「…お前がな」
違和感を感じつつも剣を構えるオーディンにアルザスが好戦的に笑みを浮かべ焔を放った瞬間。
「見つけたです!オーディン!」
「げ!?」
「な!?」
突如として二人の中央に転移してきた魔女に流石の二人も驚愕の声をあげる。
が、焔は彼女がかざした小さな手によってあっさりと消される。
オーディンは近づいてきたヴィヴィラードを見る。
その向こうには「あんなに簡単に…いや、でも比べるのがそもそもの間違いで…」などと呟いているアルザスがいる。
「どうかしたのか」
オーディンが自分の腰ほどまでしかない魔女を見下ろすと彼女はどこか緊張を交えた顔で彼を見上げ告げた。
「白刃さんが狙われました」