王の【狗】 19


 けだるげな空気の漂う暗めの部屋の中で、オーディンは窓際の椅子に腰掛け、朝の活気にあふれている時刻でありながら、いまだ起ききらない春街の通りを見下ろしていた。

 目の前の丸いテーブルにはお酒のボトルとグラスがあり、一晩中、飲んでいたようだ。
 するりと彼の視界に雪のように白くしなやかな肌の細腕が映り、それが男の肩を抱く。
 
「……なんの用だ」
 
 冷たい響きの声はいつもと変わらない。
 細腕の持ち主である女は、気分を害したようだ。肩をだく腕に力をこめる。
 
「なんだ?」
「……いつもそうじゃない。昨日くらいはちゃんと相手をしてもよかったのに」
 
 すねたように、それでも笑いながら言う女は美しかった。
 腰まであるうねる金髪に蠱惑的な緑の瞳にふっくらとした赤い紅をさした唇は、毎夜男たちをとりこにするには十分すぎるほどの魅力にあふれていた。
 この目の前にいる男を除いては。
 
「……情報は?」
 
 女はため息をつき、残念がるように腕を離す。
 
「信じられない。こんな女が目の前にいるのに手出さないなんて。しかも、いつも来る理由が情報を買うためだけなんて」
「リスティー」
「はいはい。どうぞ」
 
 とがめるようなオーディンの声にリスティーと呼ばれた女が拗ねたように言いながら紙切れをオーディンに渡す。
 そのまま腰をあげ、剣を手にした男が部屋を出て行こうとしたのをリスティーが呼び止めた。
 
「オーディン。祝福の姫君の加護が得られて良かったわね」
 
 ドアノブにかけようとしていた手が止まる。肩越しに振り返ると、窓から差し込む朝日を背に女が笑っていた。
 
「あいつはそういうのじゃない」
「あら、あいつなんて呼んでるの」
 
 その揶揄に昨夜のアルザスと似たような響きを感じてオーディンの眉間にしわが寄った。
 どいつもこいつもと胸中で苦く呟く。
 
「冗談よ。そんな怖い顔しないで頂戴」
 
 仏頂面のまま身支度をするオーディンにリスティーが呆れ、諦めたような笑みを零した。
 
「まったく、そんなんじゃ嫌われるわよ」
「なんの話だ?」
「わからないのならいいわ。じゃあね。オーディン。またのおこしをお待ちしております」
 
 妖艶に微笑み頭を下げる女から視線をはずし、オーディンはその場を後にした。
 
 
 
***
 
 
 
「よう」
「なんで、ここにいる」
 
 オーディンは春街の出入り口である門に寄りかかり片手あげて挨拶をしてきたアルザスを怪訝そうに見やる。
 
「お前のお迎え」
「いらん」
「情報、もらったんだろう?」
 
 その言葉にオーディンの紫紺の目がアルザスをちらりと見るとにやりと笑った顔がそこにある。
 
「さすが≪傭兵王≫。ちゃんと情報は確認するんだな」
「お前の場合は特にな」
「信用ないなあ」
「自覚がなかったのか?」
 
 二人とも並び街の方へと向かっていく中、オーディンが鼻で笑うとアルザスはすっと表情を消す。
 
 その空色の瞳が細められる。
 
 
「≪束縛≫の契約」
 
 
 瞬間、足を止めたオーディンの周りの空気が凍りつき、ぴしりと張り詰める。
 
 幸い、周りに人はいない。ここに一般人がいたらオーディンのあまりの殺気や気配に押され、その場から動くことすらできなかっただろう。
 それほどの威圧感を彼は発していた。―――もちろん白刃が脱兎の如く、逃げ去る程の。
 
「落ち着け。どうもしない」
「………」
 
 アルザスの静かな抑揚のない声にふと威圧感が消え、オーディンが疲れたように息を吐き出す。
 
「……いつ気がついた」
「はじめは違和感があるなと思って探ったら、その左胸のあたりから、なーんか気配がねぇ。あれ、これって、もしかして…って感じかな」
「腐っても、第三階位の魔法士か。厄介だな」
「それは光栄だ」
 
 冗談めかして笑うアルザスの顔から、次の瞬間、笑みが消える。
 
「どうするんだ?」
「王都の≪魔女≫に会いに行く」
「じゃあ、解きに王城にくるんだな」
「ああ」
 
 どうして契約を結ぶことになったのかとアルザスは聞かなかった。代わりに口から出たのは別の言葉だ。
 
「守れよ」
 
 誰とは言わなかった。オーディンも聞かない。
 お互いそれを言わなくても理解していた。―――それの言葉が指しているのは誰なのか。
 

 
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