舞台裏 2 波乱の予兆(31〜33話辺り)

 

 

「今なんていった?」
 
 室内の空気が緊張をはらんでか、一気に二、三度下がる。その元凶である男は、いつものような人を食ったような笑みを浮かべてはいるものの、目がそれを裏切っている。
 
 男から放たれる荒んだ鋭い有無をいわせない空気に、気圧されることを良しとしない―――お家柄こういった狸のような人物を相手にすることは慣れているし、彼女自身の気性がそれを良しとしない彼女は―――涼やかな目を逸らすことなく、校内一といっても過言でない美少女はそのつややかな唇を開いた。
 
「わたしも、鵜呑みにするのはどうかと思ったんだけどね…」
 
 そう眉を寄せながら記憶を手繰った。
 
 
 
 
 
 
 その日、嘉神綺は日直で遅くなり、校内に残っていた。すぐに帰るはずだったのだが、放課後は人気がなくなるために彼女に近づこうとする生徒は少なからずいる。もちろん、想いを伝えるには絶好の機会でもあるわけで。
 
「長ったらしい話だったわね」

 ぼそりと悪態をつく。

 大体、いつも見てますとかその涼やかな表情が好きだのしとやかに笑っているのを見ると癒されるだの、あんたがあたしの何を知っているのよって話じゃないの。というか、ストーカーかお前はと密かに胸中で突っ込みを入れた。
 
 第一、そんな言葉は自分にとってはただの文字の羅列でしかない。
 何を言われても。どんな美辞麗句を並べられ飾り立てられても。
 
 彼女の心を揺さぶるのはただ一人の言葉だけだ。
 
 今も校門の離れた場所に車を停め、彼女を待っているであろう男の顔を思い出して、かすかに顔をほころばせる。
 急ごうと少しだけ足を速めようとした、その時だ。
 
「嘉神さん」

 か細く呼ばれ彼女は足を止める。

 振り向くと辺りを気にしながら廊下の向こうから歩いてくる生徒。
 綺の目が自然に厳しくなる。相手は親友に事あるごとにうるさいくちばしをつついてくる生徒の取り巻きの一人だった。

 正直、関わり合いにはなりたくないという気持ちを微塵も出さずに、にこりと笑う。

「どうかしたの?篠崎さん」

 篠崎と呼ばれた女子生徒は、もの静かで気弱な性格なのだろう。人の顔色を伺い、いつも「くちばし」の彼女に無理難題を突きつけられ四苦八苦している印象が強い。それはある意味、処世術でもある。そういったものをもっているのはいいことだと綺は思っている。それが好ましいかどうかは別として。

 彼女は逡巡と焦り、不安を隠さずに綺に恐る恐るといったように口を開いた。

「あの・・・、憂ちゃんのことなんだけど」

 やっぱりかと内心で呟く。
 今度は何を言い出すのかと続きを優しく促す。

「椋野さんがどうかしたの?」
「その…」

 言いよどむ相手に綺は違和感を覚えた。何かあったのか。いや、そうであれば自分に言うのはおかしい。自分に何か言うとすれば、それは。

「…一妃にかかわりがあること?」

 その言葉にはっとしたように篠崎が目を瞠り、やがてこくんと頷いた。そして、

「あまり良い人たちと関わってなくて、それも先生たちが問題児だって言っているような人たちとこそこそ会ってるみたいで。それで、どうしたのか聞いたら…」
 
 言葉はせきを切ったようにあふれ出す。
 
 幼いころからの友人である彼女が何か危ないことをしようとしているのではないのかそう思い心配で聞いたのだ。

 思い出すのは体育祭の時や事あるごとに見せていた顔だ。

 嫉妬や怒りをにじませた顔。
 あんな顔をして欲しくない。そう思いながら心配する自分に彼女は笑ったのだ。

 ―――大丈夫。今度は上手くやるわ。心配しないで。藍(あい)。

「ま、また、何かしようとしているみたいでっ・・・」

 最後は涙にかすれて途切れた。
 
 綺は目を細める。
 どうやら懲りないヤツはとことんまでやらないと懲りないらしい。
 呆れとまた何をしでかすというのだろうかという考えをめぐらせながら、とにかく話を聞くことが先決だと思い、涙を流す篠崎の肩を優しくたたく。

「ありがとう。大丈夫よ。よく話してくれたわね。もう少し、詳しく話せる?」

 その言葉に篠崎が頷き、彼女はぽつぽつと自分の見たものを綺に話した。
 
 
 
 
「問題児ねぇ。腐るほどいるだろうに」
「……あんたを含めてね」
 
 可笑しそうに笑う男に綺が呆れを隠さずに告げる。それにも笑みを崩さない相手に、食えない相手っていうのはあんたくらいだけどねと胸中で付け加える。
 
 教師相手にものろりくらりと逃げ回り、いざ試験だの模試だのというときには全国でも五指に入る実力者。
 
 校内での喧嘩沙汰があったとしても、どこをどうしているのか彼が明らかに関わっているとわかるようなことまでも、さらりとかわすのは感心を通り越して狡賢いとしかいいようがない。黒い部分を見せることなく相手のその部分を前面に押し出し、目を背けさせ、相手を追い込むのは、巧妙に獲物を狩る肉食獣そのものだ。
 
 ため息を一つ吐き、埒のない思考を追い出すと、綺は目の前の男―――天城静を見る。
 
「…取りあえず、情報が欲しいわね」
「一妃の方ならあいつがいるしな」
「一応、忠告はしておくに越したことはないわね」
 
 口元に手を当て考える綺に静は薄く笑った。
 
「信用がないな」
「あら。だって、周りに無関心すぎるんだもの」
「否定しないさ」
 
 自分の悪友を思い浮かべて肩をすくめる静。
 
「情報は、こっちでも何人か当たってみるわ」
「へぇ?」
 
 出来るのかというような揶揄ではなく、面白いことを聞いたという表情に綺は、
 
「わたしの交友範囲は広いのよ」
 
と、艶やかに笑った。
 
「楽しみにしてるよ。次期執行部副会長さん」
「あら、どうも」
 
 そういって教室から出て行った彼女の背中から視線を外し、窓の外で体育の授業をしている生徒たちを見下ろす。
 
「……俺は平和主義なんだけどなぁ」
 
 そう呟くと、嘘付けと幼なじみの怒鳴り声が聞こえた気がして、彼は仄かに笑みを浮かべた。

 

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