「これはどこに置くの?」
「そっちの棚」
「うわ、この本古いなぁ」
「それはこっちにまとめとけ」
「ぎゃっ!虫ー!!」
「………」
「うわ!こける!!」
「………」
「あ、オーディン。この…」
「……………とりあえず、黙れ」
「なんで!?」
灯崎白刃は同居人である青年のドスのきいた苦情に目を剥いた。青年、オーディンと呼ばれた紅い髪に紫紺の双眸をもった彼は重そうな箱を持ったまま白刃をジト目で見据えている。
彼女たちは今、新しい家の掃除と荷物の整理をしているのだ。家といってもオーディンは傭兵で決まった場所に住んでいたわけではないし、白刃には当然のことながら家はない。
ただ、一緒にいることになったのだから家は必要だろうという話になり、王都から少し離れた街に住処を構える事になったのだ。
と、いっても白刃の容姿―――黒髪黒目の女という外見はこの世界では特異であり、希少という付加価値がついているために街中ではなく、少し離れた森の入口の方の空き家をオーディンのつてで譲ってもらったのだ。
「それにしても、アリアさんたち何であんなに驚いていたんだろ?」
不思議そうに首をかしげながら掃除をしている白刃を横目にオーディンはその時のことを思い出していた。
「家ぇええええええ!!!???」
「はぁああああああっ!?」
アリアの絶叫に近い野太い声にクロードの驚愕というより仰天といった声が酒場に響く。その声に何事だとこちらに視線をやるほかの客たちに唯一、冷静なヴェスタがなんでもないというように軽く手を振る。
が、冷静になれないというよりも驚愕、絶句といった言葉が似合う顔をしている二人は周囲のことなど頭に入っていない。
「ちょっ、ちょっと待って!!どういうこと!?なんで!?ていうか、白刃ちゃんと!?」
「おい!オーディン!!お前、そういうのはちゃんと親御さんにだな!アレだ!頭下げるなりなんなりしないと!!」
「クロード!そういうことじゃないでしょ!?白刃ちゃんよ!?下手すれば犯罪よ?オーディン!!」
「そうだぞ!?いくらなんでも、こんないたいけなお嬢ちゃんとだな!!とにかくお前、大丈夫か!?なんか変なもんでも食ったのか!?医者行くか!?」
アリアとクロードが口々に動揺しまくりの言葉を矢継ぎ早に口にする中、白刃はいたいけなお嬢ちゃんてそんなに幼く見えるのか、ていうか犯罪ってどうよそれ、それよりこの二人どうしようかと思いながら二人を眺め、ヴェスタにいたっては遠い目をして一人食事をしている。
そして、遂にというべきかやはりというべきか。
「黙れ」
低く身を凍らせるような殺気と怒気を纏った男の声でアリアとクロードの動きが止まる。ついでに口も閉じて、椅子に座りながらも背筋をぴんと伸ばしてだ。
おお、さすがと感心しながら白刃はアリアに視線をやる。
「とりあえず、オーディンがアリアさんは顔が広いって聞いたんで。どこか空き家とかありませんか?よければ誰か紹介していただければ、いいんですけど…」
「え、ええ。それはいいけど…。え?本当に本当なの?」
我に返ったアリアが困惑気味に白刃に聞き、彼女が頷くと今度こそアリアは固まる。そして、ぎこちなく首をオーディンの方に向けたかと思うと。
「…………ありえない」
「は?」
「ああ、信じられねぇ」
「え?」
「放っておけ。いつもの事だ」
アリアとクロードが言葉通り信じられないものを見るようにオーディンを見て、困惑している白刃に彼がばっさりと告げ、お酒を煽る。その横では未だ「俺、明日死ぬかもしれない」、「それどこか世界の終わりかも」、「あのオーディンが…」、「ありえない」などとぶつぶつ呟いている二人を見て、ヴェスタがため息を吐いていた。
そのまま正気に戻った―――正しくはオーディンが強引に力にものを言わせて戻したのだが―――アリアに丁度、家を誰かに譲ろうとしていた老夫婦を紹介してもらい、家を買い取ったのだ。
「オーディン?どうかしたー?」
荷物の整理の手をとめて眉間に皺を寄せ考え込んでいるオーディンに気付いた白刃が声をかける。
彼は白刃のほうを振り向き、さっさと掃除をしている彼女を見て呑気だなと若干、恨めしく思う。
自分の素行というよりは今までの行いや傭兵たちの間での自分の評価などは知っている。が、あそこまで過剰に反応されるとは思わなかった。
人を何だと思っているんだあいつらは今度会ったらどうしてくれよういやどうするもこうするも倍返しでいいかとだんだん物騒なことを考えている彼の耳に白刃の声が届く。
「あ、そうだ。オーディンの荷物ってあっちの部屋でいい?あたしはこっちの方でいいから」
「何を言っているんだ?」
「え?だから…部屋をって、え!?なに!?」
窓を拭き終わり、その雑巾を持っている手首をオーディンの手が掴み、白刃は驚きに目を瞠り、目の前に立つ青年を見上げ顔をひきつらせた。
「部屋を別々する必要があるのか?」
掴まれた、いや、拘束されている手首。背中に当たる壁の感触。白刃に影がかかり、視界には赤い髪の下から覗く紫紺の双眸が至近距離に迫る。
その目の色に嫌な予感が白刃の脳裏を過ぎる。
彼女の勘はあまり当たらない。が、嫌なものだけはなぜか当たる。
ついでに言えば、その口に浮かべている笑みも彼女の警鐘を煽る。
背中を冷や汗が流れる白刃の耳に、オーディンは涼しい顔のまま唇を近づける。
「なあ、白刃」
「っ!?」
いつも聞いている低い声がどこか艶を含んでいて白刃は固まる。
なにこれ、どうしたのていうかなんのスイッチ入ったの!?入ったていうか入れたのか!?あたしが!?その前に近い距離が近い近い近い!!
「する必要があるのか?」
そう囁きながらオーディンはもう片手を内心でパニックを起こしている彼女の髪に伸ばし、掃除をするために髪をまとめていた紐を解く。白刃の黒髪がぱさりと肩に落ちる。
「い、いや、その必要っていうか!だって…っ!」
何。何が起こっているんだろうか。ていうか、部屋を別々にしなくてもいいてことか。てことはなに?一緒にしていいわけ!?ていうか、それって一緒に寝たりするってことか!?誰だこれ!?偽者じゃないよな!?ていうか、何やってんのこの人は!!
すでに何もいえないまま硬直し、顔を赤くしている白刃にオーディンは追い討ちを掛けるように、その黒髪を指に絡めると彼女の前で口付ける。
「なっ!!!!!」
「嫌か?」
いや!?いやって何が!?ていうか、どっちが!?何の話!?いや、その前に―――。
「なあ、白刃?」
吐息混じりに囁く低い声。艶を含んだそれ。同時に、熱を持って注がれる紫紺の視線。それらに白刃の忍耐が限界を超した。
「あーもー!!嫌じゃない!!嫌なわけないじゃん!!大丈夫!!なんでもやってやろうじゃん!!!!」
どうにでもなれ!文句あるかこのヤロウ!!とばかりに盛大に叫び、顔を赤く染め肩で息をしながらオーディンを見上げると、そこにはしてやったりといわんばかりの笑みを浮かべた彼の顔。
背中に嫌な汗が流れる。顔が引きつるのが自分でもわかった。
「その言葉忘れるなよ」
あたし何を言ったっけと思ってもすでに時は遅し。覆水盆に帰らず。後悔先に立たず。
離れる自分を唖然と見上げている白刃に彼は笑った。
それは勝者の笑み。
「これからが楽しみだ」
―――白刃には完敗するしかなかった。