王の【狗】 20


  ヴェスヴィオに比べれば小さな街のそこは、市場も小規模だったが、なにもかもが珍しい白刃にとっては好奇心を刺激されるものに変わりはなかった。

「随分と賑やかだなぁ」
 
 のんびりと歩く白刃の脳裏に朝のことが過ぎった。
 
 
 
『へ?いいの?』
『大丈夫、大丈夫。ここには地方騎士の駐屯所があるし、非番の騎士も街にはいるからそんなに危険じゃない。ゆっくり見てくるといいさ』
 
 正直、アルザスのこの申し出は、即座にうなずきたいほどの誘惑に駆られた。が。
 旅の同行者の青年のことを考えると気が引けるのも事実だった。後でなにを言われるかわかったものではない。
 心配性ではなく自分に何かあればそれは即、青年の命に関わってくる。それを心配しているのだと分かっていたし、白刃自身も気をつけていた。
 
 思い出すのは。
 
 怒りに彩られた紫紺。
 はき捨てられた言葉。
 無意識に交わし、刻んでしまった契約の証。
 
 思い出すたびに痛みをかすかに感じるそれはつい一ヶ月前ほどのことでも、昨日のことのように彼女の脳裏に刻まれている。
 できるだけ迷惑はかけまいとしていた。気をつけて行動をしていた。その矢先に誘拐され結果的には無事だったものの、もしあのままヴェスヴィオで魔獣の贄にされていたらと思えば、ぞっとする。
 
 
 
 自分は人の命まで背負えるほど強くない。
 
 
 
 悩む白刃にアルザスは快活に笑った。
 
『じゃあ、取りあえず市場にいってみたら?路地に入らなかったら大丈夫だろうし、俺とオーディンは仕事で出るから、オーディンにはうまく言っとくよ』
 
 結局、アルザスに押し切られるように宿から放り出されたのだ。まあ、気分転換もあって白刃にとっては観光気分を味わえて面白い。
 
「考えても仕方ないか」
 
 そう呟き苦笑して、アルザスから貰ったお小遣いもあるし今だけは楽しんでおこうと思い目についた露天を覗き込むとすぐさま店主らしき女性が白刃に声をかけてきた。
 
 
 
 露店を覗き、店主らしき女性と楽しそうに話をする黒髪黒目の少女はいやでも目立つ。
 その少女を見ている人物がいた。
 身なりはその辺りにいる街の人間と変わりなく見えるが、その服の生地や人物の持つ雰囲気はいかにも貴族やそういった裕福な人間のもので、仕草もどことなく優雅だった。
 少女が露店を離れるとその人物もまた、彼女の後を追うようにその場所を離れた。
 
 
 
*** 
 
 
 
「つまり、元騎士が関わっているのか」
「そうらしい」
 
 ぎしと古びた椅子がなり、アルザスは窓の外を見る。
 二人がいるのは古びた、もはや使われなくなった家の二階だった。
 普段は浮浪者や孤児たちのたまり場なのか、今は廃墟としかいいようがないその家は、埃が溜まりかび臭く、くもの巣がいたるところに張ってある。
 
「張り込むのにもう少しまともな場所がなかったのか?」
「文句言うな」
「下りてもいいんだぞ?」
 
 笑みを浮かべて椅子に座り、窓の外、正確には離れた場所にある地方騎士の駐屯所を見張っているアルザスに告げる。
 アルザスは感情のこもらない目でオーディンを見返す。
 
「…元騎士は珍しいものがなんでも好きらしくてな。間諜からの情報によると、最近は≪世界の愛し子≫がほしいと今回の件に加担している仲間の騎士にいっていたそうだ」
 
 オーディンの紫紺の双眸に刃に似た光が走る。空気が瞬時に張り詰め、その瞳の色が揺らぐ。それがなんなのか分かっているアルザスはのどの奥で笑う。
 
「安心しろ。護衛の代わりになるような魔法なら教えた」
「……護衛?」
「ああ。簡単な風の魔法だ。大丈夫だろう」
「……」
 
 オーディンには魔法は使えない。彼が持っているものは魔力でも、ごくわずかな魔力しかなく力自体は使えない。使えるのは別のものだ。 
 だから白刃には教えられない。
 
 ただ、彼が身を守るすべとして教えたのが、基本的で一般的に知られている魔力の使い方だった。
 魔力の形、例えば水の玉を想像して、それを意識しながら魔力をため、形を成して放つといったようなものだった。
 
 実際に、白刃はそれで身を守ってきた。最もヴェスヴィオではかなり乱暴な方法をとっていたが。
 使いこなせてはいない。むしろ、使う以前の問題なのだ。知識も認識もしていない彼女の場合は。
 
 何事もなければいい。
 
 具体的な魔法を教わったのなら大丈夫だろうが、オーディンの胸中にはなんとも言えない漠然としたわだかまりが残っていた。
そんな黙りこんだオーディンの様子を感情を移さない空色の双眸が見ていた。
 

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