傷跡 84


 

 領主の館に踏み込む事になったのは、夜中の家人が完全に寝静まってからだった。
 
「明け方には終わらせたいな」
 
 館の外壁を見上げながらそういったのはクロードだ。アリアは隣で腰にさした剣の柄をなでながら、
 
「魔族がいるから厄介ね。やっかいなのは魔法士もだけど。館が壊れないかしら
「壊れても問題ないだろう」
 
 ヴェスタがはき捨てるように呟き、その言葉にクロード、アリアは苦笑またはにやりと笑いながら周囲にいる傭兵たちを見る。
 白刃とオーディンはクロードが傭兵団のメンバーに指示を出している後方にいた。彼女の髪にはシュスラーレの城下で買った髪飾りがつけられている。
 
「魔族か魔法士どちらかと当たる」
 
 外壁を見上げていた白刃の隣からオーディンが呟いた。彼女はそちらを見上げる。
 
 月は出てない。ただ、雲が流れていく闇夜を背景にオーディンの紫紺の双眸が彼女を見ていた。
 
「だろうね」
 
 白刃が頷く。魔族と遭遇したときに感じた感覚に彼女の漆黒の双眸に影が落ちる。
 ふいにうつむいた少女の頬にあたる髪を無骨な指が払う。その仕草に、動揺しそうになる心臓をなだめつつ彼女は顔を上げる。視線の先には揶揄するような紫紺の双眸。
 
「怖いのか?」
「誰が」
 
 くつくつと喉の奥で笑う青年を恨めしげに睨むと、髪に触れていた手が頬を滑る。心臓がはねる。
 咄嗟に噛み付こうとした声は出なかった
 
 なぜなら。
 
 ゆらいだ紫紺の双眸。
 そこにあるのは悲しみに似た切望の色。
 
 こえが。
 
 なにかをいわなければならない、のに。
 いつものように。
 
 なにか、を。
 
 こえが。
 
 
 出ない。
 
 
 時が止まるかのような錯覚のなか、離れていく頬の温もり。
 
 離れていく背中に無意識に伸びる手。
 
 
 その手が―――届くことはなかった。
 
 
 そして、
 
「行くぞ!」
 
 鋭い突入の合図が空気を揺らした。
 
 
 
 
 白刃はアリアと他数人の傭兵たちと共に館の使用人が出入りする扉から入り、領主のいる場所を目指していた。
 
 図面をどこから手に入れてきたのか、領主の館に魔族がいるとわかってからの行動は早く、作戦は二手に分かれて、魔法士及びに魔族の捕縛だ。その際に、職務怠慢という形で領主の身柄を拘束するという大胆といえば大胆。大雑把なといえば大雑把なものだった。
 
 白刃たちは領主の身柄の拘束、オーディン、クロード、ヴェスタ、他数人の傭兵らは魔族、魔法士の捕縛別れてに侵入していたちなみに、他の傭兵たちは館の外に待機しているものと近郊の騎士団の詰め所へ走るものなどに分かれている。
 
「そういえば、白刃ちゃん」
 
 不意にアリアが小声で白刃に話しかける。白刃が顔を上げるとどこか案じるような色を宿した目と視線が合う。
 
「オーディンと何かあったの?
「何かって…」
 
 周囲を探っていた顔を引っ込めたアリアの問いに白刃は答えようとして。
 
 一瞬で髪に、頬に触れていった温もりが脳裏を過ぎる。すぐさま顔が沸騰するのを自覚した。こういった状況でなければ今すぐ、叫び声をあげながらそこら中を駆け回っているに違いない。
 
「何も、ないと、思います…」
 
 むしろあってたまるか。
 
 顔をあげることが出来ず、羞恥に身を震わせている白刃のぶつ切りの答えにあらあらと声を殺して笑うアリア。その二人を他の傭兵たちは作戦中にも関わらず呆れ、苦笑交じりに見ていた。
 
 その時。
 
「やはり来たか。ネズミどもが」
 
 低い声と共に飛来してきた氷の刃を白刃は焔でなぎ払う。同時に風の刃を相手に向かって放つと同じ風によって相殺され、魔力同士が爆発した。
 
 
 
 
 館の一角で起こった爆発は館全体を揺るがした。
 
「接触したか」
「どっちだ?」
「魔族」
 
 ヴェスタが爆発の起こったほうを見て、クロードがオーディンを振り返ると淡々とした返事が返ってくる。
 
「意外に冷静だな」
 
 どこか感心したようなクロードにオーディンは冷めた視線を向ける。
 
「戦場で気を逸らしたらそれこそ命取りだ
 
 言うが否な、三人はいつの間にか抜いた剣で放たれたナイフを弾き返す。彼らと一緒に行動している傭兵たちも剣を抜いている。その表情は硬く、強張っている。
 
 ヴェスタ、クロードもそれぞれ剣を抜いてナイフの飛んできた廊下の奥を見据える。そこからぬっと出てきたのは使用人の服に身を包んだ男女数人の姿だ。
 
 ここで相手が普通の状態であった場合、彼らはそれぞれ声をかけていただろう。が、生憎と彼らは普通ではなかった。
 
「いい趣味だ
「頭が腐っているんだろうよ
オーディン、褒めるな。ヴェスタ、口調悪いぞ
「「気のせいだ」」
 
 彼らの服には赤い血がべっとりと付着し、目が抉れているもの、腕があらぬ方向へ曲がっているもの、耳がそがれ足が曲がりそれでも歩いているもの、といったどれも生者の姿をしていなかったのだから。
 
 ここで白刃がいたら―――リアルなゾンビ集団などと言いながら―――顔を青くして問答無用で焔を出していただろう。その想像にオーディンは内心で苦笑した。先ほど戦場で沸騰すればといったのにとどこか自嘲を含んで。
 
「蹴散らすぞ」
 
 
 そのクロードの冷徹な声に彼は死人としか見えない敵に向かって剣を振るった。
 
 

       TOP       

inserted by FC2 system