道化たちの宴 57 


 

 その目の色をいつも綺麗だと思っていた。
 それは優しい色だと、知っている。
 
 
 
「オーディン、大丈っ…夫?…っ気分は、ど?」
 
 詰まりながら絞り出した声は、最後には完璧に涙声だった。
 
 うつむいて彼女は声を押し殺して、泣いていた。
 怒るだろうと思っていた彼女は。
 
 泣かないと思っていた少女は、その細い肩を震わせていた。
 
 もれる嗚咽を聞きながらオーディンは天井を見上げた。
 目を覚ませば、昼間とは打って変わった闇夜が外に広がっている。そこで漆黒の双眸と目が合うと、その目が揺れた。
 
 どうして泣くんだと問えば怒るだろうか。そんな風に思いながら何も言えずに彼は未だに握られていたその手に力を入れた。
 白刃が顔を上げる。恐る恐るといったそれはよく彼女がしていた仕草だ。オーディンから失笑が漏れる。
 それに白刃がきょとんとしてその後すぐに睨む。
 
「なんで笑うかな」
「気のせいだ」
 
 軽口をたたくと白刃は安心したように顔を緩め、オーディンを見る。
 燭代をいくつか点けただけの少し暗い室内でもその紫紺の双眸は綺麗だった。そう思った彼女は窓の外を見ながら何気なく口にした。
 
「オーディンの目ってさ、綺麗だよね」
「………」
 
 いつもなら返ってくる軽口がないのに白刃が怪訝に思い、オーディンを見る。そして。白刃は目を見開いた。
 そこには間抜けな顔―――いわゆる「鳩が豆鉄砲」を食らったような顔―――があって、白刃は思わず、オーディンの目の前で手を振る。
 
「おーい?オーディン?」
 
 それでも反応しない彼に首をかしげる。そんなに変なことをいっただろうか。でもほめ言葉だしなあと思い様子を伺う。
 やがて我に返ったオーディンは、握られた手とは逆の手で顔を覆った。聞こえるのは大きなため息。
 
「……お前は…」
「え?なに?」
 
 オーディンの様子に戸惑う白刃に彼は胸中で苦笑した。
 
 どうしてこの目をそう思うのだろうか。そんな風に思う人間などいないのに。
 
 今まで、誰一人として―――いなかったのに。
 
 どうして、彼女は。
 
「あの、オーディン?」
「……なんだ」
「何かして欲しいこととかある?何か飲む?」
 
 その声が心地いいと思うのは。
 その先のものにふたをしてオーディンは目を閉じた。
 
「寝る」
「へ?また?あ、じゃ、じゃあ、手…」
「気にするな」
「え!?ちょ、ちょっと、気にするなって……オーディン!?」
 
 目を閉じれば熱のせいなのかすぐさま睡魔が押し寄せる。焦る声を聞きながら、まどろみに落ちていく。
 
 その声が心地いいと感じるのは。
 その手が温かいと感じるのは。
 
 多分、傷と熱のせいだと胸の奥底にあるそれにふたをして、彼はうすく笑った。
 
 
 
*     *     *
 
 
 
 オーディンが目を覚ましてから数日後。城内では臣下たちが目を剥き、卒倒するようなことが起こった。
 
 今回のことを聞いたオーディンは傷がある程度、治ったとはいえ万全でないにも関わらず、部屋を抜け出し、こともあろうに執務をしているユリウスの下にいき、彼を殴り飛ばしたのだ。
 
「陛下!」
 
 補佐官が顔を真っ青にして椅子から転げ落ちたユリウスに駆け寄ろうとしたが、ユリウス自身がそれを制した。
 
「謝る前に殴るかな。まあ、殴られるだろうとは思っていたけど……結構、痛いね」
「当たり前だ」
 
 一国の国王を殴った不敬罪を背負う人間には思えないほどに堂々としているオーディンは憮然と言い放つ。
 
「謝罪はいらん。が、依頼料は貰うからな」
 
 その言い草にユリウスは苦笑する。椅子に腰掛け、その背中を預けた。
 
「相変わらずだね。ああ、でも君なら剣を抜いてくるかと思ったけど?少し変わったね。彼女のお陰かい?」
「なんのことだ?」
 
 補佐官がユリウスの頬を冷やす布を取りに部屋を出る。オーディンと二人にさせることに抵抗を見せたが、ユリウスが大丈夫だとうなずくとしぶしぶ出て行った。
 二人は軽口をたたきあう。
 
「で、どうなんだい?」
「何がだ」
「彼女を連れて行かなかった理由だよ」
 
 オーディンがユリウスを見る。その翠の双眸は逸らすことを許さない色を宿している。それにオーディンは呟くように答えてきびすを返した。
 扉が閉まり、ユリウスはため息にも似た吐息を漏らす。
 
「……なんだか、当てられた気分だなぁ」
 
 
 あいつはそこまで弱くない。
 
 
 ≪傭兵王≫である友人の言葉に彼は言葉とは裏腹な晴れやかな笑みを浮かべていた。

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