偶然との邂逅 04

 

 

 

 ―――暗い、冥い、紫紺の双眸に、かすかな震えを覚えた。
 
 
 
 今は、もう、昔の話だけれども。
 
 
 
 
 
 
 
「魔法士か」
 
 問いかけられたのか、それとも確認だったのか。それともただの呟きだったのか、混乱した白刃にはよくわからなかった。
 出来たのは、言葉を鸚鵡返しに繰り返しただけ。ただ、呆然と、たどたどしく。
 
「ま…ほし?」
 
 少女の答えに混じった怯えや当惑に気付いたのか、青年はそうと気付かれないように眉をしかめた。
 
 世界で稀有な存在。
 祝福の姫君。
 世界の愛し子。
 
 そう呼ばれている彼らは総じて黒髪に黒い双眸を持っていた。
 
 
 目の前にいる少女のように。
 
 
 身にまとっている服装は露出が多いが華街で見かける女たちの格好よりもまともだ。
 白刃は自分を見下ろす青年を見返し、はっとする。そして、未だ呆然とした体でなんとか声を絞り出した。
 
「あの、ありがとう…ございます」
 
 青年が目を細めると白刃はその鋭さに何か間違えただろうかと体を小さくした。
 青年は、盗賊がどこかで攫ってきたのだろうと結論付けていた少女が礼をいったことに内心で驚いていた。
 
 この状況で礼を言える人間は少ない。人を殺した人間に対して向けられるのは嫌悪や畏怖や怯えの視線だ。
 
 自分の周りには殺気立ち、彼を殺そうと、その命を奪おうとしている男たちが―――最初から随分、人数は減ったとはいえ十数人はいる―――剣を向けているにも関わらずに、彼は少女を凝視していた。
 
 それが油断だったのだろう。
 
 白刃のすぐ傍の岩陰。青年からの死角。そこでうごめいた影に彼が反応する前にそれは起こった。
 
「死ね!!」
 
 声が降ってくると同時にどんとした息が詰まる衝撃が白刃の全身を走る。
 岩のくぼみに身を預けて、固まり震えていた数人の美しい容姿をもった女性たちの口から出た甲高い絶叫が洞窟内を反響する。
 
「は、ははっ。ざまぁみやがれ!!ははっ…」
 
 信じられないほどゆっくりと視界が傾いていく中、青年の見開いた紫紺の双眸と視線が交差した。
 
 男は―――白刃を刺したのは先ほど牢屋で彼女が殴った相手は―――歪んだ愉悦を含んだ笑い声は突然、途切れた。
 
 青年が倒れた少女に駆け寄る前に、背後から盗賊の残党が剣や斧、短刀などを振りかざし襲い掛かる。
 彼は舌打ちすると無造作に男の心臓を振り返ることなく突き刺す。そして、その唇から低い言葉が漏れた。
 人を簡単に吹き飛ばせるほどの圧力を持った風、いや、嵐が吹き荒れる。もんどりうつ盗賊たちに青年が肉薄する。
 
 白刃は怒号と剣の音、血の匂い―――人の命が確実に消えていく光景を霞んだ視界の中で見ていた。
 
 断続的にくる痛みは否応にも彼女にこれが現実だと突きつけている。
 背中全体が熱を持つ。
 硬い岩を投げ出した手でかく。爪がぎりと音を立てた。
 
 死ぬのだろうかと漠然とした思考が浮かぶ。
 
 朦朧とする意識の中で、煌く銀色の鋭さと紅い髪だけがはっきりとした色彩を持っていた。
 
 
 
 
 殺戮というに相応しいその光景は数分のうちに静まった。
 
 あれだけ騒がしく、お酒や香ばしい食事の匂いに包まれていた場所は今は呼吸音すら聞こえるかのような静寂と血の匂いが漂っている。
 青年は自分に向けられている女性たちの怯えや畏怖、嫌悪の視線に構うことなく剣を鞘へ納めると足を倒れた少女に向けた。
 
 
 
 
 朦朧とした意識を覚醒させたのは頬に走った痛みだった。半ば、誰だこんなことをするのはと思いながら、霞んだ視界を凝らす。
 
 目に飛び込んできたのは紅。
 さっき見た紅色ではなく、鮮やかで峻烈なその色。
 
 紫紺の双眸が凪いだ眼差しで彼女を見ている。
 
「……楽にしてやろうか?」
 
 白刃には彼がいっている言葉の意味はわからない。
 
 
 ここで終わるのだろうか。
 
 
 自分の鼓動の音が聞こえる。静かに、強く。
 
 
 何も知らないまま。このまま誰にも知られることもなく。
 
 
 体の奥底から湧き水の如く、せりあがってくる何か。
 
 
 そんなこと。
 
 
 青年の手が腰の剣の柄に伸びる。すらりと松明の炎を反射する刃。
 
 
 まだ。
 
 
 白刃は地面に投げ出した手で岩肌をかく。漆黒の双眸で紫紺のそれを見返す。洞窟の炎を反射して鮮やかに煌く双眸は最初の暗い色はなく澄んだ色だった。
 
 黒髪が風もないのに揺らめき、亡羊とした漆黒の双眸が確かな光を宿して煌く。
 
 
 どくんと鼓動が、はねる。強く。
 
 
「安らかに眠れ。世界の愛し子」
 
 
 青年の剣が白刃の真上に掲げられ―――振り下ろされた。
 
 銀色が残像となり、彼女の体に衝撃が走った刹那。
 
 
 
 
 
 少女から溢れた莫大な力と光の帯が風となり、圧力となり、洞窟内を走りぬけた。

 

 

 

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