道化たちの宴 56


 

 最初に見た天井はここ最近で見慣れたものだった。
 
 
 
 寝泊りをしていた部屋よりも少し豪華な印象を受ける室内。調度品は一流の職人が作ったのであろう、精巧な彫刻などが施されている。
 大きな窓は開け放たれ、日差しが惜しげなく降り注ぎ、風がそのカーテンを揺らす。
 
 ベッドに寝たままできる限り目を動かし、周りを確認した彼は体を起こそうとしても力が入らずそのままベッドに力なく沈んだ。
 自分の右側に感じる温み。それに気づき首を動かす。そして目を軽く瞠った。
 
 自分が寝ているベッドの端には無骨な手を握ったやわらかな小さい手。その先をたどってみると見事な漆黒が白いシーツの上に広がっている。その肩がゆっくりと上下し、かすかな寝息が耳に届く。
 
 その漆黒を纏った者を、やわらかな暖かい手をした人間を彼は一人しか知らない。
 
「………」
 
 言葉もなく硬直していた彼が我に返り、手をはずそうとしたが上手く動かせずに軽く息ついた。
 体が弱っているのを実感する。酷くだるいのは熱があるからだろう。それが、傷のせいだとオーディンは経験から知っていた。
 この手をどうするかと考える。
 
 そのとき扉が開いた。
 
 顔を覗かせたのはヴィヴィラードだ。その蒼い至宝のようだと言われる双眸には安堵の色がある。
 
「気分はどうですか?オーディン。…ああ、ちなみにあなたが倒れてから三日たっているです。公爵は領地、爵位没収、反乱を起こしたわけですからもちろん極刑になるでしょうね」
 
 声をかけると口を開こうとしたオーディンを見たヴィヴィラードは彼が倒れた後のことを話した。
 「満足ですか?」といわれ、ため息をついた。
 体がだるく返事をするだけでも億劫だ。
 
「……こいつは?」
 
 目線で白刃を指す。ヴィヴィラードはきょとんとしてから破顔した。
 
「心配でたまらなかったのだと思いますです。休めといっても頑として動かなかったんですよ」
 
 どこか楽しげに笑うヴィヴィラードにオーディンは苦虫を潰したような顔をした。それが不快だといっているわけでないことを彼女は知っている。
 
 その時、白刃がかすかに身じろぎした。それにオーディンは起きたかと思ったが、顔をこちらに向けたまま寝こけている。
 我知らずに息をついたオーディンにヴィヴィラードが子供をみるような慈しみを含んだ笑みを向ける。
 
「いい子ですよね」
 
 オーディンはヴィヴィラードを見て、再び白刃に目をやる。
 少し疲労を滲ませる顔にはどこか穏やかな色がある。自分の手を握っている小さなやわらかい手は暖かい。
 
「………そうだな」
 
 その温みを感じながら言うと、どこか疲れを滲ませ、だが、満足げに彼は目を閉じた。
 
「おやすみなさいです」
 
 そういったヴィヴィラードの優しい穏やかな声を聞きながら、オーディンは闇に沈んだ。
 
 
*    *    *
 
 
「目が覚めた?」
「はいです。すぐにまた眠ってしまいましたけど」
「そうか」
 
 ユリウスの執務室には机に向かい書類を見ているユリウスとヴィヴィラード、そして警護のアルザスがいる。
 
「三日か。早いな」
「傷のわりに彼はタフだね」
「あなたたちも人のことは言えないです」
 
 アルザスとユリウスの言葉にヴィヴィラードがすかさず反論する。それに心当たりがありすぎる二人は、しかし首をかしげる。
 
「何かあったかな?」
「心当たりが多すぎてわかりませんね」
「そうだね」
 
 いけしゃあしゃあと言ってのける主従二人にヴィヴィラードが微笑む。
 
「誰から気絶したいですか?」
 
 吹雪を連想させる笑みにアルザスが凍りつく。が、ユリウスは動じない。
 
「ヴィヴィ。それじゃこの書類、全部やってくれるのかい?」
「それはあたなの仕事です」
「これ今日の昼までなんだよ」
「どうしてそれを今やっているんですか!?昼って後一時間もないですよ!?」
 
 さらりと告げた王に魔女は普段の愛らしい顔に似合わない驚愕の声を上げた。
 
「しゃべっていたら時間が過ぎてしまってね。君なら手伝ってくれるだろうと思ったのだけど」
 
 「手伝ってくれるだろう?」と微笑むユリウスにヴィヴィラードが何か言いたげに口を動かしたが、やがてがっくりとうなだれた。
 
「どうしてこんな王を守っているのかわからなくなって来たです」
「失礼だね。それに君は王城の魔女じゃないか」
「わたしはあなたの補佐官じゃないです!」
 
 ついにヴィヴィラードの堪忍袋が切れる。怒鳴りながらも書類をユリウスから引ったくり、ソファに座る彼女にユリウスは微笑む。
 
「流石だね。ヴィヴィ」
「これっきりです」
 
 ヴィヴィラードのきっぱりとした口調にそのセリフを何度も聞いたことのあるアルザスは苦笑した。
 
 
 そして、それがシュスラーレ国の王城に日常がもどった瞬間だった。
 

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