終わりの歌 90 


 

 その日はとてもよく晴れていた。
 
 澄み切った空の青、高い空には太陽が輝き昼間だというのに花火があちこちで上がっている。
 
 シュスラーレ国の五大都市のひとつゾルテ。この都市は、シュスラーレ国の南西に位置する。隣国との国境である山脈のふもとに位置する都市で、王都から離れてはいるがある名物があることで有名な上に、都市の発展にもつながっている。
 
 隣国との国境である山脈も勾配が険しくシュスラーレ国側からも隣国側からも登る事ができない。その上、隣国側にはシュスラーレ国にもあるような魔物たちの巣窟、太古の昔から姿を変えていない秘境である『深海』と呼ばれる樹海が広がっている。
 
 だからこそ、この都市は隣国の脅威にさらされることもないのだ。
 
 そんなゾルテの都市の大通りには多くの屋台が両脇に並び、家々には色とりどりの花や布で飾りが付けられ、道は活気と喧騒、人々で溢れ、貴族などの紋章の入った馬車が列を成している。
 旅人や商人、吟遊詩人や演劇をやるのだろうか道化師らしい格好をした人が魔法などを見せて子供や大人を楽しませている。
 
 
 そんな活気ある、思わず踊りだしそうな都市の空気とは裏腹に、都市から離れた森の中。詐山脈に沿って、北に向かった辺りには魔物の咆哮や魔法の爆発音、剣戟の音が響いていた。
 
「あー!もう!!お祭りだっていうのに!なんで、こんな、目に、合う、かなぁ!?」
 
 向かってくる身の丈が三メートルほどあり鋭利な角を額の中心に生やした熊―――熊よりは細い体型だが―――のような魔物を相手に魔法士のローブを頭からすっぽり被った人物が、魔法を放つごとに言葉を切り魔物を確実に仕留めていく。
 声は少女のそれだ。
 
「口より頭を働かせろ」
 
 彼女の文句に答えたのは抑揚のない低い男の声。男の方は、紅い髪に紫紺の双眸を持っていた。
 
「わかってるよ!」
 
 叫ぶと同時に彼と少女の間に風が巻き起こり、間に飛び込んできた魔物の足をすくう。そこに青年の剣が鋭く煌き魔物の首を飛ばした。
 
「これで最後だな」
 
 そういって、青年は剣についた血を払い鞘へ納めながら周囲を見回す。
 
 少女の方は近くの大木の枝に止まっていた白い小さな獣に手を伸ばす。獣はこうもりのような翼をばたつかせ少女の下に嬉しそうに鳴きながら降りてきた。
 
「ここに来てもこんなことするなんて思わなかったよ」
 
 げっそりと少女が呟くと彼女の肩に乗った獣が心配そうな声をあげる。それに青年が片眉を上げて。
 
「いつものことだろ」
「それがイヤなんだってば!!」
「わめくな。今から行けば、まだ間に合うだろう」
 
 頬を膨らませる少女に青年が極自然な態度で手を差し出すと、彼女は戸惑うことなくその手を重ねた。
 
「…ご飯」
「色気より食い気か」
「育ち盛りなんです!」
「どこがだ?」
「どこ見てんの!」
 
 青年の視線に少女の怒声が森に響き渡った。
 
 
 
 
 彼らが都市に着いたころには昼過ぎくらいだった。屋台や飾り付けられた建物に目を奪われながら歩く魔法士のローブを着た少女。彼女の手を引く紅い髪の青年と彼の肩に止まっている白い獣。
 
 普段なら目立つ彼らもこれだけの人ごみの中では目立つ事もない。気兼ねなく周囲の光景を楽しんでいた少女は空から降ってくるものに気付いて、青年の手を強く引いた。
 
「なんだ」
「あれ!」
 
 少女の指差すほうを見上げた青年が小さく呟く。
 
「ああ」
 
 澄んだ晴れ渡った空から降ってきているのは、色とりどりの子供の爪の先ほどの大きさの花だ。それはいくつもいくつも回りながら、規則的に、時に不規則に降ってくる。
 
 人々の歓声が大きくなり、子供たちはそれを捕ろうと空へ手を伸ばす。大人たちは優しげな微笑を浮かべ、時にはうっとりとして落ちてくるそれを見ている。
 
 それは山脈の頂上付近にある岩の間などに生息する草木の花や花弁だった。
 ゾルテの街にこの季節、山脈の傾斜を伝って風が吹き、その草木の花や花弁が稀に都市に降り注ぐのだ。
 
 それは、例えようがないほど儚く優しく美しく、神秘的な光景だった。
 
 これらの花を総じてスラヴァと呼び、降るとその年の収穫が約束されるということもあり、この季節ゾルテの都市は活気に溢れる。そして、もう一つのジンクスがある。
 
 それは―――。
 
「綺麗だ」
 
 いくつも降り注ぐ花や花弁は道に降り積もっていく。ラサでの騒動の後、ここ二年ほどこんな光景をみていなかった。それ以前も、見た事がなかった。
 
 少女がフードを取り去る。
 
 陽光に煌くのは黒。その下にあるのは漆黒に煌く双眸。その稀有な瞳が喜色を滲ませて、傍らの青年を見上げる。
 
 瞬間、唇に触れたのは柔らかい何か。
 
 青年の顔が離れる。
 
 目を零れるように瞠り、顔を赤く染めている少女を見て、彼は紫紺の双眸を細め、ほのかに笑みを浮かべた。
 
 
 今まで見た事もないような柔らかい笑みを。
 
 
 もう一つのジンクス。
 それはスラヴァが降る下で、口付けを交わすと幸せになれる。
 それがゾルテに伝わる恋人たちの間での言い伝えだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 傭兵たちの間でまことしやかに囁かれる御伽噺がある。
 それは歴代最年少で傭兵王となった青年のお話。
 彼は孤高で、誰にも屈せず、膝を折らず、誰の言葉も彼をとどめることは出来ない。怜悧で冷酷だといわれ、人と群れない青年。
 彼は風の傭兵と呼ばれる紅い髪に紫紺の双眸を青年だった。
 彼のその生涯はある一人の少女と共にあった。
 少女は黒髪に黒い瞳をもった世界の愛し子だった。
 そして彼女は―――暁の魔女だといわれている。
 
 

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