扉と鍵 66


 

 本当は、少し怖かった。初めて会ったその人は、確かに自分を憎む目をしていたから。
 
 
 
 ヴィヴィラードが≪陣≫を解いていく。その中で、違和感を感じ、眉を寄せたとき背後の扉が吹っ飛んだ。文字通り、粉々に。
 
 何事かと思いながら、ある程度、誰がやったのか予感しながら振り返ると紅い髪が煙やら埃の向こうに見えた。
 あらかじめ予想はしていたが、あまりにも派手だ。ついでに酷い。
 
「オーディン、やりすぎです」
 
 呆れたようにいい、彼の姿を見て目を瞠る。
 顔色は青白く、汗をかき呼吸も苦しげなその様子にヴィヴィラードは、言葉をなくした。最も、目を引いたのは腕に刺さった彼の短剣だったが。
 
 彼の背後にいたアルザスに視線をやると、困ったように頭をかく。
 
「いや、王が来られて…」
「ユリウスがですか?」
 
 意外な人物の名前にヴィヴィラードは怪訝な顔をする。そして、アルザスは簡単に説明したのだ。
 
 曰く。
 
「『死んでいるかもしれない白刃ちゃんに会いに行くのなら手を貸すよ』といったユリウスにオーディンが切れて、自分の足で行くといって、朦朧とする意識を繋ぎとめるのに自分の短剣で自分の腕を刺してここまで来た」と。
 
 ヴィヴィラードはめまいを覚えて、頭を抱えたくなった。挑発するユリウスもユリウスだが、オーディンもオーディンだ。
 
 大方、ユリウスは面白半分、からかい半分でオーディンに言ったのだろう。白刃の傍にはヴィヴィラードがいる。万が一のことは有り得ないと知っている彼のことだ。オーディンを単に心配したというのもあるだろうが。
 
 まったくとヴィヴィラードは嘆息した。後でみっちり絞ってやらねばならない。それはオーディンを挑発したのではなく、執務を抜け出したという罰でだったが。
 
「ぐっ」
「オーディン!」
 
 小さくうめいて、崩れそうになる彼をアルザスが支える。もはや振り払えるほどの余裕はない。ヴィヴィラードは彼に近づき手をかざした。
 
「大丈夫です。命に別状はありません」
 
 言いながら≪陣≫が現れ、オーディンの苦痛を軽くする。
 
「どうして、黙って、いた」
 
 紫紺の双眸が怒りをたたえて彼女を見る。ヴィヴィラードはそれを見返す。恐れることなく。
 
「それは、白刃さんに聞くべきです」
 
 そして、再び白刃の方へ向き直ると≪陣≫の解呪をするべく、手をかざした。
 
 
 
 *    *    *
 
 
 
 いつからだろうか。その目が優しくなったのは。
 いつからだろうか。その視線が居心地よく感じるようになったのは。
 
「……望み、は」
 
 あえぐように口を動かす。言葉にならない。
 
 言っていいのだろうか。だって。自分は。
 
 望まない契約だった。無理矢理だった。
 
 彼は、決してそんなことを望んでなかった。なのに。
 
 その命を危険にさらしもしたのに。いつしか、その場所が心地よかった。でも、それは自分のわがままで。
 
 
 彼は、望んでないのに。
 
 
「白刃」
 
 うつむいた彼女の頬を優しく包む、しわだらけの手。導かれるように顔を上げた。そこあるのは、いつだって自分を叱って、慰めて、元気付け導いてくれた人の笑顔。
 
「間違えないで。あなたの望みを。契約をとくことは確かにあなたの望みかもしれない。だけど忘れないで。その命の危険にさらして、その先の時間をつぶすことはしないで。いい?あなたが望めば、叶えられることもあるのよ。先の時間を刻むことができるの。だから、言いなさい。白刃」
 
 それをわたしは叶えましょう。
 
「契約を…―――-」
 
 少女の頬を、雫が流れた。老婆は満足そうに微笑み、そして。
 
「いいわ。わたしの……――――」
 
 白刃の視界を光が包んだ。
 
 
 
 
「え?」
 
 呆然とした声はヴィヴィラードのものだった。瞬間、夕暮れに染まった空へ閃光が突き抜けた。
 
「う?」
「え?」
 
 ヴィヴィラードがとっさに腕で目を庇い、アルザスは顔を背け来るべき衝撃に備えていたが、それは襲ってこなかった。不思議に思い、目を開けてみれば。目の前には自分たちを護るかのように展開している≪陣≫。
 
 部屋は原型をとどめていないが、取りあえずけが人はいないようだ。アルザスははっとして部屋の中央を見やると、そこには床に横たわる少女を抱き起こしている紅い髪の青年がいた。そして、もう一人―――。
 
「ヴィ、ヴィヴィヴィ、ヴィヴィっ!」
「うるさいです。アルザス」
 
 ヴィヴィラードも冷たい突っ込みにアルザスは口をつぐんだ。動揺するのも無理はない。白刃とオーディンの傍には、半透明に輪郭のおぼろげな、かろうじて女だと分かるものが浮かんでいた。女は白刃を抱いているオーディンを、いつくしむような目で見ている。
 
 その女の顔を見て、ヴィヴィラードは目を細める。女はその視線に気づいたのか、ヴィヴィラードを見やると、口に人差し指をあて―――内緒という仕草―――そのまま消えた。
 
「まったく…」
「ヴィヴィ?」
 
 ヴィヴィラードは嘆息しながら、どこか晴れやかな笑みを浮かべ、室内を見渡す。アルザスは不思議そうに彼女を見る。
 
「どうしましょうか、これ」
 
 そういった彼女は、さほど困ったようには見えなかった。
 

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