16

 

 一妃は眉間にしわを寄せていた。
 あのまま学校に来てからずっとだ。
 
 怪我は大丈夫だろうか。
 ていうか、怪我人をあのままにしてしておいてよかったのかなその前にあの人頭殴られたのに何であんなに強いわけフツーはぶっ倒れるとかならないかなその辺も静に似てるっていったら似てるけど。
 
「一妃?あなた、そのまま行くとぶつかるわよ」
「へ?」
 
 親友の声にぱちくりと我に返ると目の前には、白い壁。
 
「うわっ!」
 
 慌てて後ずさり、こけそうになった彼女を親友である美少女はため息をついてみていた。
 
 
 
「心ここにあらず、じゃない?どうかした?」
 
 昼食どきに一妃と綺は屋上へと来ていた。
 屋上は中央に花壇があり、それを囲むように等間隔にベンチが設けられている。この辺りはさすが私立というべきか。
 最も、お金持ちのご子息ご令嬢が通っている北皇高校ではなんの違和感もなく、景色に溶け込んでいる。
 
 屋上の一角にあるベンチへと腰を下ろしている一妃の隣に綺が座った。一妃は飲んでいたお茶パックのストローから口を放す。
 
「もう話は終わったの?」
 
 一妃の言葉に綺がくいとあごで―――お嬢様にあるまじき行動だが、美少女がやればなんでも絵になると一妃は思う―――そちらを示す。一妃がそちらを見ると。
 数人の女子生徒がいた。どうやら慰められているらしい。
 ちなみに慰めらているのは女子生徒だ。年上の。
 
「……お疲れさま」
「どうもありがとう」
 
 視線を逸らしつつ一妃がいうと綺からは平坦な声が返ってきた。そして綺はベンチに座りなおすと屋上から見える街並みに視線をやる。
 
「で、なにがあったのよ?」
 
 ぎくりと内心で冷や汗をかく。
 朝のことを綺には言わないほうがいだろうと一妃は思っていたのだ。
 つい先日に近づくなといわれたばかりだったのに。
 
 どうやってごまかすかと考えている彼女の横で綺が横目にちらりと視線をやる。
 この親友は誤魔化したり嘘をつくといったことが苦手なのだ。
 何かを隠そうとすれば一発でわかる。それだけ付き合いが長いせいもあるが。
 
 一妃に気づかれないようにため息をつく。
 
 さて、どうやって聞き出してやろうかと細く笑みながら。
 
 
 
*   *   *
 
 
 
「どうしたんだい。その怪我は」
 
 眉間にしわを寄せた壮年の男は、自分の経営する喫茶店の入口から入ってきた男に呆れたような声を出した。
 紺色のブレザー姿の制服は泥やほこりに汚れ、頭からは血を流しているのか淡い色のハンカチで押さえている。
 
「何かあったのか?」
「別に」
 
 短い応酬で、いや、彼の姿を見た瞬間に事情を察した彼の叔父である黒崎敦樹(くろさきあつき)は、ため息をついた。
 
「待ってて。救急箱を持ってくるから。そこに座って大人しくなさい」
 
 そういって店の奥に入っていった自分の叔父を見ながら朝葉はカウンターの端の方へ座る。入口からはあまり見えない場所だ。
 軽く息をついて頭を抑えていたハンカチを取ると。
 
「はーい!!敦樹さーん、初鹿野幸紀(そがのゆき)、ただいま戻りましたー!…あれ、朝坊じゃん!お前、学校は?って、うわっ!?なにその傷!!お前どしたの!?」
 
 店のドアに付けられたベルが激しくなると同時に、騒がしくも賑やかな声と共に入ってきたのは喫茶店の黒い制服を着た青年だ。
 青年―――初鹿野は店の端にいる朝葉に目を留めると、顔を蒼くして焦りだす。
 
 一方、朝葉は。
 
 やかましいのが出てきたと額を押さえ、うなだれる。
 初鹿野は敦樹の喫茶店で働いている従業員の一人で、朝葉の小さいころからの知り合いでもある近所の面倒見のいいお兄さん的な存在だ。
 そして、朝葉を怖がらない数少ない人間のうちの一人だ。
 
「うるさいよ。幸紀くん」
「敦樹さん!だって、こいつ!」
「あーわかった、わかった。お使いご苦労さま。で、朝、お前はこっちにおいで」
 
奥から救急箱を持って出てきた敦樹に焦った初鹿野がなにか言おうとしたが、それを適当にあしらい敦樹は朝葉をボックス席の一角に呼ぶ。
 
「自分でする」
「いいから」
「自分ですると…」
「来い」
 
 その鋭くなった声と有無を言わせない口調に、彼に敵わないことを知っている朝葉は大人しくその席に着いた。
 敦樹が救急箱を開けて、朝葉の傷口を見る。初鹿野がその後ろからさらされた傷を見て悲鳴を上げた。
 
「ぎゃー!血、ちぃぐっいってぇ!!」
「静かにしようか、幸紀くん」
 
 騒ぐ初鹿野の足を敦樹が蹴り飛ばし笑顔で注意すると、悲鳴を上げた初鹿野が途端に静かになる。敦樹を見る目は怯えた小動物だのそれだ。
 
 その様子を視界の端に入れながら、朝葉は先程の光景を思い出した。
 なにも怖がらずにハンカチを差し出してきた彼女。
 
 普通なら怖がるのに、それどころか心配を声に滲ませていたあの。
 手に持ったハンカチを見ながら不可解な感覚が胸にあって。
 
 
 それをどこか心地よいもののように感じながら彼は目を閉じた。
 
 
 
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