王の【狗】 23


  呼ばれている。

 そう、感じる。
 誰が。
 誰かが。
 眠りたい。
 このまま眠っていたい。
 それでも声が聞こえる。
 悲痛な。
 諦観と切ないほどの声が。
 
 これは。
 
 誰だろうと思った瞬間―――紫紺の双眸が彼女の中に閃いた。
 
 
 
「うわぁ!!また面倒ごとを起こしてごめんなさい!……って、あれ?」
 
 
 日々の条件反射の賜物か、嬉しいのか悲しいのかとにかく紫紺の双眸をもった青年に対する認識で謝りながら目を覚ました白刃は自分の置かれている状況に首をかしげた。
 
 先ほどまでは街にいたはずだ。
 今、彼女がいるのはほこりにまみれかび臭い、あらゆる場所が痛んだどこかの、放置されて長いだろうと分かる部屋だった。
 
「貴族の屋敷かな?」
 
 また怒られると思いながら立ち上がろうとして、派手に―――音をつけるとしたらビタンだろう―――床とご対面をした白刃は打った鼻をさすりながら身を起こす。
 そこではたと気づく。自分の手足は縄で縛られていることに。
 
「遅っ」
 
 むなしくも自分で突っ込み、痛いなあとぶつくさ言いながら魔力で縄を断ち切ろうとして、胃の中だけでなく全身をかき回されるような不快感が湧き上がり、うずくまる。
 
「ぐっ、うぇ」
 
 吐き気を感じながら、以前もこんなことがあったと思う。
ヴェスヴィオで魔獣の瘴気に当てられたときの感覚と酷く似ていたが、それだけではないことを彼女は理解していた。
 
街でのことが閃光のように脳裏に蘇る。
 吐き気をなんとか我慢して、力が抜けたようにぐったりと床に横たわったまま目を閉じた。いつもならここで行動を起こすのだが、今その余裕すら彼女にはない。
 
 叫び声が未だに耳にこびりついている。
 
 男たちの恐怖に染まった顔も。
 
 赤色が散る光景が忘れられない。
 
 その赤が、赤い髪に紫紺の双眸を持った青年の怒り顔に切り替わり彼女は思わず、目を開け瞬きをして口を歪めた。
 どうやら赤といえばあの青年が出てくるらしい。自分の思考回路に可笑しくて笑いながら両手で目元を覆う。
 それだけ身近になっているのかどうかわからないが、青年の怒った顔に救われた気がして、くすくす笑いながらも彼女は呟く。
 
「また怒られるかなぁ」
 
 
 ―――その白いほほを一筋、水滴がこぼれた。
 
 
 
***
 
 
 
 その男はこの街を出なかったことを、心の底から後悔した。
 恐怖と絶望に顔が血の気が引くのが分かる。
 
 王都にいる仲間との連絡が途絶えた。そのときは丁度、途中の街道で土砂崩れがあったために連絡が遅れているのだろうと高をくくっていたのだ。
 前回の仕事も上手くいき、今回も上手くいくと思い込んでいた男の頭は、そこで王都の仲間だけではなく組織全体が騎士たちによって捕縛され自らにも探索、捕縛の手が伸びているとは考えなかったのだろう。
 
 つなぎ役の男はこの町では有名な高利貸しだった。しかも、貸した金は何倍もの利子をつけ。返せないのなら一家郎党、路頭に迷い、若い娘がいた場合は人買いや娼館に売るといったどこにでもいるような悪党だった。
 
 そして、今日も男は自分の仕事を終えて、いつもの酒場で上機嫌に酒を飲んでいたのだ――――彼らが来るまでは。
 
「まだ、この街にいたとはな。呆れる」
「バカだからするんだろう」
「違いない」
 
 剣を突きつけている赤い髪に紫紺の青年を男は知っていた。大陸中、もしくは世界にその名は轟いている。
 普段ならバカにされたら相手に何倍もの報復を行うであろう男には、目の前の青年に刃向かうほど愚かではなかった。
 その紫紺の目に宿る峻烈な殺意がそうさせた。
 
「おい」
「ひっ」
「オーディン。怖がらせるな」
「お前よりはマシだ」
「酷いな」
 
 オーディンの低い声に男は大げさにびくつきながら息をのむ。それを見てアルザスがたしなめるがオーディンに言い返され、否定せずに男に視線をやる。
 そのしんと冷えた感情の映さない空色の瞳。
 
「さあ、吐いてもらおうか。……手間をかけさせるなよ?」
 
 アルザスは細めた空色の双眸と口元に浮かぶ笑みを男に向け、オーディンが更に剣を首元へと食い込ませた瞬間、男は蒼白になり首がもげるかというほどに縦に振ったのだった。
 

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