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華が咲く。
艶やかで、鮮やかで、美しい、大輪の華。
その日は唐突にやって来た。
もう数日後には夏休みといったその日は、いつもの変わらない日に思えた。
そこに。
突然の訪問者。
ざわりと教室の中の空気が動く。そんな教室内の視線に構うことなく、昼食の準備をしていた一人の女子生徒を一人の男子生徒が有無を言わさず、連れて行った。
彼らが出て行った後、いつもの空気が流れる教室。が、少しばかり落ち着かない空気が混じっているのは仕方ないだろう。
連れて行かれた生徒の親友である美少女は、後からの『報告』を楽しみに昼食を広げるのだった。
廊下を突き進む背中を見ながら、現在進行形で連れて行かれている女子生徒こと舞咲一妃は、戸惑いながらも掴まれた手を離す気はなかった。
本当は。
本当は、望んでいた。いつかと。
父親と母親の話を聞いたときに。親友の話を聞くたびに。
いつかと。
親友の言った言葉が、耳の奥で響く。
―――自分以外の誰かがこの背中の傍にいるのを想像できるのか。そして、それをどう思うのか。
答えは出ている。
やがて、一つの教室のドアをくぐり、目の前の背中が自然に止まった。掴まれた手は緩められ、一妃は周りを見渡す。
新校舎の中の、特別教室だ。授業以外では入れないはずのだ。鍵はどうしたのだろうかと首をかしげた彼女の思考を読んだように、低い声が答えた。
「静から鍵をかりた」
「へ?え、ええ!?あ、そう、なんだ」
「………」
「………」
沈黙がいたいと思ったのは初めてだった。彼といるときは沈黙でさえも心地よかった。それに今更に気づく。
三日前に爆弾発言を、今目の前にいる相手にかまし、その後にたっぷり三日考えた。つまり、その間、彼女は彼に会ってないのだ。
たったの三日で、ここまで心境が変わるとは思わなかった。
取りあえず、この間のことを謝るべきか、いやそれもおかしいだろう。それをすると全部否定することになるし、だってそうじゃないわけだし。いやでもあの発言があったからこうなったわけでやっぱり悪いのってあたしだよね。そうだよね。その前に、綺に言われたことを言うべき?いや、本人に言ってどうするんだよ。ていうか、なんで一人突っ込みなんてしないといけないんだ、その前に誰かなんとか言ってくれ!
そんな風に思考の沼に陥っていた一妃は呼びかけられて、
「舞咲」
「ごめんなさい!!」
「………」
反射的に謝ってしまった。一妃の顔色がざっと変わる。ああ、もうどうしようどうすればいんだ。こんなの知らない。経験値なんて海の底の底、はるか彼方の未開の地にあって、ゼロどころかマイナスなんだぞ!あたしは!!と半ば意味未明な叫びを胸中であげながら、ヤケクソ気味、しかし必死で言葉を探す。
「…えっ、あ、いや、ちがっ!その!そうじゃなくて、その……」
「くっ」
くっ?
聞こえてきた声を怪訝に思い、顔をあげる。目の前の無表情だった彼が顔を背けて肩を揺らしている。これはもしかして、もしかすると。
「わ、笑わなくてもいいじゃん!!」
恥ずかしさと、自分の情けなさに顔を赤くしながら一妃が叫ぶ。が、相手の低い笑い声は依然として続いている。
一通り落ち着いた朝葉がわなわなと震える一妃を見る。あまりにも必死に言い募ろうとする彼女の表情はくるくる変わって面白いのだ。
一方、一妃は朝葉の見せた表情に思考が停止していた。見たこともない柔らかな表情だった。穏やかで、優しい表情だった。が、すぐにいつもの無愛想に戻る。今のは幻覚かと思わせるような一瞬のことだった。
「お前はなかったことにしたいのか?」
一瞬、何を言われているのかわからなかった一妃は、次の瞬間、顔を先ほどよりも真っ赤にした。火がでるとはまさにこのことかと思わせるほどに。そして、ぶんぶんと首を横に振る。
「じゃあ、どうしたいんだ」
「それをあたしに言えって……?」
おそるおそる聞いた一妃に口元に笑みを浮かべる朝葉。一妃は、ああ、やっぱり静の悪友だなこの人、たちが悪い。ていうか、いっそのこと気絶できたらいいのにと現実逃避気味なことを思う。
「舞咲」
「………」
呼ばれる自分の名前。そのたびに、心臓が破裂しそうだった。
「舞咲」
「………」
うつむいて目を瞑る。近づいてくる気配を感じる。髪に手が触れるのが分かった。びくんと体が震える。
「…一妃」
ああ、もうダメだと、心臓が、体が、自分の内側が叫ぶ。
「嫌なら突き放せ」
耳に囁く低い声と共に、視界を何かが覆った。一瞬のうちに離れていく相手の顔。残る感触は、ほんの柔らかなそれ。
何があったのか把握した瞬間、叫ぼうとした一妃のそれを再び覆う何か。
逃げようにもいつの間にか、がっちり掴まれた腰と頭の後ろに回った手。
息が続かない。心臓が、耳元にあるかのように鼓動を感じる。朝葉の触れている場所から熱が生まれているように、熱い。けれど、いやではない。
角度を変えて何度も落とされる唇に一妃の呼吸は途切れ途切れだ。崩れそうになる体を朝葉のシャツを掴んで耐える。
唇が離れると額に、眉間に、瞼に落とされるそれ。
一妃は髪を撫でられる心地よさに、目を閉じる。そして。小さく吐息と共に囁く。その言葉に、朝葉はかすかにのどの奥で笑い、再び彼女の唇に深く口付けた。
(……普通、順番が逆だと思う)(今更だろ)(ていうか、お昼休み)(さっき、チャイムなっていたな)(え!?じゅ、授業!)(サボればいい)(ちょ!どこ触ってんのさ!?っぎゃー!!)
完(2009/10/25)
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