恩恵の狂想曲 10
白刃は呆然と立ち尽くした。
魔法士のマロイに魔力を放ち、部屋を全壊させ、そのまま逃げてきたのはいいが。
これは一体、何だ。
太陽はすでに西の山の向こうへ落ち、夜の闇が城内を埋めつくす中、魔法によって時間が来れば灯る明かりに照らされた廊下には何かが這っていったような後が続いていた。それを見ながら進んでいく。
「………っ」
異様な臭気が鼻をさす。でもそれは今、白刃にとっては問題じゃなかった。
這っていった後の所々に血が壁や廊下に飛んでいる。鎧の一部や砕けた剣も同様に転がっている。
それに込みあげてくる吐き気に逆らいながら白刃は走った。
脳裏に紫紺の双眸をもった青年が浮かんで消えた。
最初の爆発はオーディンの仕業だと白刃は確信していた。
刻印がある以上、彼は自分を見捨てられない。これが卑怯な考えだとしても白刃は、今はそれで助かったと思っている。
思い出すのは最初にあったときのこと。
怒りに燃えた紫紺。
向けられた殺気。
あのとき、あの場所で会ってなかったら。
それがオーディンでなかったら。
「無事でいてよ」
そう懇願するように呟いた瞬間、目の前に焔の壁が吹き上がった。
「うわっ、ちちちちっ!!」
手に降りかかってきた火の粉を払いながら、背後を振り向いて白刃はその顔を引きつらせた。
視線の先にいるのは――。
「逃がしはしませんよ。わたしの実験のために」
「実験?」
魔法士の男、マロイが、さっきよりも瞳には濃い狂気の色を宿し、青白い顔色で言いながら再び焔を放つ。そのとき聞こえた言葉に白刃は、眉を寄せる。と同時に自分自身の目の前に薄い半透明の膜――結界を展開させ、それを防ぐ。
「ああ、あなたはすばらしいですね。封じの魔法具をしていてもまだ、それだけの力が出せるなんて。すばらしい贄だ」
うっとりとほほを染めるマロイに、白刃の全身に恐怖とは違う種類の鳥肌がたつ。
この瞬間、生理的な嫌悪に眦をきつくした彼女は、青白い顔でうっとりと至福の笑みを浮かべ、目の前にいる魔法士の男の位置づけを決めた。
変態怪人狂人の三つ揃ったゾンビヤロー、と。
***
一方、オーディンは目の前にいる勇敢にも立ち向かってくる騎士たちにいい加減、うんざりしていた。
沸いて出てくる虫じゃあるまいし、しつこいことこの上ない。
オーディンは傭兵だ。
依頼され、お金をもらい、仕事をする。―――それがどんな汚い仕事であっても。
それは騎士たちの掲げる、忠義や正義、ましてや誇りなどとは無縁な世界。
ましてやオーディンは、今まで誰にも膝を付かず、誰にも与しない、誰にも束縛などされない――しようとしても出来ないほどの力を持った傭兵だった。
だからこの世界最大の大陸で、騎士たちや軍人、傭兵たちはオーディンに畏怖と尊敬、侮蔑と嘲笑を向ける。
孤高で絶対の強さを持った冷徹な存在として。
愚かで卑しい穢れた傭兵として。
そして、彼らはそんな彼をこう呼ぶ。
捕まえることなど出来ない、絶えず流れる者―――≪風の傭兵≫と。
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