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「一妃。綺に礼を言っておけよ」
「え?」
 
 不良集団が捕まえられ、教室の外へと連れ去られていく中、静が一妃へと話しかけた。
 一妃は、なんで綺がというように首をかしげる。
 
「あいつが今回のことに気づいたんだよ。俺に話を持ってきたのもあいつ」
「へ?」
 
 どういうことだろうかと口を開きかけたところに、金きり声が響く。
 
「ちょっと!離して!!離しなさいよ!!わたしを誰だとおもっているの!?」
 
 視線をやると光介に片手を捻り上げられた椋野が声高に言い張っている。静がそれを見て、大仰に肩をすくめた。
 
「あー、面倒だなぁ。……本当に」
 
 最後の一言は嫌に低く、冷たく呟かれた。それに一妃は思わず一歩後ろへ下がる。
 
「なんで、逃げるんだ?カズ」
「い、いや。別に、なんとなく?」
 
 目を泳がせながら一妃はしどろもどろに言うと、静の笑みが深まる。それに彼女は、彼の怒り具合を知る。
 
 怒っている。あれは怒っている。綺が怒るときと同じくらいに怒っている。
 その場の温度が下がった気がするが、気のせいだと思いたい。
 
「わたしにこんなことして、ただで済むと思うの!?」
 
 椋野の金切り声は、むなしい響きを残すだけだった。
 そこにいるのは、一妃、静、朝葉と光介だけだ。不良集団はすでにこの場から退場している。静の言葉どおりに、速やかに。
 
「わかってないなぁ、憂ちゃん」
「あ、天城せん…ぱい」
 
 静が陽気に椋野を呼ぶ。それはおもちゃを貰った子供が遊び方を聞くような無邪気さを含んでいるが、冷たさも同居した声音だ。
 光介はもはや言葉がないらしく、呆れた表情を隠そうともせずに椋野を見下ろしている。ちなみに朝葉にいたっては、早くこの場から一妃を連れて帰りたいといった心境だった。
 
 椋野の声が震えているのは、いくら箱入りの、蝶よ花よと守られてきたお嬢様でも静の噂は耳に入る。
 
 『北桜』の不良集団を束ね、彼らから慕われ、畏怖されている冷酷で最強の≪キング≫である天城静の噂は。
 
「あんたがしようとしてたことは、全部、知っていたんだぜ?」
「…どういう、?」
 
 椋野が呆然と呟く。一妃もうっすらと分かってはいるが、情報は誰からもたらされたのかが疑問だった。
 
「まあ、校内一の美少女である社長令嬢のお陰だな」
 
 その言葉に椋野の顔に怒りが浮かぶ。
 
「あの、女!」
 
 怨嗟を含んだ声は、低く呟きとして彼らの耳に届く。静はうっすらと笑みを浮かべる。しかし、目には冷たい色が宿る。
 
「そこで、あんたが声をかけた問題児たちの中に、光介を紛れ込ませた。もちろん、ちゃーんとそれらしく見えるようにしてな」
「俺は武闘派じゃないんですがね。キングからのご指名だったので」
 
 そう嘯(うそぶ)く光介に一妃が視線をやる。
 
 確かに、先ほどまでいた問題児たちと変わらない格好をしている彼は、口調とギャップがありすぎる。おそらく、普段はもっと普通の生徒と変わらない姿なのだろう。
 静や光介の言葉に椋野が唇をかむ。悔しさと嫉妬と苛立ちが混ざったそれは、とても彼女を愛らしいとは見せなかった。
 
「なによ…。大体!」
 
 ぼそりと呟くときっと一妃をにらみつける。
 
「あなたが悪いのよ!!あなたさえ、いなければ!なんで、そこにあなたみたいな特別、綺麗でもないあなたがいるの!?わたしの方がっ」
 
 
 
「黙れ」
 
 
 
 椋野の絶叫にも似た声を遮ったのは、低い低い声。怒りを抑えた、それでいて醒めきった、鋭い刃を思わせる、声。
 
「虫唾走る」
 
 朝葉の侮蔑を含んだそれに椋野の顔色が蒼くなる。同時に顔を歪ませる。悲しげに。
 
「どうして…」
 
 椋野がうなだれる。
 彼女自身が想いを寄せていた相手からの拒絶は、そんな言葉になれていない彼女の心を折るには充分だった。
 
「許さない」
 
 椋野が先ほどとは変わった、声音で呟く。それは静かな憎悪に近い感情を含んだものだ。
 
「許さないわ!あなた!どうやって、近づいたのよ!?お金!?そうよね、それだけしかないものね!あなたにはお似合いだわ!!」
 
 瞬間、一妃の顔から表情が消える。
 
 嘲笑を浮かべながら、ヒステリックに叫ぶ椋野に≪キング≫と≪狂犬≫のあだ名を持つ、二人がその顔にはっきりと怒りと侮蔑を浮かべた瞬間。
 
 乾いた音が響く。
 
 全員が唖然とした。
 椋野が呆然と、目を見開いて自分の身に起こったことを把握できないかのように目を揺らす。
 彼女の前には、表情をなくした一妃がいた。彼女の手は空中で止まったまま。つまり、椋野をぶったのは一妃だ。
 
「撤回しろ」
「な、にを…。あ、あなた!わたしを殴ったわね!?」
「ああ、殴った。悪い?」
「な!?」
 
 一妃が、冷静にそれでいてその目に激烈な感情を浮かべ椋野と対峙する。それに静が軽く目を瞠り、瞬時に面白そうな笑みを浮かべる。朝葉は珍しいことに驚きを顔にだしていた。光介は傍観したほうがいいと判断したのだろう。そのまま一妃たちを見る。
 
「撤回しろっていったんだ」
「なんですって?本当のことをいって何が…」
 
 椋野の見下すような笑みが凍る。その先には先程よりも強い怒りを宿してる黒い双眸。
 
「朝葉がお金で傍にいるような奴に見えるのか?」
 
 その言葉に朝葉が、目を瞬く。
 
「なにを言っているの?あなた」
 
 
 困惑気味のお嬢様に一妃は、自分の中の何かが切れる音を聞いた。はっきりと。
 
 
「そんなもんで傍にいるようなバカな連中と一緒にするな!!人を舐めるのもいい加減にしろ、この頭の軽い世間知らずかつ七光りの箱入りお嬢様が!!」
 

 この後、静が盛大に噴出し、朝葉が目を剥き、光介が感心したのは言うまでもない。

 

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