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 倉庫に行くには二通りの道がある。グラウンドから行くには、まず二つある校舎の間―――中庭を通って、その先の数段ある階段を下りていく場合と、校門の入り右に曲がり階段を上がっていく場合。
 彼女が選んだのは前者だった。それが大変なことになるとは、全く考えもしないで―――。
 
 
 思ったのだ。もっと気をつけていれば、と。
 
 
「倉庫って意外に遠いんだよね。急がないと間に合わないな」
 
 一妃はそう呟きながら早足に倉庫へ向かう。早くしなければ、競技に間に合わない。もっとも、彼女は委員長が本当に呼んでいるとは思っていない。委員長がわざわざこんな倉庫に自分を呼び出す理由がないからだ。
 
 綺が相手なら、あっただろうけど。
 綺を見て顔を赤くしていた委員長を思い浮かべる。くすりと笑って、六、七段ほどある階段にさしかかった時だ。
 
 とんと背中に軽い衝撃。
 
 途端に重力にそって、体が傾く。
 
 うそ。
 
 かろうじて踏ん張った右足に、いやな感触が走る。踏ん張っても勢いは消えない。そして、見事にバランスを崩して―――転げ落ちた。
 
「…って」
 
 身を起こすと、体のあちこちが痛む。絶対に打ち身になっていると思い、階段の上を見上げると、そこには自分を見下ろす数人の女子生徒。
 一様に見下すように笑っていることから、否、このタイミングでここにいることから犯人なんて決まりきっている。
 
「大変ね。手をかしましょうか?」
「大丈夫?」
「すごい落ち方だったわね」
 
 くすくすと笑いながら、白々しく言葉をかけてきたのは椋野の周りにいるお嬢様連中だ。確か医者の娘やら社長令嬢やら、だった気がする。覚える気がないので、覚えていない。
 
 それとそのお嬢様の傍にいるのは、柄の悪い数人の制服を着た男子生徒たちだ。
 
 彼らは階段を下りてきて、一妃の両腕や足を生徒が取る。担ぐように持ち上げられ、振りほどこうとしたが、右足首に走った鈍痛に身動きが取れない。そのまま彼らは階段を上ろうとする。これには流石に一妃の顔色が変わる。
 
 まさか。その彼女の胸中を察したのか、階段の上にいる生徒が、笑った。可笑しそうに面白そうに。
 
「大丈夫よ。競技に出られなくなるくらいだから」
 
 そういう問題じゃないと即座に胸中で突っ込む。腕を振り払おうにも、振り払えず、何とか足に力を入れてみても、足首に走る痛みがそれを邪魔する。
 そんな一妃の抵抗もむなしく、腕を引っ張られて一番上についてしまった。このままでは本当にもう一度、と思った瞬間。
 
 押される体。
 
「あ」
 
 体が浮く。視界には笑った顔の女子たちと男子生徒たちの顔。衝撃に目を閉じると温かい何かに包まれ支えられた。
 
「っ」
 
 足の痛みに小さくうめく。
 
「黒崎先輩!!」
 
 今度こそ女子生徒たちから悲鳴が上がり、一妃は慌てて自分を支えた人物をみる。朝葉は険しい顔で階段の上を見上げる。女子生徒たちだけでなく、男子生徒までがその顔にどこか恐れを浮かべている。
 
「ここにいろ」
「え?」
 
 そう低く呟いた朝葉が一妃から離れた瞬間。
 
 朝葉が一速跳びに階段を上るとそこにいた男―――一妃を突き落とした生徒―――を殴り飛ばした。階段を転げ落ちる生徒。
 
 女子たちが悲鳴を上げる。他の二人の男子生徒は、はっきりとその顔に恐怖を浮かべている。とっさに逃げようとした一人の足を払い、階段から転ばせる。うめく彼に向かって朝葉は容赦なく、踵落としを腹部へと埋め込む。途端に噎せたようにうめき、気を失う生徒。
 
「どうした?来いよ。突き落としてやる」
 
 好戦的な笑みを浮かべて相手を挑発する朝葉に、一妃は―――固まった。
 
 これは誰だ。その背中に怒りを纏い、冷然と笑う朝葉を一妃は、知らない。呆然と目の前で一人、また一人と地面に倒している彼は、容赦がなかった。
 
 顔に拳を叩き込む。逃げようと腕を振り回す相手に、彼は手加減など知らないかのように鼻っ面に頭突きをする。後ろから向かってきた男には、拳を叩き込み、体をくの字に曲げた相手の首に肘を叩き込む。そのままうずくまるように地面に倒れた相手の顔を狙って、蹴り上げた。
 
「ひっ」
 
 女子生徒の引きつった声が聞こえる。それも一妃にはどこか遠いことのよう思われた。倒れた相手の髪を掴み、顔を殴る朝葉に表情はない。ただ、その目だけが異様な光を放っている。
 
 ダメだ。止めないと。ダメ。それ以上は。
 
 朝葉が拳を振り上げた瞬間、腕を背後から掴んだ手があった。
 
「はーい。そこまで」
「静!」
 
 陽気な声と共に現れたのは天城静だ。彼は一妃にひらひらと手を振ると朝葉に向き直る。
 
「そろそろ、行こうぜ。教員がくると面倒だろ?」
 
 朝葉はそれこそ射殺すような目で、静を見ていたが視線をそらすと男子生徒から手を放す。
 ほっとした一妃を視界に入れながら、静は固まっている女子生徒たちを見る。彼女たちはその視線にびくりと肩をすくませる。
 
 静の表情はいつも通りだ。その笑みは。だが、その目が違う。鋭く冷え切ったそれに彼女たちは怯えている。
 
「とっとと消えてくれないかな?じゃないと、俺も温厚じゃなくなる」
 
 その冷たい視線と底冷えするような声に、彼女たちはあっという間に逃げていった。その彼女たちが逃げていった方を見ていた一妃の傍に、静が寄る。
 
「大丈夫か?」
「え、あ、うん」
 
 一応はと思いながら、ふと視線を上げると階段の上にいる朝葉と目ある。途端に、そらされる視線。
 
「ぁ…さば?」
 
 逸らされたことに、なぜかショックを受けながら、呆然と立ち去る彼の背中を見ていた。
 
 

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