27

 

 彼女の怒りは、一層強まっていた。
 
 どうしてという疑問。
 なぜ自分ではないのかという義憤。
 それを認めたくないというプライド。
 欲ししものはなんでも手に入った。それなのに。
 思い通りにならないという苛立ち。
 
 それは、一人の少女に向かっていった。―――『嫉妬』という形で。
 
 
*      *     *
 
 
 
 旧校舎の一室。そこから、空気を震わせるような音が廊下に聞こえる。
 それほど広くない室内は、どうやら準備室や倉庫代わりに使われていた部屋なのだろう。あ棚や机はそのままで、ほこりっぽい。
 
「どういうつもり?体育祭であんな風に動いて。ばれるじゃない」
 
 机を叩いた手をそのままに目の前にいる友人を睨み付ける。友人は顔色を悪くしている者もいれば、若干、ばつの悪そうな顔をしているものもいる。
 
 彼女たちは、体育祭で先走って一妃に怪我を追わせた生徒たちだった。その生徒の中からおずおずと口を開く女子生徒が一人。
 
「…ね、ねえ、やめようよ。やっぱり」
 
 か細くいったのは、その場にいる誰よりも大人しい雰囲気の少女だ。彼女を、机を叩いた少女が睨み付ける。
 
「じゃあ、そうしたら?明日からどうなってもいいならね」
 
 少女の言葉に、大人しい彼女は顔をうつむかせた。出来るわけがないのだ。彼女に逆らえば最後、なのだから。何をされるのか分からない。
 
「じゃあ、どうするの?憂」
 
 大人しい少女を睨んでいた彼女―――椋野憂(くらのゆう)は友人からの問いかけに、笑った。楽しげに、残酷に。
 
「大丈夫。体育祭のときみたいに、失敗しないようにするわ。もちろん、わたしたちだってバレないようにね」
 
 笑みを浮かべるその目は、嫉妬の色が走る。
 
「許すものですか。絶対に」
 
 
 
*      *      *
 
 
 
 一妃は傘を差して、帰路を急いでいた。雨足は強くなるばかりで、人通りはあまりない道は、酷く殺風景だ。
 
 ふと視線を巡らせれば、そこには小さな公園。脳裏に過ぎるのは、朝葉を初めて見たときのこと。アレから、数ヶ月たっているのが不思議なくらい鮮明に思い出すことができる。同時に、今日のことを思い出し、その顔が曇る。
 
 綺に何があったのか聞かれたが、言葉にできなかった。なんでもないというしかなかった。
 
 じゃりと靴音が耳に届く。はっとしてそちらを向いた彼女の目に映ったのは、嗜虐的に笑う男の顔と拳だった。
 
 
 傘が、舞う。
 
 地面に落ちた傘の音と雨の音。そして、骨と骨のぶつかる音―――はなく、男の驚いたような声。
 
 一妃がとっさに傘を投げつけたのだ。男の怒りに満ちたような獰猛な目が彼女を見る。とっさに、走り出し公園の背の低い柵を越えて、逃げる。
 
「待て!!」
 
 待つか!と胸中で怒鳴り、一妃は足が向くままに走る。制服が濡れようがどうでもよかった。追ってくる足音は一人だけ。駅の方へ向かうことなく、公園の中、奥は森林公園とつながっているほうへ向かう。そこへ行けば、姿も隠せる。
 
 茂みの中を走り、そこへ身を低くして隠れる。息を殺すとすぐそばを悪態をつきながら通り過ぎる男。
 
「くそっ!どこに行った!!」
 
 その背中を影から見送ると息をつく。そこでふと気がつく。追いかけてきた男の制服は所謂学ランだった。このあたりで学ランといえば、駅を挟んで北皇とは反対側の高校、南皇くらいだ。ということは。
 
「なんで、南皇?」
 
 呟き、首をかしげる。一妃自身は喧嘩など皆無なので、恨みを買うことはない。では―――。
 
 幼なじみを思い浮かべるが、彼も除外。このあたりを仕切っているチームの頂点である≪キング≫。彼の元には南皇の方の、しかも最大のチームもいる。しかも今回、相手は一人。ということは、個人的な恨み。
 
 個人的。
 
 その単語ですぐに思い浮かべた人物に一妃は顔をしかめる。有り得ない。彼にとって自分は、利用できる場所にいない。人質には役不足だろう。
 
 じゃあ、どうして。そこまで思考を巡らせていた、一妃は背中に迫る人物に気が付かなかった。
 
「ぐっ!」
 
 背中に衝撃を感じると共に、その場にうつぶせに倒される。背中には先程の男が乗っている。
 しまったと思うと同時に、男の手が制服のスカートにかかる。別の意味で背中に冷たいものが走る。
 ざっと血の気が引く。肌をすべるその手の感覚が気持ち悪い。
 
「悪いな。頼まれたもんで。まあ、あんたも楽しませてやるよ」
 
 いやらしい笑みを含んだ声。
 
 その言葉に一妃はむちゃくちゃに暴れた。足をばたつかせ、声もあげた。
 いやだ。触るな。変態。このバカヤロー。
 思いつく限りの罵詈雑言を叫ぶと男の顔を苛立ちと怒りに歪む。振り回していた両手をまとめられる。
 
「こっの、女!いい加減にしろ!」
 
 振り上げられる拳に、一妃はとっさに顔を背け、目を強く瞑った。その時、脳裏に見知った背中が弾けた。
 
 
 

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