傷跡 86


 

 魔力の衝突による爆発で舞い上がった粉塵が収まり始めた頃、目の前でたたずむ魔族を白刃は注意深く見詰める。
 
「……やはり、面倒だな。お前」
「それはどうも」
 
 魔族が忌々しいといわんばかりに顔をしかめる。それに対して白刃は、緊張を滲ませてはいるもののあっさりと返事を返す。と、その彼女の隣に剣を構えたアリア、そして魔族を囲む形で剣を構えた傭兵たちが並ぶ。
 
 そんな彼らを睥睨すると魔族はアリアを見据える。
 
「退け。貴様らを相手にしている暇はない」
「そういわれて退くヤツはいないわよ」
「俺に向かってそんな口を聞くとは…」
 
 アリアの返答に魔族はまぶたを伏せ、そして再び開いた瞬間。
 
「まずい!」
 
 白刃が魔族の周囲に多重の結界を展開、同時に廊下から飛び出した数本の太い氷の柱が魔族の足元から伸び、こちらを串刺しにしようとした鋭利な影を弾き、壊される。
 
 そして。
 
「縛れ!!」
 
 怒鳴るような声と共にしなるのは雷を帯びた鞭だ。同時に、白刃の横からアリアが風のように魔族に肉薄する。
 アリアの剣を余裕の表情で受け流し、雷の鞭を片手で弾かれる。
 
「邪魔だ」
 
 白刃が作りだした数本のうちの壊れた氷の柱に手をかざす。魔族の360°の周囲に子供のこぶし程の水の珠が構成されるとアリアや周囲の傭兵に弾丸のように殺到する。
 
 白刃はそれを風圧と焔の珠でいくつか相殺させる。同時に、魔族の横にある氷の柱の中を熱湯に変えて爆発させる。
 
「傭兵さんたち、大丈夫ですか!?」
 
 水蒸気がもうもうと立ち込める中、白刃が叫ぶと応じる声がぱらぱらと上がる。それに安堵したのもつかの間、目の前の水蒸気からぬっと出ていた手が白刃の細い首を掴み、廊下へとその痩身を叩きつける。
 
「がはっ」
 
 圧迫される気道。衝撃に目がくらむ。ぼやけた視界で魔族が無造作に片方の腕を振り上げた瞬間、その腕が消えた。
 正確には肘から先の切り離された腕が鮮血を引きながら中に舞う。視界の端には剣を振り切ったアリアの姿。
 
「白刃ちゃん!」
 
 一瞬の驚愕から名前を呼ばれた我にかえった白刃は、即座に自分の上にのっている魔族の横っ面を殴り飛ばす。魔族は衝撃を殺すことなく廊下の壁を突き破り、部屋へと突っ込んだ。
 
 もっとも、殴りとばしたのは白刃自身ではなく廊下の壁から巨大な拳を生やさせてだが。
 
 起き上がった白刃に駆け寄るアリアを視界の端に入れながら、自分が吹き飛ばした魔族をみる。
 
「やってくれたな。小娘」
 
 心底、憎いといったように魔族が崩れた壁などの残骸から立ち上がりながら履き捨てる。
 
 氷柱を爆発させたときに砕けた氷のつぶてが鋭利な刃となって魔族に降り注ぐと同時に、熱湯とはいえども水には違いない。最初に弾かれた雷を帯びた鞭がそれに反応して感電もしている。その証拠に白刃から見て魔族の右の肩から胸元にかけて皮膚がただれ、足には氷のつぶてが突き刺さっている。
 
「頑丈にも程があるだろ」
 
 思わず呆れた口調になってしまう。そして、白刃は魔族の足元を見て、表情を強張らせた。
 剣を構えた傭兵たちも顔を険しいものにしている。
 
 魔族の足元。
 
 そこには細かったり、太かったり、丸みを帯びた白い固まりが布切れから覗いていた。その布切れは使用人の服。白い固まりは。
 
 白刃はのどの奥からこみ上げてくるものを必死で抑えた。顔色を蒼白にした少女の肩に手を置きながら、アリアが魔族を見る。
 
「使用人ね」
 
 低い声がぼそりと呟くと、魔族は白刃たちの表情や視線から合点がいったのか嘲笑を滲ませた。
 
「ああ。魂を抜いた後の片づけが面倒でね。放っておいたのさ」
「まさか、屋敷の使用人全員こんな風にしたのか!?」
 
 傭兵の一人が怒鳴り声を上げると、魔族はさもおかしそうに笑う。
 
「えさをやっていたらいつの間にか全員になっていただけだ。ああ、他のは別のやつらのところにいかせたぞ。死人だから有効活用させてもらった」
 
 人形として。別のやつらのところへ。死人。
 白刃の頭の中で言葉が回る。何かがつかめそうでつかめない感覚にもどかしさを抑えるように唇をかむ。
 
「貴っ様!」
「待て!!」
 
 激昂した傭兵たちが魔族に突進しようとしたのをアリアの鋭い声が押しとどめる。
 
「領主はどうした?」
 
 アリアに止められた傭兵たちが息を呑む。まさか。
 魔族はアリアの鋭い眼光にも怯まず、人間らしい仕草で肩をすくめた。
 
「生きてはいるさ。ただ、人間ではなく入れ物にすぎない人形になっているがな」
「……入れ物?」
 
 魔族の言葉に白刃の脳裏に閃光のように過ぎるいくつもの言葉。
 
 抜かれた人の魂。
 えさ。
 入れ物。
 魔族。
 魔法士。
 
「…まさか……」
 
 それは、決して行ってはならないもの。それは禁じられたもの。
 
 白刃の呟きを聞いたのか、アリアが一瞬だけ彼女に視線をやる。が、白刃は気づかない。
 魔族は顔色が悪い少女を面白そうに見る。
 
「ほう、気づいたか。だが、準備は整った。あの男さえ片付ければ終わりだ」
「どういうことだ!?」
「シラハちゃん?」
 
 傭兵の一人が気色ばみ、自分の名前を訝しげに呼んだアリアの声が白刃の耳を素通りしていく。
 
 
 あの男。誰だ。誰のことだ。
 
 胸騒ぎが収まらない。背筋を冷たいものが降りる。自分の頭にある知識から導きだされる答え。
 
 脳裏にちらりと過ぎるのは紅い髪の。頬に触れた手の。
 
 髪飾りに少女の手が触れる。
 
 
 これをくれたのは。
 
 
 唇を歪めて嘲笑を浮かべている魔族。
 刹那、少女の胸に焼き尽くすような感情が吹き上がる。
 
 
「シラハちゃ…っ!?」
 
 
 激情で言葉に出来ない声がはじける。同時に膨大な魔力が轟音と光と共にアリアたちの視界を染めた。
 
 

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