19

 

 人の口に戸は立てられない。それは事実だろう。そして、噂はそれこそ風のように広まるのだ。
 有名な人物がその噂の相手の場合は。
 
 学校のあちこちで囁かれている噂に舞咲一妃はなんともいえない顔をする。
 曰く。
 
『天城先輩になれなれしくしていた一年生の女が、今度は黒崎先輩にも手をだした』
 
 なんだそれはというのが、件の一年生の女子こと一妃の胸中で。
 大体、静になれなれしくしているというかただ話しているだけだろうがていうか手を出すってありえないだろうが。
 
 しかも相手があの上級生の男子なのだ。
 
 彼が女に手を出されるということを甘んじて受けるような人ではないことを一妃は知っている。二度も乱闘に鉢合わせたのだから。
 
 下手をすると静より危険だと思う彼に、どうやって手を出せっていうんだこの井戸端会議好きの暇人がと悪態をついていると、綺が教室のドアをあけて入ってきた。
 
「ああ、一妃。お待たせ。帰りましょう」
「そんなに待ってないよ」
「そう」
 
 ほっとしたように笑う親友の顔を見て、一妃はかすかに微笑む。静が絡むと周りに氷と暗雲を待とう彼女だが、こういうときの綺は誰が見ても可愛いと思うだろうと一妃は思っている。
 
「で、なんだったの?結局」
「ああ。体育祭のことよ。来週でしょ?」
「あー」
 
 かばんを持ち廊下を歩きなながら話をする。
 
 季節は初夏の陽気になりつつある。
 北皇高校は体育祭の準備に追われていた。
 
 その日は丁度、朝葉が一妃にハンカチを返しに来たあの事件から、三週間後のその日だった。
 
 
 
*    *    *
 
 
 
 体育祭は一年から三年まで縦割りだ。一学年七クラスで七クラスのうち一クラスは体育科なのでそのクラスは各色、赤、黄、緑、青、紫、白に別れ他のクラスのメンバーに混じるようになっている。
 
 綺と一妃は赤だった。
 駅前で綺と別れた一妃は自分の出る競技を思い浮かべていた。
 リレーと合同競技の二人三脚だ。リレーはましにしても二人三脚は相手が上級生になるので誰になるかわからない。そればっかりは運だろうと考えていると不意にすれ違った人とぶつかる。
 
「あ、すみませ…んっ!?」
 
 謝ろうとして顔を上げた瞬間、一妃はすぐさま後悔した。
 
「あ?なんだ?お前」
 
 そう不機嫌そうに声を出したのはいかにもといった茶髪にピアス、着崩れした制服といった不良の男だった。
 
 
 
 黒崎朝葉はその日も学校をサボって適当に歩いていた。そして、背後の方が騒がしいことに気づき後ろを振り向いた瞬間、自分にぶつかってきた相手に目を瞠る。
 
「あ」
「あ」
 
 二人同時に声を出す。相手の方はこの間から学校やその通学路であったりしたら挨拶するくらいには話をするようになった一年の女子で悪友の幼なじみだ。
 
「ご、ごめ…」
「待て!てめぇ!!」
 
 謝ろうとした一妃の声をさえぎるように男の怒声が響く。その声に朝葉は不機嫌そうにそちらを見ると数人の不良ですといった男たちと目があった。
 
「そいつこっちに渡せ」
 
 中心の男が一妃を見ながら言う。
 朝葉は一妃を見下ろす。一妃は何か言いたげな彼の視線を受けて口を開いた。
 
「ぶつかって謝ったんだけど、追いかけられた」
 
 そう説明すると朝葉はため息をつき、きびすを返す。もちろん一妃の腕を持って。
 
「え?」
「シカトこいてんじゃねーよ!」
 
 他の男が朝葉に向かって殴りかかったのを見て一妃が叫ぶ。
 
「朝葉!!」
 
 朝葉は振り向くと同時に一妃を庇うように腕を引き、相手の腹を蹴り飛ばす。地面に尻餅をつくような形で倒れた男はうめき声をあげる。
 他の男は一妃が叫んだ朝葉の名前にその顔に動揺を浮かべていた。
 
「朝葉?」
「朝葉って、黒崎?」
「狂犬だろ?」
 
 仲間の男を見ていた視線が朝葉に向くと彼は眉間にしわを寄せた。
 
 途端に、男たちの顔色が真っ青になり。
 
「す、すいませんでした!!」
「失礼します!!」
 
 脱兎の勢いで逃げていった。
 
 その様子をぽかんと見ていた一妃は傍らの男を見上げる。それに気づいた彼は一妃の腕を放した。
 離れていく体温になぜか寂しさを感じながら一妃は口を開いた。
 
「ありがとうございました」
「…よく追いかけられるな
「あー。あたしもそう思いますよ」
 
 どこか諦めたように投げやりに言う一妃を見下ろしていた彼はおもむろに駅の方へと歩き出す。
 
「こっちに用があるんじゃないんですか?」
「…帰るんだろ」
「え?」
「帰らないのか?」
 
 肩越しに見られながら告げられ、一妃はきょとんとした後に微笑みながら小さく呟いた。
 
「ありがとう」

 

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