18

 

 太陽が西に傾き、街が赤く染まるころ、その喫茶店のドアが開いた。
 からんと軽やかな音がゆるやかなジャズを流している店内に響く。
 
「いらっしゃいま…っせ」
 
 言葉を詰まらせた幸紀の笑顔はどことなく引きつっている。
 扉を開けたのは紺色のブレザー姿の茶色の髪に飄々とした笑みを浮かべた青年。
 
「どーも、初鹿野さん」
「ひ、久しぶりだな。静」
「おや、珍しい。いつもなら女の子を連れて、クラブに行く問題児がどうしたんだい?」
 
 笑顔でさらりと事実を告げる敦樹に静が笑みを深くした。そして、カウンターへ腰をかける。
 
「ひでー。俺もたまにはこういうところでゆっくりしたいときもありますよ。というか…ぶっ」
 
 ちらりと奥へ視線をやり、二人の女性客を相手している悪友を見て、思わず軽く吹く。
 それを見ていた敦樹は目じりを下げる。
 
「どうしても仏頂面になるんだよねぇ。それじゃだめだといってるんだけど…」
「それでもモテるんだよなぁ」
 
 困ったような敦樹とは対照的に幸紀はうらやましいのか悔しいのか複雑そうな顔をしてる。
 悪友―――朝葉の方は丁度、女性客から解放されたのか、心なしか疲れているように見える。そして、朝葉がカウンターにいる静を見つけると、その眉間にしわが寄った。
 
「凶悪だな」
「何でここにいるんだ」
「暇だったから」
 
 静の軽口に朝葉が不機嫌ですといった低い声音問いかけるのを、彼はいつも通りの口調で返した。
 そんな二人の間に漂うなんともいえない空気の中、敦樹がにこやかに注文を聞く。
 
「で、ご注文は?」
「お勧めを」
「かしこまりました」
「そうだ。朝葉。大丈夫だったか?」
 
 なにがと聞かなくてもわかった。
 
「…聞いたのか」
「心配してたぞ」
「誰がだ?」
 
 思いがけない言葉に朝葉は呟くように静に聞いた。
 
「お前にハンカチを貸した子」
 
 今度こそ朝葉は言葉もなく目を瞬いた。
 一方、ハンカチという言葉に反応した幸紀はカウンターから身を乗り出す。
 
「それ、誰!?やっぱり女の子!?かわいい!?」
「お前には関係ない」
「初鹿野さん、何かあったんですか?」
「ひでぇ!朝坊!!つーか、静、何だよその哀れなものを見るような目は!」
「酷くない」
「いやー、気のせい気のせい」
 
 朝葉、静が言うと幸紀が落ち込みながらも突っ込む。がその背後から敦樹が。
 
「幸紀くん。仕事しようか?」
 
 そう黒いものを背後から漂わせながら言うとその顔を真っ青にした。
 
「はい。おまちどうさま。で、静くん」
「何ですか?」
「あのハンカチの子って朝葉の彼女?」
「店長だって聞いてるじゃないですか!」
「ぶっ」
「頭、大丈夫か」
 
 幸紀が叫び、コーヒーに口をつけた静が軽くむせ、朝葉が冷たい突っ込みをにこにこと笑っている敦樹にする。
 
「俺は知らないですね」
 
 にんまりと笑う静に敦樹が微笑みを返す。
 
「そうか。じゃあ、今度ここに招待しないといけないね」
「は?」
 
 朝葉が叔父の言葉に訝しげな声をあげる。
 
「校門のところで待ち伏せてつれてこよう」
「…店長、それ犯罪じゃないんですか?」
 
 幸紀の力のこもってない声に敦樹はそうだねと笑う。
 
「もちろん、冗談だよ。ん?どうかしたかい?幸紀くん。そんな怖いものを見るような目をして。あれ?静くんも頭を抱えて何かあったのかい?」
「…目が笑ってませんよ。敦樹さん」
 
 もはや呆れて何も言わない朝葉の傍で、静がそう呟いた。
 
 
 
*    *    *
 
 
 
 そんなことがあった数日後。
 
 北皇高校のとある学年のとあるクラスの教室内はざわめいた。
 唖然、呆然、驚愕、疑問を浮かべたクラスメイトの顔。
 その中に若干の嫉妬の視線―――主に女子生徒のそれ―――が混じっている。
 
 親友の美少女でさえも驚いているようだ。
 
 もちろん本人も。
 
「え?」
 
 差し出されたのは綺麗に包装された長方形の薄い箱。
 
「返す」
「何、これ」
「この間のだ」
 
 朝葉の無愛想な言葉に一妃はそれだけで何か察した。
 
「わざわざ、よかったのに」
 
 小さく苦笑して彼の顔を見上げる。朝葉の視線が一妃のそれと合った。
 
「ありがと」
「………」
 
 そして何も言わずにさっさときびすを返した朝葉の背中を見送っていると、背後―――教室内が一気に騒がしくなった。
 
 
 その日、その朝葉の行動がたった一日で学校中に広まったのは言うまでも無い。

 

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