傷跡 76


 

 エレベータに乗ったときのような浮遊感となんとも言いがたい圧力は感じなかった。ただ、目を開いたときに、人の背中が目の前にあり、白刃はのけぞり―――腕を強く引かれて一緒に倒れこむことはなかった。
 一方、派手な音を立てて倒れこんだのは男。ついでに、ごんと思いっきり後頭部を打つというおまけ付き。大丈夫なのだろうか。
 
「いってぇ…」
「ち、避けたか」
「……過激な出迎えだな」
「そりゃあ、悪かったな」
 
 倒れた男は頭を抑えながら、起き上がる。それに舌打ちをしたのは開け放たれた扉のところで、片足をあげたままの男。
 
 白刃はオーディンが扉のところにいる男に嘆息している間、部屋の中を見回す。
 狭い、物置のような部屋。埃っぽい感じはなく、どこか整理整頓された印象を受ける。そして、その部屋の出入り口らしき扉のところには赤い目をした、オーディンよりも年上の男。ちなみに左側の目には眼帯をしている。
 
 一方、「まったく加減てもんを知らないんだから…」とぶつぶつ呟いている―――先ほど、白刃と衝突しそうになった男は、茶色の長髪を後ろで無造作にくくり、青い目をしている。こちらはオーディンと同じくらいの年頃だろうか。どちらも服装は旅人のような格好で、腰には剣。先ほどの口調から、この男を蹴り倒したのは赤い目の人だろう。
 
 大丈夫だろうかと思いながらオーディンの傍で茶髪の男の人を見ていると、ばっちりその青い目と視線があった。驚きに見開かれる双眸。
 その視線の強さに、戸惑いを感じつつも軽く頭を下げる。
 
「ど、どうも」
「すっごいわねぇ。本当に、双黒じゃねないの。へぇ」
 
 ひょいと立ち上がった茶髪は、白刃に近づくと彼女の細いあごをくいっとあげる。その行動にと口調に彼女は目を白黒させる。どこから突っ込むべきだろうか、というか、手を離して欲しい。
 
「そいつが固まっているから離せ、ザイ」
 
 オーディンが茶髪に言うと、赤い男が闊達に笑う。
 
「そうだぜ。人の嫁さんに男が触るのはどうかと思うぜーザイ。つーか、幼くね?嬢ちゃん年いくつだ?」
「ザイじゃなくて、アリアよ!それに、あたしは体は男でも、心はお・ん・な・よ」
「あーそうかい。とにかく離してやれよ。びっくりしてんじゃねーか」
「あら?だってこの子可愛いもの。ねぇ、こんな乱暴な男やめてあたしにしない?悪いようにはしないわよ?」
「悪役のセリフだな」
 
 白刃とオーディンは自分たちを挟んで繰り広げられる会話に口を開かないいや、したくてもできないといったほうが正しい。
 い、いま、今、なんていった?悪いようにはしない、確かに悪役のセリフだけど!外見は男で心は女ていうのは分かった、ていうかそうじゃなくて、その前になにか聞き捨てならないことをいわなかったか!?
 
 白刃がパニックの絶頂にいる傍らで、オーディンは冷静に赤い髪の男に聞いた。
 
「クロード」
「あん?」
「誰が嫁だ?」
 
 他の人間が沈黙する中、赤髪はオーディンの声の低さに気づいていないのか、不思議そうな顔をしている。
 
「そのお嬢ちゃんが、お前の嫁さんなんだろう?そう傭兵連中の間じゃ噂になっているぜ」
「そうそう、あたしもびっくりしたけどねぇ。オーディンてこういう子が好みだったのね」
「まあ、幼いっちゃ幼いがな。ほんとに年いくつだ?」
「女に年を聞くもんじゃないわよ。クロード」
 
 もはや思考がついていかない白刃とオーディンはひたすら沈黙している。
 沈黙しているオーディンと白刃に構うことなくクロードたちは続ける。
 
「まあ、そうだが」
「ねえ、オーディン。いいじゃない幼な妻」
「確かに、いいな。幼な妻」
 
 
 ぶつん。
 
 何かが盛大に切れる音を白刃は確かにこの時、聞いた。
 
「まあ、犯罪っぽいけど、いいんじゃないかぁっうひょう!!」
「きゃ!?いきなりなによ!?」
 
 奇妙な叫びを上げながら剣を避けたクロードとアリアは、おっかなびっくりといった表情を、オーディンみた瞬間に凍りつかせた。
 赤い髪の下から覗く、紫紺の双眸は殺す気だった。
 
「どっちから斬られたい」
「ええええ!?ちょ、おまっ待て!話せば分かる!!落ち着けー!!」
「ぎゃー!!クロード、盾になりなさいよ!」
「俺はまだ死にたくない!!」
「あたしだって、まだ死にたくないわよー!!」
 
 
 それからクロードとアリアの部下と名乗る人が来るまで、その場所には絶叫やら怒号が響いていた。
 
 
 
 
「えーと、取りあえず、すまん」
「本当、ごめんなさいねぇ」
「い、いえ」
 
 あたしのことは気にしなくていいですと顔を下げる白刃。
 
 乱闘騒ぎを繰り広げていたところに、クロードたちの部下が来て、事態は一旦、落ち着いた。その後、通されたのはこじんまりした部屋で、テーブルを囲うように椅子があり、そこに腰掛け、一息ついたところで、オーディンが低い声で言う。
 
「依頼のことを話せ」
「せっかちだなぁ、お前は」
「短気な男は嫌われるわよー」
 
 「ねぇ?」とアリアにふられるも、白刃は口を挟めない。乾いた笑い声を出すだけで精一杯だ。なぜなら、隣の椅子に座っているオーディン全身からは負のオーラがひしひしと伝わってきており、頼むから剣を抜かないでくれと白刃にはひやひやしている。
 それに加え、オーディンを茶化しているクロードをアリアの背後に立っている、蒼い短髪に左目の上の方に繊細な刺青を彫った、冷たさをたたえた灰色の双眸を持った青年―――クロードとアリアの所属する『ベルセルク』(東の狂戦士)と呼ばれる傭兵団の人間でヴェスタというらしい―――ヴェスタの視線が先ほどから白刃に突き刺さってくるのだ。
 
 何かしただろうかと白刃は思うものの、心当たりがない彼女は、仕事の内容をクロードとオーディンが話している間、ひたすら目の前からの氷の視線に耐えなければならなかった。
 

      TOP      

inserted by FC2 system