傷跡 79


 

「……どういうことだ。アリア」
 
 低い、重みを感じさせる声がその場に落とされる。その重圧を受けたアリアは顔を引きつらせた。
 
 オーディンたちが被害者の死んでいた場所を回り確認し、宿に戻ってきた頃には、昼を過ぎ、そろそろ陽が傾き始めるといった時間だった。
 
 その宿の一階。
 昼は食堂に、夜は酒場になる宿のそこには上気した緩みきった顔を隠すことなくテーブルに突っ伏している黒髪の少女。
 
 周囲には数人のベルセルクに所属する傭兵たちが各々、カードゲームや雑談などをしている。が、彼らもこちらが気になるのか、時折、視線をやってくるがオーディンの顔をみると何も見なかったように、さっさとそらす。
 
 ヴェスタは視界にも入れたくないというように、さっさと部屋に戻っていき、クロードが椅子に座り、気持ち良さそうに寝ている少女を面白そうに見ていると、ふいに少女が目を開けた。
 
「あれ?オーディンだぁ」
 
 満面の、それこそ花が咲くようにぱっと顔を輝かせる白刃。
 オーディンの周りの空気が何度か下がった。クロードは噴出すのを抑えるように口に手を当て、アリアは。
 
「いや、ほら、ね。情報を貰いに行ったら、なんていうの?出来上がったおじ様たちがいるわけじゃない?絡まれてはないんだけど、ね?」
 
 冷や汗を流しながら弁解を始める。
 オーディンはアリアの言いたいことを正確に察した。
 
 つまり。
 
 酒場に行けば、酔っ払いの連中に情報を聞きだしているときに、あれよあれよと酒を飲まされたということだろう。
 
「大方、酒を飲まなかったら教えないとでも言われたんだろう?アリア」
「そうなのよ!あ、不埒なまねをしようとしたヤツは沈めたから大丈夫よ」
 
 クロードが大笑いしたいのだろう、耐えているのか口元をひくつかせながら、アリアに訪ねるといい仕事をしたと言わんばかりのアリア。
 オーディンは片手で額を押さえ、ため息をついた。そんな彼を見て、白刃が危なっかしいとしか言いようがない足取りで近づく。
 
「だいじょうぶ?あたまいたいの?」
 
 彼女はオーディンの外套を掴み、引っ張る。つたない言葉になっているのは酔っているからだろう。
 その光景にアリアとクロード以外の傭兵たちが固まる。なにせ相手はオーディンだ。寄り付かせない、触らせない、人と馴れ合わないの傭兵王だ。その彼と共にいるとはいえ、そう近寄って大丈夫なのかと周囲は彼女の手が振り払われるどころか手ひどい仕打ちを受けるのではと思ったのだ。が、周囲の予想とは裏腹に当の本人は。
 
 自分を上目遣いに見上げる相手に眉間に皺を寄せただけだった。当たり前だが、白刃の方が身長は低く、彼の胸あたりに彼女の頭が来るのだ。
 周囲の困惑をよそに、オーディンはこの酔っ払いがと怒鳴りたくなるのを抑え、ふと視線を感じそちらを見ると。
 
「…なんだ」
「いやいや、別に」
「そうそう、なんでもないわよ?」
 
 妙に微笑ましいものをみるような生温かい目をしているベルセルクの団長と副団長。同時に感じる複数の困惑と好奇を含んだ視線。
 
「オーディン?ねー?どうしたのー?」
 
 自分の服を掴み見上げてくる少女に挟まれ、彼は舌打ちを打つ。同時に、
 
「うひゃあ!」
 
 白刃の調子外れな悲鳴が上がる。
 オーディンは肩に少女を担ぐと、可笑しそうな面白そうな顔をしているアリアとクロードを見る。
 
「夕食は頼む」
「はいはい」
「襲うなよ」
「病院にいって来い」
「オーディン!あるける!おろして!バカ!」
「落とされたいか」
「いたいじゃん!」
「やかましい」
 
 そう白刃と言い合いをしながら宿の階段の方へ消えていく二人の背中を、微笑ましげに見る団長と副団長、そして困惑と当惑、好奇と面白いものを見るような複数の傭兵たちの目があった。
 
 
 
「ぶっ」
 
 ベッドに背中から荒っぽく落とされ、白刃は小さく唸る。すぐさま落とした相手を睨みつけると泰然としたいつもの静かな眼差しが彼女を見下ろしている。
 
「おんなのこにはやさしくしないといけないんだぞー!」
「お前のどこが女だ」
「しつれいな!ちゃんとおんなだもん!!」
「いいから寝ろ。酔っ払いが」
 
 白刃から離れようとするオーディンに彼女は顔をしかめ、思いっきりその外套を引っ張る。
 
「な」
 
 咄嗟にベッドに両手と膝をつき耐える。そのまま彼女の上に倒れはしなかったものの、悪戯の成功したような得意げな笑みを浮かべた少女の顔がすぐ傍にあった。
 このくそガキと内心で悪態をつくオーディン。その時、かすかに香ったのはアルコールの匂いだ。
 
「ふふーざまあみ…」
 
 ろと続くはずの声は出なかった。
 
 ふいに鼻についた人の匂い。
 頬や首に掠める髪の感触。
 首筋にかかる吐息。
 密着している体の温み。
 
 
 ―――これは、誰のものだ。
 
 
「っ!」
 
 一瞬で、全身が沸騰する。
 
 頭が真っ白になり、すぐさまぐるぐると思考が渦を巻く。
 息が詰まる。
 叫びだしたいような感覚が全身を駆け巡る。
 離れる体温。
 
 薄暗い部屋の中でかすかな光源に浮かぶ紫紺の双眸は、普段よりも濃い色を宿して、窓から入る夕陽の赤色を反射する。 
 視線が、絡まる。
 
 
 手が頬の方へ伸びて―――。
 
 
「酒臭い。飲みすぎだ」
「ふひゃい」
 
 頬を抓られた。
 手を離され呆れたを含んだ声音に白刃は抗議しようとすると、視界が掛け布に覆われる。
 
「ちょっ」
「寝ろ」
 
 
 そう有無を言わさず頭を抑えられると白刃には抵抗できない。混乱しながらも、いいように扱われているという悔しさと胸の鼓動を感じながら、そのまま押し寄せる睡魔に身をゆだねた。
 

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