扉と鍵 61


 

 豪邸といってもいい程の洋館。その場所は、自分が幼い頃を過ごした場所だ。常に笑い声が絶えず、木漏れ日のように、春の風のように柔らかく、そっと灯される蝋燭の火のように優しい、その場所。
 
 そこで自分は守られていた。守っていてくれた。
 
 思い出すのは手を引くその人。
 
 しわの寄った柔和な笑顔は、慈愛とどこか儚さも併せ持っていた。
 記憶の中にあるその人は。
 
 とても―――。
 
『この頑固さは誰に似たのかしらねぇ』
 
 そう嘆息した年老いた女性は、腰に手を当てて困ったように眉を寄せていた。なかなか寝付こうとしない幼子を前にしている様子は、周りの数少ない使用人たちから見ても微笑ましいく、思わず口が緩む。
 使用人となにやら話し始めた老婆の声を聞きながら、幼子はまぶたを閉じないようにと必死で耐えた。が、その彼女の穏やかな声は子守唄になり、やがて―――。
 
『あら、寝ちゃったわね』
 
 髪の毛を梳かれるように頭を撫でられ、幼子がほんにゃりと笑う。それを見て、老婆の顔に優しい、愛しいものをみる笑顔が浮かぶ。
 
『どうか、いい夢を―――・・・……』
 
 
*     *     *
 
 
 目覚めは唐突だった。
 
 瞬きをして自分がいる場所を確かめた白刃は、懐かしい夢にほろ苦く笑った。昨日、オーディンに話したからだろうか。あの人の夢を見たのは。
 窓辺に丸くなっている白竜は未だに夢の中のようだ。外を見ると、空は白から明るいオレンジの色で、太陽がもう少しで出るといった時間だろう。
 
 ベッドから降りて、服を着替える。旅をしているときから、動きやすいようにスカートはあまり穿かなかった。どちらかといえばズボンが多かったのだ。が、王城に着てからはヴィヴィラードに一回着せ替え人形にされ、スカートを穿くようになった。それでも、今日はズボンを白刃は穿いた。
 
 その時、小さな唸り声のような、あくびが聞こえて振り向くとセイが起きていた。
 
「おいで」
 
 手を差し伸べると、嬉しそうに白刃の肩に乗る。それを撫でてやりながら、バルコニーに出る。
 朝の清涼な空気と静かで涼やかなそれに、白刃の目が細まる。
 
 脳裏には、数日前のヴィヴィラードの言葉。
 
 
 
 ―――あなたが、もし望むのなら―――
 
 
 
 自分の望み。それはあの人のものかもしれない。それでも、それを盾にとってきたことに変わりはない。相手の行動を制限していることに、縛り付けていることに変わりは、ない。
 
 なら出来ることを。
 
 せめて。
 
 そんなことをして、相手が喜ぶとは思わないけど。
 それでも、決めていたことだ。
 
 それが。
 
「エゴだって知っているけど……」
 
 一人呟く少女を使い魔の白竜が首を傾げて見る。それに少女は微笑む。そして。
 
「ねぇ、セイ。オーディンを頼むね。まあ、そんなことしなくて、あの人は大丈夫だろうけど」
 
 というか、こんなことを言ったら、むしろ「俺を誰だと思っている」とかって言いそうだね。そう付け加えると、セイがそうだと言うように一声、鳴き声をあげた。
 
 
 
 
「面白いもの?」
「はいです。見に行きませんか?」
 
 企むような笑顔を白刃へ向けながらヴィヴィラードは言う。
 
 午前中はヴィヴィラードの研究室で読書をして時間をつぶした白刃に、昼食を一緒に食べませんかと誘ったはヴィヴィラードだ。その昼食後のお茶を飲んでいるときに、唐突に「面白いものがあるんですが、見に行きませんか?」といわれたのだ。
 首をかしげる白刃にヴィヴィラードは言い募る。
 
「絶対に、見ておいたほうがいいと思いますよ」
 
 そこまで言われれば気になる。ということで、ヴィヴィラードの言われるままにそこへ二人して向かうと―――。
 
 場所は、王城の敷地内にある騎士の宿舎に近い訓練用の闘技場だった。二人がついたときはすでに、城に使える女官や侍女、侍従や騎士たちが闘技場を囲むように集まっており、白刃は目を丸くする。
 
 ヴィヴィラードに案内されるがまま、闘技場が見える丁度、使われてない塔へと続く城との連絡通路に二人はいた。連絡通路には立ち入り禁止と言わんばかりに張ってあった魔法を、ヴィヴィラードが強制的に解除―――白刃から見れば壊したようにしか見えなかったのだが―――したために入れたのだが。
 
 闘技場の真ん中にいる二人に見覚えがありすぎる白刃は思わず呟く。
 
「オーディン」
「と、アルザスです」
 
 ヴィヴィラードは白刃の隣で微笑む。
 
「これって……」
 
 白刃の言葉をヴィヴィラードが引き継ぐように晴れやかに笑った。
 
「模擬試合です」
 
 途端に、周りからの歓声が空気を揺るがした。どうやら、始まったらしい。思わず身を乗り出すような格好の白刃にヴィヴィラードがくすりと笑う。
 
「アルザスは王の『狗』と呼ばれる密偵の一人です」
「え?」
「彼はその『狗』たちの中でも異色です。本来なら表に出ることはない、王のための影の『剣(つるぎ)』であり、『盾』です。が、彼には表立って動いてもらっているのです」
「………」
 
 白刃は思考が付いていかない。アルザスが密偵。王の『狗』。本来なら表に出ない。どういうことだといわんばかりの白刃の様子に、ヴィヴィラードは苦笑する。
 
 二人が話している間にもオーディンとアルザスの試合は白熱していく。オーディンが剣を振るえば、アルザスが受け流し魔法を放つ。それをオーディンが即座に斬り裂き、アルザスに肉薄する。
 
「魔法士の中でも彼の力は強いですからね。その上、剣の腕も。だから、『狗』でもあり表に出ることも出来るようにしたのです。白刃さんたちに会ったのは偶然ですが」
 
 おそらく今回の試合はユリウスが言い出したのでしょうねと最後に付け加える。
 
「………そっか」
「驚かないのですか?」
 
 ヴィヴィラードが首をかしげながら白刃へ問いかける。それに白刃は苦笑した。
 
「驚いているけど…実感がわかないかな。だって、アルザスだし」
「そうですか」
 
 白刃の答えに、嬉しそうにどこかおかしそうに笑い、ヴィヴィラードは階下の二人を見やる。
 
 どうやらアルザスが追い込まれているらしい。
 アルザスの体術を交えた戦い方に、オーディンは余裕の体裁きで避けていく。自らの剣を繰り出すことも忘れない。
 オーディンが剣を薙ぐとアルザスが短剣で受け止め、拮抗する。お互いの表情には笑みが浮かんでいる。
 
 その様子を見ながら白刃はヴィヴィラ―ドを見ることなく言葉を落とした。
 
「……ヴィヴィ。決めたよ」
 
 ヴィヴィラード蒼玉が白刃を見る。
 
「何を?」
 
 静かな声音は、落ち着いていた。そして、それはどこか悟ったような声音だった。
 
 闘技場では、オーディンがアルザスの剣を押し返し、弾き飛ばす。そしてアルザスが体制を崩すと彼の目の前に剣の切っ先をオーディンが向けた。
 
「契約の―――解呪を」
 
 飛んだ短剣が地面に刺さり、闘技場に歓声が弾けた。短剣の銀色を太陽が照らしていた。
 

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