偶然との邂逅 02

 

 

 暗闇に浮かぶのはそれよりも濃い人の輪郭。
 
 暗く淀んだ、魔物の領域を進む人影に迷いはなかった。
 闇の中に溶け込みやすいように濃い色の外套を頭からスッポリと被った人影は、木々の間から見える場所に目を細めた。
 
 紫紺の双眸が怜悧に、冷たく凍えていく。
 
 そして、その唇の端を薄っすらと上げた。
 
 
 
 
「お嬢ちゃん、気分はどうだーい?」
「お母さんが恋しいですかー?」
「ぎゃははは!それはお前だろうが!」
「んだと、このヤロウ!!」
 
 白刃が入れられている牢屋の前に来た男たちは、うつむいた彼女の様子から怯えていると思ったのだろう。からかうような言葉をかけてきて、仲間同士で喧嘩を始めた。
 
 一方、白刃の心境はというと。
 
 酒臭い。
 
 その一言に尽きた。
 
 顔をしかめながらも、牢屋の格子の向こうにいる酒の匂いをぷんぷんとさせ、赤ら顔の男たちに目を向ける。すると一人の男が口笛を吹いた。
 
「こりゃあまたすげぇな」
「双黒だもんよ」
「見事な色だよなぁ」
 
 白刃はかすかに眉を寄せる。
 彼女の髪と目は確かに日本人でも真っ黒といわれるほど黒い。それは祖父の血を色濃く継いだからなのだろう。
 
 それでも、黒がここまで感心されるとは思えない。それどころかこの男たちの反応からして、珍しいものなのだろうかと、思考をめぐらせていると。
 
 奥の方から怒鳴り声が聞こえ、男たちはそちらに興味を引かれたのか陽気な声を上げながら引き上げていく。
 
「なんだ?」
「また、喧嘩だろー?」
「またかよ」
「どっちに賭ける?」
 
 そんな声が遠くなっていくと、お酒の匂いも遠ざかる。それにほっとしていると、何かがきしむ音が聞こえ、彼女の頭上に影が落ちた。
 
 はっと息を呑む。
 いつの間に格子のこちら側に来ていたのか、すぐ傍にきついアルコールの匂いを漂わせた男の姿がある。
 
「な…っむぐ!?」
 
 驚愕の叫び声を上げる暇もないまま口を片手でふさがれ、押し倒される。彼女の顔が歪む。
 目の前の男の焦点は合ってない。どころか。
 
「…ちょっとくらいなら、いいだろう?なぁ?」
 
 なにがちょっとだこの変態ロリコンヤロウがと白刃が胸中で怒鳴り声を上げる。
 下卑た好色な色を隠さない表情に脅えや疑問が吹き飛んだ。
 
 出来る限り体をよじり、足をばたつかせ暴れる。
 
「…このっ!大人しくしねぇか!」
 
 男が力ずくで白刃をねじ伏せる。そして、彼女の制服からむき出しになった足をなぜる。
 
 その瞬間。
 
 彼女の中で何かが吹っ切れた、いや、爆発した。
 
「…お、お願い」
「あん?」
 
 少女のか細い声に男が怪訝そうに視線を彼女に向ける。
 そこには恐怖に潤んだ漆黒の双眸。わななく薄い唇が動く。
 
「…手、解いて。……このままじゃ、いや」
 
 男は生唾をごくりと飲む。
 
 薄暗い牢屋の中に差し込む松明の炎のかすかな光を反射するのは怯えと羞恥に揺れ、潤んでいるのは黒い双眸。そして暗闇でもその色を損なうことのない艶やかな黒髪。どちらもこの世界では滅多にお目にかかれない希少で貴重なそれ。
 
 男は震えながら懇願する少女に征服欲を触発され、嬉々として顔を綻ばせる。
 
「よ、よし!いいぞ。逃げるんじゃねぇぞ。いい子にしたら、天国を見せてやるからな」
 
 上ずった声でいいながら少女の体を起こし、手を縛っていた紐を解く。その時。
 
「なんだ!?」
 
 奥の方で、男たちの叫び声や怒声、さらには澄んだ剣の音だろうか。彼らの耳に届く。
 
 先ほどまで緩んだ顔でいた男が緊張と鋭さを増した目を牢屋の右側に向ける。白刃はそのすきに、牢屋の隅に隠していたあるものを掴むや否や、そのまま振り下ろした。
 
 鈍痛を思わせる重低音と何かが壊れる音、ぐもった声がして男の体が離れる。
 男の後頭部で炸裂したのは、先ほどのスープの入った陶器の器だ。粉々になったそれは地面に落ちている。
 
 白刃は荒い息を整えながら立ち上がる。そして、軽く目を回している男を見下ろした。
 
「こ、この…なにがちょっとならいいだろう…だぁ?」
 
 声は震えている。
 
 怯えやきょうふでもない。ましてや、不安にではなく。
 
 
 
 ―――激烈で温度があれば灼熱のような怒りで。
 
 
 
 その証拠に漆黒の双眸には抑えがたい怒りが渦巻いている。
 
「ふざけんなよこの好色ジジイが。天国なら自分だけで行ってこい」
「…う、うう、てめぇ、こんなことしてただで済むと思っ…!?」
 
 うずくまった男のうめき声に白刃はその漆黒の双眸を険しくすると、容赦なくかつ力強く思いっきり股間を蹴り上げた。声にならない言葉を発した男はそのまま昏倒する。
 
 白刃はそれを見下ろし、ふうと軽く息をつく。同時に、この時ばかりは普段、向かってきた変態や男に対してそれはやりすぎじゃないかと思うような仕打ちをする友人の言葉に深く感謝した。
 
 
 ―――襲われたら、油断させて逆に返り討ちにすればいいのよ。わたしたち女はか弱いんだから。
 
 
 語尾にハートマークを飛ばし―――いや、あんたがか弱いとかありえないからという自分のツッコミを総スルーした―――綺麗に笑っていった友人の顔を思い出して彼女だけはこれから先、何があってもどんなことがあっても怒らせないでおこうと以前のように再び誓いを胸に刻みこむ。
 
 男が気を失っていることを確認し、牢屋から顔をだし未だに怒号や剣の音がしている方を見る。
 
 
 しばらく逡巡するが、そのまま彼女はそろりと喧騒の方へ足を踏み出した。
 
 
 
 
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