09 

  

 それが男の耳に入ったのは偶然だった。
 
 
 
「…だってさ」
「ありえない〜!」
「だよね。天城先輩だって…」
「ていうか、なにその一年」
「彼女じゃないでしょ」
「だったらショックー」
「で、名前は?」
「確か…舞咲…えーと」
「ああ!わかった嘉神さんと一緒にいる子でしょ!?」
「そうそう!」
「ああ。舞咲一妃!!」
「天城先輩の幼なじみらしいよー」
「えーナニソレー?」
 
「こらっ!お前たち授業は始まってるぞ!!」
 
「やばっ」
 
 教師の怒鳴り声と女子生徒の数人の慌てる声や謝罪の声が廊下に響く。
 そして、その場の喧騒は慌しい足音と共に過ぎ去った。
 
 丁度、廊下とは反対側の教室の中、その床に座り込んでいた男はうつむけていた顔をあげた。
 その目は暗い光をともしてぎらついていた。
 
 
 
*  *  *
 
 
 
 
 グラウンドにあるバレーコートの中でボールが跳ねる。
 鋭い音と共に一人の女子生徒が尻餅をついた。
 
「痛ぁーい」
 
 猫撫で声に彼女は眉間にしわを寄せた。
 
「…なーにが『痛ぁーい』だ、何が」
「何か言った?嘉神さん?」
「いえ、なんでもないわ。今日は暑いわね」
 
 そうにこやかに同級生に返す綺はちらりと今まで見ていたバレーコートを見る。すると尻餅をついた椋野憂がその取り巻きの友人に助け起こされている。その隣のコートでは彼女の親友である一妃が見事なアタックを決めたところだ。
 同じチームの友人たちとハイタッチを交わし笑う一妃を憂が険のある目で睨みつけ、すぐさま視線をはずし再びゲームを再開する。
 その様子に綺は失笑をもらした。
 
 憂はどうしても一妃を嫌いらしい。が、その態度は綺からすれば子供じみたただの嫉妬だ。
 何かするようならこちらも手を打つべきかと黒い思考をめぐらせながら、ふと校舎の方へ目をやる。
 
 今は授業中だ。それなのにも関わらず、二階の廊下には人影があった。
 綺は静だろうかと思いそちらを見て、かすかに顔をしかめた。
 そこにいたのは顔にガーゼを張ったスキンヘッドの男だったからだ。明らかに喧嘩をしましたといったような雰囲気の男に静の影が脳裏をちらつく。
 
 まさかね。
 
 そう思い再びバレーコートに視線を戻すと一妃の方はゲームが終わったようで、こちらに向かってきた彼女を綺は微笑を浮かべて迎えた。
 
 ちらりと校舎に視線をやると先程いた男の人影はなかった。
 
 
 
 
*  *  *
 
 
 
 
 静はグラウンドの見える場所から新校舎を見ていた。
 
 北皇高校は今の新校舎の東側の方に旧校舎が建ててある。グラウンドはその新校舎と旧校舎に面しているため、静のいる旧校舎の端の教室からは新校舎の方とグラウンドが見えるのだ。
 
 新校舎の廊下にいた影に彼は見覚えがあった。
 
「まーた、やられにきたのかねぇ」
 
 その呆れたような口調とは逆に顔には面白そうな笑みが浮かんでいる。
 グラウンドで行われている体育の授業には見知った顔が見受けられた。
 
 それを見ていたとすれば。
 
 にやりと静の口端が上がる。
 
「…静先輩?」
 
 どこかけだるげな女の声は彼の背後からだ。
 一瞬だけ、冷たい光を走らせた彼は笑みを浮かべて振り向く。そこには制服を乱した女子生徒。
 綺が見たら涼やか過ぎる笑みを浮かべ静を罵り、悪友がいたら無表情で背を向け、幼なじみがいたら―――。
 
 静が笑みを浮かべる。
 
「せん…ぱい?」
 
 手を伸ばしてくる彼女を静が見下ろす。
 
「終わったら出て行けっていったよな?」
 
 その声に女子生徒の顔が強張った。
 自分を見下ろす目はどこまでも冷たい。優しげな笑みを浮かべてる分、物をみるような無機質なそれが際立っていた。
 顔色を変えた女子生徒は慌てて制服の乱れを直すと逃げるように教室を出て行った。
 
 静はその様子を感情を消した冷たい表情で見送り、制服のズボンのポケットからシルバーのケータイを取り出し、すぐさま耳に当てる。
 しばらく続く呼び出し音の後に緊張気味の声が聞こえ、彼は『お願い』という命令を下した。―――それは≪キング≫としての、だった。
 
 
 
 
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