偶然との邂逅 03

 

 洞窟の中は彼らにとって安全な家だった。
 
 洞窟の外である森には人は滅多に足を踏み入れない。そればかりが騎士や傭兵も二の足を踏むような場所だ。
 そして洞窟の中は、横に伸びる穴があり広い場所もあれば狭い場所もある。見張りに立たせていた仲間たちが迷う事はない。
 
 襲撃を受けたとしても仕掛けられた罠がその侵入者の存在を教える。
 
 
 ―――その筈だった。
 
 
「…馬鹿、な」
 
 盗賊の一人はそんな呟きを零しながら、自分の腹から抜かれた剣のきらめきを見たのを最後に、その場に倒れた。
 
 白刃は絶句した。
 
 牢屋の横穴から出てきた彼女は目の前にある広い場所での光景を呆然としてみていた。
 
 向かっていくのは剣や短刀、鈍器やら斧やらといった武器をもった数十人の屈強な男たちだ。
 
 立ち向かっているのは剣を持った青年。
 洞窟内にある松明に照らされているのは色鮮やかな紅い髪。その下から覗く鋭利で凍えるような感情をいっさい映していない双眸は紫紺。
 
 彼が剣を振り、男たちを倒していく。その動きに合わせて濃い色の外套が風を受けたようにはらむ。それは歴戦の戦士を思わせるような姿だった。
 その青年の持つ色彩と姿が彼女の双眸に鮮烈に焼きつく。
 
 彼女が見たことがない光景の中で、その存在は強烈だった。
 
 何十人といた仲間が一人の青年によって倒される光景に、盗賊の一人が怯えの表情で雄たけびを上げながら青年に向かう。それを青年が難なくかわし鋭く剣を走らせると、男の体から鮮血が吹き出る。
 
 突如、悲鳴があがる。
 
 それは切られた男の声ではなく、怯え、恐慌に陥った高い女の声。
 
 白刃は我に返ると視線をめぐらせ、ある一点で止めた。
 
 男に羽交い絞めにされ剣を突きつけられている妙齢の美しい女性がその顔を恐怖に歪ませている。
 
「く、来るな!!来るなぁ!!この女を殺すぞ」
「ひぃ!!」
 
 これはなんのドッキリだと彼女の冷静な部分が呟く。が、そんなことに構っている暇はない。
 現実は彼女の混乱とは別に進んでいく。
 
「来るなっていっているだろうが!?」
「お願い!助けてぇ!!」
 
 男の切羽詰った恐怖を滲ませている声と女の悲痛な涙を含んだ懇願の声。
 どうするのかと思って白刃は顔を険しくする。青年がゆらりと足を踏み出した。
 
「おい!聞こえんのか!?」
 
 男の虚勢に青年がどこかつまらなそうな、一切感情を感じさせない視線を向けながら口を開いた。
 
「好きにしろ」
 
「は!?」
 
 驚愕に目をむく男。人質になった女性も白刃も青年が何をいったのか理解できなかった。
 
「好きにしろといったんだ。俺はお前らを潰しに来ただけで、誰かを助けに来たわけじゃない。ましてや、見ず知らずの女なんぞどうでもいい」
「人質がどうなってもいいのか!?」
「てめぇは傭兵だろう!?依頼を請けたんじゃねぇのか!?」
 
 青年の周囲にいた生き残った男たちが叫ぶ。それに青年が浮かべたのは嘲笑。
 
「はっ。言っただろう?潰しにきただけだ、と。第一、女を殺そうが、何をしようが俺のすることは最初から変わらない」
 
 淡々と語られる言葉は、嘘ではないのだとその場にいる人間全てに嫌でもわかった。
 
 人質の顔は顔面蒼白。男は信じられないものをみるような視線を青年に向けている。
 白刃は衝撃を受けてそのままその遠く離れた青年の静かで冷たく鋭い横顔を見る。すると青年の紫紺の双眸と視線が交差する。
 それは瞬きにも等しい時間。
 
 白刃の背中に衝撃がはしった。
 
 一瞬だけ交わった視線。紫紺の目。
 射抜くような眼差しには、ただ鋭さと冷たさだけがあった。
 
 感じたのは恐怖か。それとも―――。
 
 
 漠然とつかめないものを掴み取ろうとするような思考のふちから、白刃の意識をもどしたのは男の切羽詰った怒声だった。
 
「ちくしょう!ちくしょう!!このヤロウが!!なめやがって」
「勝手にほえろ。三下が」
 
 青年が絶対零度の嘲笑を滲ませた声で答える。
 白刃ははっと息を呑んで、彼らの方を見ると男の顔は赤く染まり、理不尽なまでの怒りが浮かんでいる。
 
 これでは何をするかわからないと彼女の中で警鐘がなる。そして。
 
「なら殺してやらぁ!!」
 
 そう叫んで人質の女性に剣を突きたてようと剣を降る。女性が絶望の表情を浮かべ、自分に迫る刃をその瞳に映す。
 
 体を、思考を突き動かす衝動が生まれる。
 同時に、何かが自分の奥底から湧き上がる感覚のままに白刃は叫んでいた。
 
「だめ!!」
 
 刹那、人質に突き立てられようとした刃が燐光を発し、こっぱ微塵に砕け散る。唖然とする男と人質。
 すかさず紅い髪の青年が人質の女性の顔の横、男の喉に剣を突き刺した。血の泡を口の端から吹き、男が倒れる。
 
「…っ」
 
 人質は声も出ないのか、顔を蒼白にして腰を抜かす。背後の男はそのまま立ち上がることはなかった。
 
 白刃は呆然とその光景を見ていた。
 
 何が起こったのかわからなかった。いや、判断したくなかったのかもしれない。
 
 体が小刻みに震えている。息が上手くすえない。耳がよく聞こえない。現実が遠ざかる。
 
 遠いどこかで、誰かの憎しみに染まった怒鳴り声があがる。
 目の前に迫ってくる刃は誰のものだ。
 怒りに燃えた男の目には明確な殺意が渦巻いている。
 口が何かを言っている。
 
 男の向こうに一瞬だけ見えた紅い髪と銀色の軌跡。
 
 
 うめき、顔を歪ませ自分の目の前で崩れ落ちた男は―――誰だ。
 
 
 膝が崩れる。視界が赤から暗闇にそまる。うつむいた視界に映るのは血や土に汚れたくつ。
 
 視線をくつから膝へ、膝から腰へと上げる。
 見上げたそこには、松明に照らされた紅い髪と暗い光を讃えた紫紺の双眸があった。
 

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