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「ところで、そのハンカチはどうした?」
一通り傷の手当が終わった後に敦樹が朝葉の手元をみやった。
それに幸紀も朝葉の手元を覗き込む。
朝葉は手に持っていたハンカチをみて、なんともいえない顔をした。
「女物ですね」
「だよねぇ」
幸紀がにやりと笑うと敦樹がそれに笑みを返す。嫌な予感がした彼は腰を上げた。
「おや、朝どこ行くんだい?」
がしりとつかまれた肩。満面の笑みの敦樹。
「……がっこ…」
「その格好でお前が行くわけないだろう。丁度良かった、今日は人手が足りないんだ。なあ朝。叔父さんのお願いを聞いてくれないかい?」
にっこりと敦樹に微笑まれ、その背後に視線をやると幸紀はあさっての方向を見ている。
「ことわ…」
「嫌だなんて、言わない、よな?」
流石に制服のままというわけにはいかないと敦樹は奥のスタッフルームに固まった甥を押し込む。そして、着々と開店の準備を進める幸紀が口を開いた。
「にしても、敦樹さん。朝坊のヤツのもってたの誰のなんですかね」
「可愛らしいハンカチだったしね」
「女の子がもつようなヤツでしたしね」
「花柄だったしね」
「気になりますね」
「気になるね」
二人の目には悪童のような好奇心に満ちた色が宿り、口元には楽しげげな笑みが浮かんでいた。
朝葉が不幸に見舞われるまであと数分。
* * *
午後の日差しはきつく、もうすぐ夏を思わせる。教室の中はカーテンが引かれ風がそれを時折ふわりと揺らす。
英語の教師の流麗な発音―――一妃にとってはただの眠りの世界にいざなう呪文―――は途切れずに、教室の中に響いている。
数人の生徒の頭が船をこいでいるのは間違いない。
ふと一妃の脳裏に昼休みのことがよぎった。
「はなるほどね。あの黒崎朝葉が、ねぇ」
「傷がひどくなきゃいいんだけど」
「まあ、そうね。というか、一妃」
「はい」
厳しくなった声音に思わず背筋を正す。
「わたし、なんていったかしら?」
その女神のごとくな微笑に一妃は冷や汗をだす。視線が泳ぐのは仕方ないだろう。周りの空気が何度か下がったのは気のせいだと思いたい。
「え、いや、あの………ごめんなさい」
頭を下げる親友をみて、綺はため息をつく。
基本的にそういった状況で、一妃が放っておくわけがないと思ってはいたが。
「仕方ないわね。でも、絶対に深入りはだめよ」
「なんで?」
びしっと告げる綺に一妃は首をかしげた。それに綺は言いよどむ。
「それは…」
「よう!かーずひ!!」
「うわぁあぁ!!」
「危ねっ」
突然、がばりと後ろから抱きつかれ、一妃は叫ぶと同時に肘を相手に叩き込む。が、それをひらりとかわしたのは、女たらしのトラブルメーカーだ。
「静」
綺が低い声で彼を呼ぶと静はにんまりと笑う。
「おはうさん。綺」
「もう昼ですけどね」
「そうだっけ?学校に着いたのさっきなんだよねぇ」
「あら重役出勤ですね。さすが天城先輩。マイペースですねえ」
「そりゃーどうも。綺にほめられると嬉しいね」
「褒めとらんわ。この厚顔無恥の遅刻魔」
「俺のあだ名増えてない?ていうか、猫かぶってるのバレるぞ?」
「あら。わたしがそんなヘマすると思うの?」
「…面の皮の厚いことで」
「万年発情男に言われたくないわ」
いつもの氷の火花が散る応酬に一妃はただ、二人の間で固まっていた。
静と綺のやり取りを思い出し、一妃はため息をついた。
あの二人はいつもああなので、気にはしてない。むしろ喧嘩するほどなんとやらだ。
それにしても。
一妃は綺のいいよどんだことが気になっていた。
綺が言いよどむことなどほんの数回しかみたことがない。その大半はボディガードの青年のことだったが。
誰にでもはきはきとものを言う綺が言いよどむのは。
言いたくないかそれとも言いにくいことか。
「……聞かせたくないこと、かな」
大体のことは察しがついてはいる。
朝葉のことで、なにか心配事があるのだろう。それでも、なぜか気になるのだ。
親友には悪いが。
「ハンカチどうしようかな」
どういう言い訳にしようかと一妃は考えをめぐらせた。