優しい時間 59


 

「すごかったなぁ、最後のあの焔の蝶!!綺麗だったー」
「そうか?」
「そうか?って、感動が少ないなぁ」
 
 興奮する白刃とは打って変わった反応のオーディンに、彼女はどこか不服そうに唇を尖らせた。
 大道芸人の最後の芸には焔で作り出した蝶がどこかに飛んでいくというので終わった。もちろん魔法を使ってはいるが、その蝶が七色の蝶で、見ていた客たちは大いに満足していた。
 
「白刃」
「なに?」
「きょろきょろするな」
「んー」
 
 オーディンの忠告にも彼女は心ここにあらずっといった返事を返す。その時、視界の端に、果実水を売っている店が入る。
 
「そういえば、歩きっぱなしだったな」
 
 異世界ということもあってか、結構、はしゃいでいたようだ。坂の下の方の街並みや上の方を見て、白刃は仄かに笑む。
 
 果物の甘い芳醇な匂いや香ばしいスパイスの効いた肉の匂い、さらには色とりどりの布を売っている店、装飾品の店、日用品を置いている店や野菜を置いている店もある。そこかしこで聞こえる客引きの声や女の子の笑い声、子供たちのはしゃぐ声や恰幅のいいお母さんのような女性の値切っている声、どこかで聞こえる喧嘩の声、それらすべてが白刃を楽しませた。
 
「やー!」
「もう、わがまま言わないの!」
「うわぁあぁん!」
「全く、この子は…」
 
 二人の前を通り過ぎていった親子のやり取りに、彼女は目を細めた。どうやら子供が駄々をこねて、最終的に泣き出したようだ。それをしょうがないといわんばかりに、どこか優しげに抱き上げる母親に、白刃は無意識のうちに、脳裏に過ぎった記憶に微笑む。
 
 ―――白刃。忘れちゃダメよ。これは……―――
 
 穏やかに言い聞かせるように繰り返し言われた言葉。優しげな表情。
 
 もう見つことも、聞くことも出来ない人の―――声。
 
 その横顔を見ていたオーディンは、疑問を浮かべる。
 彼女の家族。その話を彼女から聞いたことがない。
 白刃の顔に浮かぶのは、郷愁とは違う別の悲しいような、懐かしむような、切ないなにか。もっと言えば、ここにない何かを見ているそういったもの。ともすれば今にも消えそうな。そう思うと同時に、彼は彼女の腕を引いていた。
 
「ん?」
 
 白刃が突然のことに、どうかしたのと言うように首をかしげる。なぜか居心地が悪くなって、オーディンは目を逸らした。彼らしくない態度に首をかしげながら、白刃はオーディンを見上げた。
 
「向こうにも行ってみよ。オーディン」
「ああ」
 
 そう笑って歩き出す白刃に、オーディンは自分の手を見下ろしながら、なんとも言えない感情をその顔に浮かべていた。
 
 
 
*       *       *
 
 
 
 しばらく歩いていくと小さな食堂のような店があり、二人はそこで昼食を取った。店を出た白刃が、近くにあった小さな店をひょいと覗く。そこにはいくつかの装飾品が並んでいた。
 
「いらっしゃい、嬢ちゃん!お、あんた祝福の姫君か!こりゃあ、いい!何がいいかい?」
「いや、あたしは…」
 
 店主らしき壮年の男の言葉に白刃は曖昧に微笑む。黒髪を隠してないため、市を歩いているときも声をかけられた。が、やっぱり慣れない。戸惑う白刃に、日焼けをした陽気な店主の男がにかりと微笑む。
 
「まあ、ゆっくり見ていってくれ」
「ありがとう」
 
 並べられた装飾品は、どれも細かい。シンプルなものから華やかなものまで、蝶や花を形どった物が並べられている。
 宝石ではなくても、白刃だって女の子だ。キレイなものや可愛いものは好きだ。
 
「あ」
 
 陳列している髪飾りの端にあるものに彼女は呟くように声をあげた。
 
 髪につける紅い飾り紐につけられたのは、透かし彫りになった小さな華。その花の花弁の一つについているのは、きれいな紫紺の雫型のガラス。紫紺のそれは鮮やかな色で、向こう側が見えるほど薄くないのに、なぜか透明で美しく見えた。
 
 手にとって見ていた白刃の後ろから伸びた腕が、その飾り紐を奪う。
 
「え?」
 
 見上げれば見知った精悍な顔がそこにある。驚く彼女を尻目に、オーディンは会計を済ませる。
 
「ほら」
「え?え?えぇ!?」
 
 驚きのあまりに目を白黒させる彼女にオーディンが何でもないように、紐を寄こす。二人の様子に店主のおじさんが笑い声を上げた。
 
「ははは!嬢ちゃん!もらっておきな!恋人に恥をかかせちゃダメだぜ!」
 
 おじさんの言葉を理解した途端、白刃の顔が真っ赤になる。
 
「こっ!?はっ!?ちょっ、えぇ!?」
「行くぞ」
「うぇ!?」
 
 もはや訳が分からない彼女の腕をオーディンが取り、店を後にした。後ろからは早速、「祝福の姫君が買っていった飾り紐だよ!」と店主が声をあげている。
 
 人を客寄せに使うなていうか恋人って誰がだおっさん目は大丈夫かあんたてそういうことじゃなくて。ぐるぐると回る思考の中、腕を掴んでいる青年をそっと見る。その顔はいつもと変わらない。
 
 白刃は自分の手に握られている飾り紐を見る。緋と紫紺。その色を見て、彼女はそっと顔をほころばせた。
 
 道行く人は相変わらず、白刃を見てささやきを交わす。そこには好奇や感嘆。市の陽気な喧騒は相変わらず、気分を楽しくさせる。見知らぬ人々の笑顔、にぎやかで決してうるさいと思わない陽気で明るい声。そして、隣を歩く青年。
 
 そっと目を閉じて、オーディンを見上げる。
 
「オーディン」
 
 紫紺の目が自分を見る。その目をキレイだと思う。どんな宝石よりも。
 
「ありがとう」
 
 胸を満たす仄かな温かい思いを感じながら、白刃は微笑んだ。
 
 

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