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後日から朝葉と一妃が一緒に登下校し始めたことをきっかけに、北皇高校では噂がたった。
「一妃が静を振った」というものから「朝葉が一妃を奪った」または「実は内緒で付き合っていたのでは?」という憶測が飛び出し、最終的に「二人が付き合い始めた」で収集がついていた。
この噂があっという間に広まった。が、相変わらず、二人はそんな周りのことなど知らずに、以前と変わりのない日々を送っている。
一方、親友が危険人物の彼女という噂を立てられている美少女は。
「納得いかないわ」
と、目の前の飄々とした男に不満をぶつけていた。
彼らがいるのは、一年のしかも美少女とその親友の教室だ。自分の席に座った美少女は、グラウンドの方へ向けていた視線を男へと向ける。
「なにが?」
「その笑みをやめてもらいたいんだけど。噂を流した張本人のくせに」
綺の前の席に座り、したり顔で笑う男、静に忌々しげに綺が言う。
彼女の言う通り噂を流したのは静だ。それは最後の「二人は付き合っている」というものだけだったが、効果は抜群だった。
現に朝葉は放課後になると一妃と綺の教室に顔を出し、そのまま二人して帰っていく。流石に一妃が静たちのクラスまで来ることはないが、それでも朝葉が放課後、用事があると教室で待っている。それから帰っていた。そんな様子を周囲が見れば、そう思われるのは間違いないわけで。
当然、一妃に表立って危害を加える生徒は減った。主に女子生徒の、だが。
「自覚がないのは、本人たちだけね」
「まあ、そうだな。それもなんとかなるだろ」
「どうせ、また何か企んでるでしょ」
「人聞きが悪いな」
笑みを浮かべる静を綺がみる。その顔はいつもと変わらない。だから、こそ聞くべきだった。自分が聞いた『噂』について。
「聞いていい?南皇の男子生徒が、打撲やら骨折やらの重傷で病院へ運ばれたらしいけど、知ってる?」
「さあ?」
首をかしげながら「それがどうかしたか?」と聞く静に綺の目が細まる。
「散々、殴った挙句、ご丁寧にも粗大ごみの日に、ゴミ捨て場に放置していたらしいわよ」
「ほー、そりゃあ親切だな」
「………この二重人格め」
「こんなに素直なのに?」
薄く笑いながら言葉を流す静に、どこがよと内心で呟きながら綺はため息をついた。これ以上は無理だろう。何があっても、この男は話さない。
例え自分がやっていなくとも。
「まあ、いいわ。見当はついているんでしょ」
そういいながらかばんを持ち、席を立つ。
「帰るんなら送るけど?」
扉に向かっていた綺の背中に声をかける。こういうとき、静は一妃だろうが綺だろうが気を使う。変なヤツだと綺は思う。振り返りにやりと笑いながら言う。
「結構です。優秀な護衛がいますので」
「あー、『お前専属』のだろ」
「なっ!?」
静の含んだものの言い方に何を言っているのか察しがついて、綺の顔に血が上る。それをみて静が喉の奥で笑う。
「こっンの…っ!いつか女に背中を刺されてしまえ!」
「お嬢のいうセリフじゃないな」
「ばれなきゃいいのよ。…とりあえず、あの子に害がなきゃいいわ。じゃあね」
そういって扉を力任せに閉めていった少女の背中を見送った静は、浮かべていた笑みを消した。
無表情なその顔、目は獲物を狙うような鋭さと凍えるような冷たさを宿している。ここに幼なじみがいたら確実に一歩どころか教室の隅にまで後ずさっているだろう。自分の身を守るために。
その様子がありありと浮かんできて、かすかに笑みを零す。同時に、流石は嘉神のお嬢様だなと感心する。
「情報網は伊達じゃないか」
まあ、あの家は医者の知り合いも多いからなと呟きながら、椅子から腰を上げる。
静は太陽が沈み、夜へと移ろいゆく空を見ながら呟く。
「さーて、どうすっかな」
その軽い口調とは裏腹に、顔にはなんの感情も浮かんでいなかった。
* * *
なぜだろう。どうして、上手くいくはずだったのに。
失敗するなど、ありえないと思っていた。
誤算だったのだ。
取りあえず、あの男の方は大丈夫だろう。
口止めとはいかないが、話せばどうなるかということはその体に叩き込ませた。
逆らえばどうなるか、わかっているはずだ。口を割る心配はない。
それよりも、これからどうするか。
以前よりも、彼らは一緒にいるようになった。
噂も耳に入る。何より気に食わないのは。
その姿が視界に否応なしに入ることだ。
気に入らない。
どうして。なぜ。あんな子が。
自分が傍にいてもいいではないか。どうして。
なぜ、あの子なのだ。
疑問は膨れ上がり、それは嫉妬となり身を焦がすばかりだ。
そして、ふと視界に映ったものに歪んだ笑みを零した。
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