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「で?」
「だから、そういうことだ」
 
 普段のお嬢様はどこへやら。壁に寄りかかり、眼光鋭く眉間にしわを寄せて両腕を組み、組んだ片方の腕を指で叩いている親友に、椅子に座った一妃は冷や汗を出していた。
 処置用のベッドに腰掛け、笑みを浮かべて答えた静に親友の視線が突き刺さる。
 
「おーおー、怖いねぇ。俺としては熱い視線の方がいいんだけど?」
「……今すぐ、グランドに行けば?そのあつーい視線をもらえるわよ。あの小うるさい連中に」
「脅したから来ないだろ」
 
 さらりと言われたセリフに綺が、軽く目を瞠る。どうやら静が女相手に脅すのが意外だったらしい。
 
 三人がいるのは保健室だった。離れたグランドの方からは声援や放送部の実況の声が聞こえてくる。そのざわめきのせいで、三人しかいない室内は余計に静かに感じる。
 一妃をここへ連れてきたのは静だ。静が保健医を呼んできたときに綺と会い、そのままここに来たのだ。そして、治療をし終わった一妃と静に話を聞いたわけなのだが。
 
「大体、あの女なんのつもりかしら」
「まあ、あたしを競技に出したくなかったみたいだね」
「でも、椋野はこの喧嘩バカじゃなくて、黒崎の方にお熱だったはずだけど」
「喧嘩バカねぇ」
「ご不満なら、女タラシのトラブルメーカーでもいいわよ?」
 
 静が軽く嘆息し、あさっての方を向く。一妃は引っかかっていることを静に聞いた。
 
「静」
「ん?」
「なんで、あのタイミングで出てきたんだ?」
 
 綺が器用にも片方の眉をあげ、静を見る。二人の視線を受けた彼は、ベッドに座りなおし、にやりと笑った。
 
「なんでだと思う?」
 
 その言葉で充分だった。
 
「最初から見てたわねっ!」
 
 綺が即座に怒声をあげる。一妃はどこかやっぱりと思いながらも幼なじみを見る。
 
「朝葉も?」
「いや。お前の後を女子の集団が追いかけていっていたから、その後を付けたんだよ。そんで朝葉に会って、あの場に間に合ったってわけ」
 
 これでいいか?と顔を傾けながら言う静を綺が睨んでいる。
 
「それで、あのタイミングで…か」
 
 軽く脱力しながら一妃が呟く。出来れば一回目の時点で助けて欲しかったのだが、二回目の方が落ちていたら酷かったのは間違いないので、一応、お礼はいう。
 
「取りあえず、ありがと」
「どうも」
「甘いわよ、一妃。どうせなら何か埋め合わせしてもらいなさい」
「ちゃっかりしてるな。お嬢さま」
「どうもありがとう」
 
 お互い笑いながらも目が笑っていない二人に、一妃はもはや乾いた笑みを浮かべるしか出てこない。そこで、はたと気づく。
 
「…静、朝葉のことなんだけど」
 
 際限なく相手を痛めつける朝葉。とまることを知らない暴力。それは暴走にも近いものだった。
 
 そして、最後に逸らされた視線。それを思い出すと一妃の中で、何かがじわりと湧き上がる。淋しさのような痛み。
 
 
 
「怖いか?」
 
 
 
 問いかけは直球だった。いつの間にかうつむけていた顔を上げたその先にあった静の顔を見る。そこにはいつもの飄々とした軽い笑みは―――ない。
 
 あるのはしんとした強い目とどこか威圧感を持った笑み。綺もその静の様子に口を閉ざしている。
 
 一妃は知っている。こういう時の幼なじみに誤魔化しはきかない。
 
「アレが朝葉だ。狂犬といわれている、な」
「きょう…けん」
 
 一妃が衝撃を受けたように、どこか呆然と繰り返す。その様子を見据えながら静の声が淡々と響く。
 
「北桜だけじゃない、この辺りの他の地区の連中も知っている最凶の男のあだ名だ」
 
 あだ名。誰のだ。
 
 疑問を浮かべると同時に、脳裏に過ぎるのは―――。
 鋭い目と低い声。自分を支えるほどの強い腕。
 
 耳を静の声が素通りしていく。
 
「容赦もなく相手を叩き潰す手加減なんて知らない暴力。相手が泣こうが喚こうが、相手がいなくなるまで止まらない。それを見た連中が、あいつにつけたあだ名が、狂犬。―――それが黒崎朝葉だ」
 
 静が言い終わると、痛いほどの静寂が室内を支配する。グランドの方の騒がしさが今は、別の世界のようだ。
 
 綺は呆然とした一妃の様子に顔をしかめた。だから言わなかったのだ。一妃が相手に笑いかける顔が、他の人に向けるそれと違ったから。なのに知ってしまった。それもある意味、最悪の形で。
 
 静が目を逸らすことなく一妃を見る。彼女の目はどこかぼんやりとしている。
 
「一妃」
 
 幼なじみの目。昔から変わらずに、相手を真っ直ぐに見る目が自分の視線と合わさる。
 
「怖いか?」
 
 怖い。誰が。誰を。
 
 階段から落とされるところからの情景が一気に頭を過ぎった。そして、湧き上がったのは。
 
「…嫌だ」
「「は?」」
 
 一妃以外の二人の声が重なる。何がいやだってという視線と、どういうことだとういう訝しむ視線に頓着することなく一妃は続ける。
 
「何も言ってない」
 
 助けてくれた。それなのに。
 
 逸らされた視線が。あの去っていく背中が。
 
「ありがとうって言ってない」
 
 
 たまらなく、嫌だと思った。
 
 
 

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