偶然との邂逅 06
「どういうことですか?」
白刃は目の前にいる老人にそう聞いた。震える声で。
分るけど分かりたくない。そう解りたくなどないのだ。
ここが、どんな場所なのかなど。
今、起こっていることなど。
老人の目に浮かぶのは、憐憫か哀れみか。それとも同情か。
「事実だ。ここはシャイン・ティア・ノーラという世界で、国の名はシュスラーレ国。今、お前さんがいる場所は、そのシュスラーレと隣国との境にある魔物が跋扈する黒の樹海に近い田舎街のリーグル」
シャイン・ティア・ノーラ。シュスラーレ国、黒の樹海、リーグル。
知らない。そんな名前は。
異世界。
その単語が浮かんでは消える。
青年が出て行った部屋で、老人と今の状況を話し始めてからどれくらいたっただろうか。その時、自分の知っていることと老人の言っていることが食い違い、ためしに知っている国の名前をだしていったのがそもそもの発端。
老人の口から出てくる国の名前も街の名前も。そもそも樹海イコールあの有名な山の裾野に広がる方位磁石が使えない場所しか思い当たらない彼女には、いろいろなことを言われても混乱すること以外、何もできない。
さらに老人は彼女に追い討ちをかけるように告げる。
「そして、先ほどの小僧とお前さんは契約を結んだ」
「契約?」
鸚鵡返しに聞き返す彼女に老人は淡々と言葉を続ける。
「命同士を結ぶ≪束縛≫と呼ばれる契約だ」
瞬間、白刃の視界が真っ黒に染まると同時に青年の顔が過ぎった。
道理で怒るはずだと自嘲がこぼれた。
「大丈夫かの?」
気遣いを含んだ声音に彼女は目を閉じ深呼吸をして顔を上げる。
部屋にはランプの仄かな明かりが満たされているだけで、窓の外は闇と静寂だけだった。
「その契約をとく方法を知っていますか?」
それが一番、重要だった。
彼女の質問に老人は目を瞠る。
「お前さんは出来ないのか?」
「……………………………はい?」
たっぷり十秒は数えただろう。思いもよらないといかけに白刃は乾いた声を出した。
「あの?どうして、わたしが出来ると思うので?」
「出来ないのか?」
「出来る出来ないも、何も、魔法なんて生まれてこの十七年間、使ったことも見た事もないですよ」
自分の持っている不思議なものはそんなものではないしと内心で付け加える。
脱力してベッドのヘッド部分に背中を預ける白刃に老人は探るような視線を向けたが、すぐさまそれを消し去り、気を取り直したように。
「では、王城の魔女の元へ行くしかないな」
魔女。
その単語に彼女は瞬かせる。
「魔女って、魔女?」
「そう、魔女だ」
「魔法を使う?」
「そうだが?お前さんの世界では違うのか?」
いやいやいや、違わない。違わないが。そういえば、さっき魔物うんたらかんたらとか言っていたな。
というか、その前に。
「あたしが異世界から来たって疑わないんですか?」
つばを飲み込んでいった言葉に老人は刹那、目を見張り鼻で笑う。
「何を今更。それに前例があるのでな。気にすることではない」
「前例?」
「眉唾ものでもあるがな。それよりも、あの小僧をどう説得するかだな」
小僧って誰だ。ていうか、なんでそうなると疑問の声を上げると同時に。
「その小娘の言葉を信じるのか」
突如、聞こえた声に白刃が飛び上がった。部屋の扉のところには先ほどの青年。彼は驚く白刃を一顧だにせず、老人を見据える。
「帰っていたか。お前よりも人を見る目は確かだからな」
「どういう意味だジジイ」
「どういう意味も何も。とにかく、それを解けるのは王城の魔女くらいのものだ」
「なんだと?」
「え?」
青年と白刃の声が重なる。二人の疑問と驚愕の視線を受けながら老人が口を開く。
「見たところ、死にかけたところでこの娘の力が暴走したんだろう。不完全な状態での魔力の開放と何かしらの要因が重なってお前と契約を結ぶ事になったんだろうよ……。諦めろ。オーディン。そして、それを解きたくばこの娘と共に王都へ行け」
断定的かつ命令口調なそれに青年―――オーディンが舌打ちをする。白刃には老人と青年を困ったように見ている。
そんな彼女を青年の睨み付ける視線にも怯まず老人は変わらない表情で見やる。
「娘さん」
「はい」
「お前さんと小僧を繋いでいる魔法はお前さんが死ねば小僧も死ぬ。小僧が死んでもお前さんは助かるだろうが、そういう厄介で強力な代物だ。それは素人、ましてや魔力が未熟なお前さんには解こうとしても無理だろう」
その言葉に、白刃の表情が曇る。見ず知らずの人間に、無理矢理、契約をしてそのうえ命までもつながっているとなれば責任は重い。
「幸運にも、王城の魔女と小僧は知り合いだ。助けになってくれるだろう。それにこやつと一緒に行けば、何かしら帰る手がかりも見つかるやもしれん。どうする?」
どうすると聞かれても白刃に取れる答えは一つしかない。
ベッドから立ち上がる。老人の横を通り過ぎて、青年の前に立つ。思っていたよりも身長が高いことに初めて気が付いた。
紫紺の双眸が様々な感情をはらんでいるのが分かる。その筆頭は怒りやら不満だろう。それでも。
「一緒に、王城の魔女のところへ行かせてください」
「足で纏いはいらん、死ぬぞ」
「それでも…」
脅しではないそれに、白刃は言葉を詰まらせた。それもコレだけは譲れない。自分の命を守ることが相手のそれを守ることにつながるのであれば。
「あなたの命を守ることくらいは出来ます」
青年が瞠目する。老人が背後でにやりと笑みを浮かべた。
「オーディン。諦めろ。距離が離れれば強制的に相手のところに転移するようになるものだしな」
とどめとばかりに告げられた言葉に、オーディンは深いため息を吐いた。そして。
「よろしく。あたしは白刃。灯崎白刃」
「………オーディンだ」
疲れたように告げられた名前に白刃は微笑を浮かべた。
全てはここから始まった。
fin