扉と鍵 65


 

 柔らかな日差しが振り注ぐ庭へと手を引かれる。
 窓から出て行くと数段しかない階段をおり、そのまま東屋に続く石畳を歩きながら、白刃はこれが夢であることを知っていた。
 
 現実には、今、手を引いているその人はいないことを、根底で知っている。理解しているのだ。
 力をなくした、冷たくなったあの手を握っていた自分だからこそ。
 
 それでも自分の手を引いているその人の手は驚くほど、温かく優しく、いつも自分の手を引いてくれていたものだった。それが、また彼女の中にある切なく哀しい記憶を刺激する。
 
「お座りなさい」
「………」
 
 無言で椅子に腰掛ける彼女に老婆は微笑んだ。より目じりのしわが深くなる。それすらも記憶と寸分違うことは無い。
 
「それにしても……まったく、あなたは無茶をするわね」
 
 悪戯をしたとき、同じように怒られた。呆れたような顔で。
 
「……そうさせたのは、ばーさんだ。ていうか、なんていうものをやってくれたんだ。人に」
 
 うつむいた白刃の声は驚くほど、小さくか細かった。それに紅茶の入ったカップを口元へはこびながら、老婆が笑う。それはもう朗らかに、あっけらかんと。
 
「あら、生意気なことを言うようになったわね」
「それはどうも」
「それより、その飾り紐はどうしたの?ああ、お年頃だものね、いい人でも出来た?」
「は?」
 
 あまりの言葉に白刃は顔を上げると、そこには人を食ったような笑み。ひくりと顔が引きつる。
 
「あんなに可愛かったのに、おばあさん悲しいわ。会えば憎まれ口を叩くし。まあ、でもわたしの孫だものね、そんな人が一人や二人いてもおかしくないかしら」
「な!?」
「ああ。でも、本命にはばれないようにしなさいね」
「ほっ!?」
「それにしても、せっかくかけた魔法をこんな形で解呪しようとしようとするなんて、もったいない」
「なんで!?」
「楽しみが減るじゃない」
「あんたの道楽であんなもんしたのか!?」
 
 白刃が喚く。それにきょとんとして老婆はのたまった。
 
「…………半分くらいはそうかしら?」
「尚、悪いわ!!」
 
 本当に、このクソ婆ぁだきゃーもーとテーブルを叩いた手を握りしめる。その孫の様子を見ながら老婆はころころと笑っている。ものすごく楽しそうだ。
 
「まあまあ、お座んなさい」
 
 しぶしぶ白刃は腰をかける。そして再び周囲を見ながら、目を細めた。懐かしそうに。同時に夢なのだなと実感する。
 
 今頃、この場所は公園になっているはずだからだ。この目の前にいる人がそうして欲しいと望んだから、そうした。白刃が。
 
 そんなことを思い出しながら、紅茶を飲む白刃に祖母である老婆は思いもよらないことをのたまった
 
「で?契約したのはそんなにいい男なの?」
「ぶーーーーーっ!!!!」
 
 あまりの言葉に白刃は紅茶を噴いた。元凶となった祖母は「あらやだ。行儀の悪い」と呆れながら、テーブルを拭く。
 
 白刃はうなだれながら、ぐったりし、ああこういう人だったと思いながらも、祖母を見る。優雅に紅茶を飲んでいるその人を若干、据わった目で見てしまうのはしょうがない。
 
「なんで、男だって思うのさ」
 
 口を尖らせながら、すねたようにいう孫娘に祖母はふふんと笑う。それに体を後退させてしまう白刃。
 
「決まってるじゃないの。その飾り紐はシュスラーレにしかない伝統物で、主に男の人が恋人や妻に送るものだもの」
「…………………ハイ?」
「だから、恋人かつ」
「うわーーーー!!まっ、なっ、うっ、どっ!!」
 
 祖母の言葉を最後まで言わせず、たまらなくなって叫んだ彼女は意味不明な言葉を発している。
 その様子を見ながら、祖母は呑気に面白い子ねぇと紅茶を呑んでいる。一方、本人は。
 
 待って。なんで、うそ、どうして。オーディンのヤツ、知ってたのかな、ていうか知ってたら買ってないよね、その前に普通につけてくれたし、妹のしてたっていうから慣れてたみたいだし、というか慣れてるって妹さんのをしているだけか、ああ話が脱線してる、あれ、でも妹のをしてたってことは…。
 
 
 知ってるんじゃないか。
 
 
「……うわぁ」
 
 赤くなった顔を手で覆う孫娘に老婆がくすくすと笑みをこぼす。
 
「落ち着いたかしら?白刃」
「どうも。ていうか、あれ?なんでシュスラーレって、知って…?」
「フフフ。それは追々、わかるわ」
「え?そんな…」
「白刃」
 
 はぐらかす様子に食って掛かろうとした彼女を、真剣みを帯びた声がさえぎる。視線をやれば、先ほどの悪戯を思いついたような笑みとは違う、たおやかで決してゆるぎない笑みを浮かべた老婆がいた。
 
「ここは、最奥。あなたにかけた魔法が解呪されようとしたとき、または解呪するときの最後の砦。ここが終着点。そして、わたしの最後の仕掛けがある場所。今、こうしているのは夢であり幻であり、最後の仕掛けの前の小休止なのよ」
「…しかけ」
「そう。ねぇ、どうして解呪しようと思ったの、白刃」
「どうしてって…」
 
 だって、そうじゃないか。あの人は。そんなことを望んでないのに。
 
「白刃。わたしの愛しい孫娘。教えてくれない?あなたの望みはなにかしら?」
 
 
 そう祖母は微笑んだ。最後の審判を下すかのように。

 


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