道化たちの宴 46
初めはささいな嫌がらせだろうと思っていたのだ。
例えば、花瓶が頭上から落ちてくる。
例えば、階段で誰もいない背後から押されたり。
例えば、彼女の食事に毒が仕込んであったり。
「本当に暗殺ってあるんだね」
「呑気に言うな」
白刃を狙った暗殺者はその場で自ら仕込んでいた毒を飲んで死んだ。
ヴィヴィラードはすぐさま武官を呼び、王への報告とオーディンにそのことを告げ、白刃には部屋から一歩も出ないようにと黒い笑みを浮かべて『お願い』したのだった。
それからオーディンにその時のことを話し、夕食をとって今に至る。
ソファに座った白刃が自分で入れたお茶を飲む。ちなみにオーディンは彼女の真向かいに座り、テーブルの上に置かれた果物をひょいと窓辺にいるセイに向かって投げている。セイは大きく口を開けて投げられるほうに首を向けながら食べている。
「花瓶はセイが燃やして、階段はなんとか着地して、毒はセイが見つけてくれて…悪運強いよなぁ」
「自分でいうな」
「セイも偉い偉い」
ため息をついてオーディンは穏やかな顔を浮かべている白刃をみる。が、その顔色は悪い。
「…寝ているのか」
一瞬、何を言われたのか分からなかった彼女は向けられている紫紺の双眸に笑って返す。
その短い言葉に感じられる気遣いを白刃は自分の中が仄かに暖かくなるのを感じる。
「ばっちり」
「………」
いつものような返事に彼は何も言わずただ嘆息しただけだった。
「今日は、もう寝ろ」
「…オーディンは?」
「ここにいる」
「へ?それって…」
「いいからお前は寝ろ」
「ハイ」
有無を言わせない低い声に白刃は降参した。
部屋のほぼ中央にある寝台に向かう途中でふと後ろを振り返る。
オーディンはソファに座ってその剣を抱くようにしている。
「なんだ」
いつものぶっきらぼうな声。
その声にのどが、なぜか詰まって。
昼間のことを言うべきかどうか迷って結局、彼女は微笑を浮かべた。
「なんでもないよ。…セイに噛まれないようにね」
「お前はベッドから落ちないようにすることだな」
はんと鼻で笑う彼に白刃は肩越しに「おやすみ」と言って、ベッドに潜り込んだ。
* * *
シュスラーレの王都の春はどちらかといえば肌寒さを覚えるくらいに気温は低い。特に夜は。
その夜という静寂と冷たさや闇にうごめく影がある。
光の届かない場所を移動するそれはある部屋の天井から室内へと舞い降りる。
音も無く高い天井から降り立った影を白刃が見たら素直に感嘆をしただろう。
漆黒の服に身を包んだ影が寝台へと視線をやった瞬間。
影は衝撃を感じると同時に、自身になにが起こったのか理解できないままその場に崩れ落ちた。
背後から暗殺者を昏倒させた夜目にも鮮やかな紅い髪を持った青年は床に崩れ落ちた―――体格からして―――男を冷たく見下ろす。
すぐに部屋に置かれていた女官を呼ぶようのべル―――人を使うことに慣れてない白刃が使ったことのないそれ―――を鳴らすと外にいたアルザスと武官が男を連れて行く。
紫紺の双眸が底知れない深みをもって連れ出された男を見送り、ふいに空気が動く気配にそちらに顔を向けた。
「…オー…ディン?」
寝ぼけたようないつもより幼い声音に彼は肩眉を上げる。
どうやら起こしてしまったらしい。
彼はベッドに近づき、端に腰掛ける。
「寝ろ」
「うん…」
夜の闇の中でも不思議と白刃の漆黒の双眸は変わらず、深い色をたたえている。
眠いのだろう。まぶたが下がりそうで下がらない。白刃が片手で目をこする。
その子供のような仕草にふとオーディンは穏やかな息を吐いた。
「…なに?」
「いや」
「オーディン」
「なんだ」
「絶対に、≪契約≫を解くから…ごめんね」
「………」
何も言わない彼に白刃が言葉を続けようとしたら、視界を大きな手のひらが覆った。
「オーディ…」
「もういいから寝ろ。…大丈夫だ」
「…うん」
やわらかい返事に続いてしばらくして規則正しい寝息が聞こえてくる。それに彼は嘆息した。
寝つきがいいのは子供だからかと呆れたようななんともいえない気分になる。
彼女は寝つきがいい。ついでに一度寝たらなかなか起きない。それを知っているオーディンはこの状況に彼女が怯えていることを知っていた。
神経が敏感になってささいな物音でも起きてしまうのだろう。
シーツの上に出ている片手に彼女の目元を覆っていた手を伸ばす。握ってみると感心するほどに柔らかく小さく、そして、暖かい。
「…ガキだな」
呆れた声音にはどこか笑みが宿っていた。
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