わからない。
そう、胸中で呟く。心底、わからないのだ。
なぜ、自分のような女に関わろうと思うのか。
自分の容姿や性格は分っている。イヤというほどに。意地っ張りで頑固者。容姿も普通で普通すぎて人ごみの中に入ればどこにいるか分らなくなると言い切れるほどだ。
一方、ここ数週間に渡って、彼女と連絡をとったりバイト終わりに待ち伏せして、食事に連れ出したり、買い物に誘う男は街を歩けば女の一人や二人が振り返るどころではないほどの「いい男」。
わからない。
男の考えていることがわからないというのもある。どこか自分の反応を面白がっているというのも認める。だけど。
なぜ、ここまで自分に。とういか。
それ以上に、相手がどこだれなのか、何をしている人間なのかまったく知らないのだ。
そんな正体不明かつ不審人物にのこのこ着いていく自分ってどうなのよと思いながらも気付けば相手のペースに巻き込まれている。
「……わからん」
何を考えているのか。
というか、ここ最近、あの男と出かけたりなんてことが日常になってきているような気がしなくもない。
毒されてると思いながら夜も悶々と考えてしまって眠れない。だからなのか、最近、バイトの疲れが出て、体がだるいというのに眠れないのだ。
全部、あの男のせいだと本人が聞いたら、逆に喜びそうなことを千郷が考えていると隣から結衣が心配そうに見てきた。
「どうかしたの?」
「ううん。ちょっとね…」
バイトからの帰り道。シフトが重なった彼女たちは一緒に帰っていた。
ちなみに、千郷曰く「あの男」―――天城静は結衣が一緒に帰るときや他のバイトの人と帰るときなどは、見計らったかのように待ち構えたりしていない。
千郷は実はエスパーなのかと本気で考えていたりする。
「千郷ちゃん?」
結衣の声に、また考えているし、考えるなー考えるなーと自分に暗示をかけながら千郷は首を横に振り、
「ああ、なんでもいないよ。最近、疲れてるからさ。あははは」
と、隣から不審そうな視線を感じつつも笑って誤魔化した。そして、彼女は千郷の顔色が悪いことに気が付いたのか、益々、心配そうに顔をしかめた。
「本当に大丈夫?顔色、結構、悪いよ?」
「そうかな?夜だからじゃない?」
「でも…」
「大丈夫。食欲とかはちゃんとあるし」
笑いながら安心させるように結衣に言うと、彼女は表情を和らげる。
「なら、いいけど。無理はしないでね。ただでさえ、千郷ちゃんはバイトの時間多いんだし」
「うん。ありがとね」
結衣の言葉に千郷は仄かに笑う。
純粋に、心配してくれる彼女の存在は千郷にとっては癒しだ。
ああ、癒されると思いつつも、て、あたしは仕事に疲れたどこぞのオヤジかいと胸中で突っ込んだのは言うまでもない。
大学の講義が終わり、友人たちと別れて一人暮らしをしているアパートに向かって帰っていると、千郷は不意にめまいを感じた。
とっさに近くの大学の周囲を囲っている壁に手をついてそれをやりすごす。
「やっばいなぁ…これは」
思わずもれた苦笑にも似た自嘲。
保健室によって帰ろうかなとはっきりとし出した思考の中で考える。
めまいが治まり、深呼吸をして足を動かす。バイトのし過ぎかもしれないが、それでもやめるわけにはいかなかった。
今日と明日は丁度、シフトは入っていない。ゆっくり休もうと大学の門に向かって足を進める。
門を出て、すぐ傍の信号を渡るために歩いていく。その時、視界が揺れた。
「千郷!」
鋭く自分を呼ぶ、声。
他の誰かの悲鳴。
ぐるぐる回る世界。
迫ってくる細い黒いものを見て、千郷はまとまらない思考の中でそれが何かわかった。
ああ、自転車。このままだと、ぶつかるなぁ。
そんな呑気なことを心の中で呟く。
ざわめきが遠のく。現実が曖昧になっていく境界線。その灰色の世界の中で。
―――自分を抱きとめる温もりを感じた。