優しい時間 60


 

 太陽が西の稜線に沈んでいくのを白刃は見ていた。
 場所は展望台らしき場所。王城へと続く道の途中にある、見晴らしのいい少し空中に突き出したような形の露台のような場所にいた。
 
 白刃は自分の胸辺りにある露台の手すりに手を置きながら、夕日を見る。その下の街並みは昼間と変わって、家々が朱色に染まっていて綺麗だ。
 
「白刃」
「んー?」
 
 景色を堪能している白刃にオーディンが声をかける。
 
「帰りたいと思わないのか?」
「………」
 
 白刃の顔が一瞬、強張る。彼女は、自分の隣で夕日を背にして、手すりに寄りかかっていた青年をちらりと見る。その表情にはどこも変わった様子はない。
 
「…あたしさ、おばあちゃん子だったんだよね」
 
 オーディンの紫紺の双眸が彼女を写す。白刃はそれを見返し、続ける。うっすらと笑みすら浮かべて。
 
「あたしは変った子供だったみたいでね。泣きたりすると周りの物、花瓶とか壁とが窓とかをよく壊してたらしいんだ」
「その頃から爆弾娘だったのか?」
「真面目な話だ!」
 
 真顔で冗談なのか本気なのか分からない言葉に、なんでいつもこうなんだろうかと、白刃は呆れながら返す。
 
 街並みを見下ろす。人々が家路を急ぐ時間だ。
 
 風に髪が煽られ、漆黒が夕日の色に煌く。
 
 脳裏に過ぎるのは年老いた祖母の姿だ。
 どこか世間ずれした空気。
 見透かすような茶色の双眸に灰色の髪。
 年をとっていても、快活な雰囲気がそうと見せなかった。
 
 思い出す。
 
 冬の、例年稀に見る寒さを記録した、寒い冬の日。
 力をなくしていくその人の手を握っていた。
 
 最期まで。
 
 笑って穏やかに自分の名を呼んで逝った、その瞬間まで。
 
「祖母は、もう、死んじゃったんだけどね。―――あの人があたしの唯一の家族だ」
 
 あの人だけが。
 
 そういつもの何でもないような口調。が、その目がそれを裏切っていた。
 それは確かな意思をもった、澄んだ漆黒。それでいて影を宿したそれ。
 
 それだけで、彼女が帰りたいといわなかった理由がわかった。
 
「そうか」
 
 オーディンのいつもとかわらない声。
 
「ああ、でも、ちゃんと友人はいたんだよ。親友って呼べる子が」
 
 明るく何かを思い出すように、くすくすと笑う。
 
「お前みたいな爆弾娘か?」
「失礼な!そりゃー少し、ずれているところがあったけど、いい子だよ!露出狂の変態を見たらまず、にっこり笑って、『潰されたいの?』って相手を踏み潰すような子だけど」
「なんだよれは」
 
 よくわからない単語を言う白刃にオーディンが呆れたような視線を送る。白刃はどこか楽しそうに笑う。屈託無く。
 ふいに風に遊ばれる漆黒に手が伸びる。指にからめたそれは思ったよりも温度のあるものだった。
 
「オーディン?え?え?」
 
 白刃が戸惑うように彼を見上げる。
 
 うつむき加減になった顔には、どこか影があるように見える。ただ、紅い髪が夕陽ですけて赤く染まり、その紫紺の双眸が光の加減によって緋紫に見えたり、光を内包していて美しい。白刃は思わずそれに見入る。
 
 どんな宝石よりも綺麗だと思う白刃の視線とそれが絡まり、彼女の鼓動が跳ねる。
 
「白刃」
「うぇ!?は、はははい!なんでこざいますでしょうか!?」
「………頭は大丈夫か?」
「何だって!?ていうか、それが聞きたいのはこっちなんだけど!?」
 
 心底、呆れた様子のオーディンに思わず噛み付く。が、彼はそんなことを気にするような相手ではない。
 
「飾り紐は結えるのか?」
「無視か」
 
 見事にスルーされた白刃がオーディンをじとと睨む。が、彼は…以下同文。
 
「出せ」
「何を?」
「お前はバカか?会話の流れでわかるだろうが」
 
 はいはいバカですよこのゴーイングマイウェイかつ唯我独尊天上天下の俺様がとぶつぶつ言いながら、白刃は市で買ってもらった、紅い飾り紐を差し出す。
 
「どうすんの?」
「…………お前の頭は幼児以下か?」
「失礼な!って、え?まさか?え?」
 
 オーディンが飾り紐を自分の片手に持っていた白刃の髪に添える。まさかと白刃がオーディンを見上げる。
 
「………結えるの?」
「首を絞めようとしているように見えるか?」
「いいえ!滅相もないです」
「頭を動かすな」
 
 勢いよく、首を横へふる白刃に有無を言わさない口調で言いながら、オーディンが髪に上手く飾り紐を結わえていく。
 
 白刃は、身を固めたまま頭の中でパニックになっていた。なにこれなにこれどうなっているんだていうかオーディンてこういう人だっけなにそのいかにも慣れてます的なのはというかこんな風に動揺してるあたしって一体、などと思考をめぐらせているとオーディンの手が不意に頬にかかっていた髪をすくう。
 
「うひゃ」
 
 くすぐったさに声をあげると髪を結わえ終わったのか、オーディンの指が白刃の頬に触れる。大切なものを扱うかのように、やわらかく。見上げた先にあるのは、どこか真摯で静かな紫紺の双眸。
 頬に触れられる感覚とその目に白刃の背中を衝撃に似たものが走る。オーディンの手が名残惜しむように離れていく。それを目で追っていると彼はきびすを返した。
 
「帰るぞ」
 
 
 肩越しに振り返りながら言われ、白刃はうつむきながら首を縦に振った。それこそ、顔に集まる熱を見られないように。
 
 

 
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