傷跡 78


 

 翌日、白刃はアリアと共に情報収集のためにラサの街に出ていた。
 
 風に乗って潮の香が運ばれてくる。街の大きな通りには、活気はあるもののどこかよそよそしさや、寂れた雰囲気がある。加えて、時折向けられる視線は怯えや緊張をにじませていた。
 そんな街の景色を横目に歩く彼女の脳裏に過ぎるは、冷たい視線を送ってきた青年の姿だ。
 
 早朝、すぐさまベルセルクに所属する傭兵たちとの会議に、白刃とオーディンも参加した。
 話し合いでは、現状の確認と新たに魔物や被害者の情報がないかを確認すること。そして、街の巡回を各自が組まれた時間で行うこと。また、必ず複数、最低でも二人で動くようにと注意事項を確認して、それぞれが街へ繰り出した。
 
 そのときにも、感じるのは鋭い視線だった。灰色の双眸は彼女に確かな悪意を持っている。そう確信できるほどの視線だった。
 他にも好奇や物珍しげな視線の方を送ってくる傭兵の人たちの方がいいというのが正直な感想だ。その顔が、直視できないほど怖いとしても。
 
 我知らずため息が出る。
 あの害意は感じないものの悪意を持った視線を向けられるのは初めてではない。幼いころに向けられたものに似ているというだけだ。が、いい気分はしない。
 
 脳裏に過ぎった記憶が、彼女の胸にかすかな痛みを与える。ただ、それを悲しいと思わないのは確かに愛された記憶があるからに他ならない。
 
 懐かしくも愛しいと思いながら微笑み、感傷を振り切るように頭を軽く左右に振ると自分の前を歩いていた筋骨粒々の男、もとい自称「体は男でも心は女」のアリアが振り向く。
 
「白刃ちゃん?」
「はい?」
「どうかしたの?」
「いえ、なんでもないですよ。ただ、子供は出歩いてないなぁと思って」
 
 白刃の愛想笑いと咄嗟の言い訳をアリアは黙認してくれたようだ。頷き街に目をやる。
 
「そうね。流石に、被害が多すぎるもの」
「今までの被害者って全員、人ですよね?」
「ええ。家畜や魚には影響はないみたいよ。ああ、ここね」
 
 アリアと会話をしていると一軒の店についた。見上げた看板には「潮騒の女神」と書いてある。港の近いこの場所で漁師たちが多く集まる酒場の一つだ。
 店のノブに手をかけたアリアが思い出したように白刃を振り返る。
 
「あ、あたしから離れたらだめよ」
「へ?」
「オーディンから『一人にしたら何をしでかすか分らないから目を離すな』って言われているの。随分、大切にされているのねぇ」
 
 悪戯っぽく笑うアリアに白刃は引きつった笑みを返すしか出来ない。
 
 いや、それ大切云々ではなくて、周りの心配だとかもろもろの被害のことを気にしているんだと思いますとはさすがに言えない。ちなみに、頭の片隅に被害とかを気にする人だっけという疑問も浮かんだが、無視する。
 
 ついでに言うと、今日、出かける前に昨日貰った魔力を抑える魔具である腕輪をつけているかチェックされた。
 
「…気をつけます」
 
 そういうと、アリアは笑いながらドアを開け、酒場へと足を進めた。
 
 
 
 
 クロードは、自分の後ろを表情を変えずに歩く戦友をちらりと伺う。
 赤い髪は太陽の光をあびて鮮やかに煌き、その紫紺の双眸は表情がない分、鋭利さを増している。
 
 彼らは、通りから入った狭い路地を歩いていた。人通りが少なく、太陽の光でさえもあまり届かない場所。だからこそ、害意を持ったものが手を出しやすいのだが、ここで一目で一般人ではないと分る彼らに喧嘩を売ってくる相手はいない。
 
「ここだ」
 
 クロードが止まり、その隣を歩いていたヴェスタも近くの壁に身を預けた。オーディンは指し示された場所を一瞥し、周囲を見回す。
 その紫紺の双眸が一瞬、揺らぐが、すぐさま元に戻ると首を振る。
 
「無理だな。軌跡自体がない」
「そうか」
 
 被害にあった子供の遺体があった場所。魔物に襲われたとなれば、魔力が残っている。その魔力の軌跡を読み取ることが出来るオーディンにかかっても、読み取れない。それは時間が経過している場合も考えられるが、魔物がそれだけ強いという可能性もある。
 
「大物か」
「さあな。あいつなら何か感じ取れるかもしれんが」
 
 何せ、彼女は魔女だ。おそらく、その場所であったことを魔法で読み取ることも可能だろう。
 オーディンの言っている相手に察しがついたのか、クロードがあごに手を当て考える。
 
「あのお嬢ちゃんか」
「………あんな子供に出来るのか」
「ヴェスタ」
 
 揶揄を含んだ棘のある口調に、クロードが相手をいさめるように名を呼ぶ。が、ここにいるのは、短気で売られた喧嘩は倍返し、むしろ喧嘩を売るのが得意で同じくらい買うのも得意なオーディンだ。
 
「何が言いたい」
 
 案の定、ヴェスタに向けられた視線は静かなままだ。が、それが決していい兆候ではないことをしっているクロードは、ああ、もうこいつら今、何をしているのかわかっているのかと額に手を置いて嘆息した。
 
「別に」
 
 ヴェスタのそっけない返事にオーディンは眉一つ動かさない。そして、
 
「そうか。…クロード、行くぞ」
「お、おう」
 
 あっさりと引き下がるオーディンにクロードは戸惑いながらも、次の場所へ移動するために二人を誘導するように歩く。
 そして、自分の斜め後ろを歩く青年にちらりと視線をやる。
 
 オーディンは、人にあまり関心を持たない。接触でさえも。どちらかというと馴れ合いに近いことは一切しない。一人で依頼をこなすことが多く、複数で依頼をすることがあっても、その場だけの関係である相手に特別、何かを自分からすることはなかった。相棒になってくれと言われても、それを断るのはオーディンにとっては呼吸と同じようなもの。そして、自分のことを嘲笑するような人間には容赦がなかった。喧嘩沙汰などいくらでも聞いたことがあるし、周囲も実力が上の彼に手を出す人間などいないと認識している。もちろんクロードもだ。だから、その彼と一緒にいて、軽口を叩き合うことの出来る人物のことをいわれてもなんの反応もないのが、逆に恐ろしいと思う。と同時に、あの少女のお陰で少しは丸くなったのか、いや、それはないかオーディンだしなと一人考えながら、次の場所へと足を進めた。
 

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