扉と鍵 68


 

「お前はバカだ」
 
 再び同じことを口にするオーディンに、白刃は目を伏せた。こんな彼をみたのは初めてだ。いつも傲岸不遜にふんぞりかえっているような人だというのに。
 
「ごめんなさい」
 
 無茶をした自覚あるだけ、うなだれるような白刃から顔をオーディンは、後ろに回した手を彼女の頬へと伸ばし。
 
「いひゃいいひゃい、はひょひへほ」
「ほう、よく伸びるな」
「うひゃい!」
 
 抵抗する彼女を見ながら彼は、胸中で呆れたような安堵したような複雑な気分を抱く。
 
 あの事件は白刃のせいではい。
 彼女が狙われたのは、事実だ。契約をしていたからとも言える。が、オーディンが剣をとったのは自分の意思だ。彼自身が剣を握ったのだ。そうなるように仕組まれていたとしても。
 
 それでも白刃には、そう思えなかったのだろう。彼女と契約を結んでいなければ―――と。その結果がこれなのだが。
 
「うー、痛い」
 
 オーディンが手を離してやると、抓られた部分を撫でながら白刃が涙目になりながら、ぶつぶつと文句をこぼす。
 
「あのさ、オーディン」
「なんだ」
「や…その……、怒って、る?」
 
 恐る恐ると白刃がオーディンを見る。彼女の問い彼は心底呆れたように、のたまった。
 
「お前は阿呆か」
 
 と。
 
 何を言われたのかわからなかった。
 沈黙の間に、窓の外は昼の穏やかな日差しが降り注ぎ、小鳥の鳴き声が平和の象徴のように聞こえる。ああ、昼間なんだなと呑気に頭の隅で思い。
 
 一瞬の後。
 
「あ、あほう!?」
「ああ、阿呆のついでにバカだ」
「ちょっ、なっ、それ酷くない!?」
 
 考えて考えて、悩んでその上でだした結論に。こんなに必死にやったのに。じわりと視界が歪むのに、白刃は顔を伏せた。
 
 オーディンはあの後、契約のことをヴィヴィラードから聞いた。
 
 契約は彼女の護るためのものであったと。
 時期が来れば、それが解かれることも。
 それも白刃も知っていると。
 
 なのに、なぜ解呪をしようとしたのか。
 
 理由を聞いてみれば、なんのその。呆れてものが言えないようなものだった。
 
「おい。爆弾娘」
「なに」
 
 涙声にオーディンは、息を吐く。それはため息ではなかったが、白刃にはそう感じた。ああ、呆れてる。
 頬に再びぬくもり。促されるように上げれば、再び間近に彼の顔がある。胸中で悲鳴を上げた。が、その紫紺の目に見とれた。目を逸らすことは許さないというそれ。
 
「よく聞け。あの変人な王には今回、確かに利用された。が、俺が自分で剣をとった。誰かが命令したわけでもなく、だ」
「でもっ」
 
 白刃が反論しようとすると強い口調でオーディンがさえぎる。
 
「大体、あの程度で誰が死ぬか。それに、お前がつけた傷か?まあ、お前みたいなお人好しの警戒心のない奴なんぞにつけられることは一生ないが」
 
 今、何気に人のことバカにしたのかと白刃が眉間にしわを寄せる間にも彼は続ける。
 
「いいか。あれは変人の王がやったことだ。大体、あんなチンケな怪我で死ぬか。バカが」
 
 顔を固定していた手が頬から離れ、白刃は目を瞬く。ようは、お前のせいじゃないといいたいのだろうか。
 
「契約は解けていくんだろうが」
「うん」
「なら別にいいだろうが」
 
 いいだろうがって…。いいの、だろうか。
 
 だって、オーディンは。
 
 瞬間、自分があの過去の光景の中で何を願ったのかが脳裏を過ぎって複雑な心境になった。白刃の疑問と困惑した顔にオーディンが片眉をあげる。器用だ。
 
「なんだ、その間抜け面は」
「間抜け面!?さっきから酷くない!?ていうか、その、本当にいいの?この先も一緒にいることになるけど」
 
 契約の中には距離の制限もある。二人が離れてしまえば、契約者は必然的に契約主の傍へと転移させられる。離れれば離れた分だけ苦痛を伴って、だ。
 
 最初の頃、白刃が他人によって無理矢理、彼と離された時にその契約が施行され彼は多大な迷惑をこうむったのだ。
 
「………あの時と同じようになれと?」
「いやそのあの時は、わざとじゃなくて…っ!すみませんでしたごめんなさいもう二度とやらかしません!」
 
 険をはらんだ声とその背中に暗雲を背負ったオーディンに白刃が一息に謝る。
 
「『絶対に離れない』んだろう?」
 
 ニヒルに笑みを浮かべるオーディン。白刃はきょとんとして、次の瞬間には何をいっているのか分かったのか、すぐさま顔を真っ赤にする。
 
「あ、あれは!―――っバカ!」
 
 赤い顔で怒鳴り、ベッドに顔をうずめる白刃。過去の忘れたい言葉だ。自分をなぐってやりたい。オーディンはくつくつと笑いながら、その頭へと手を伸ばす。
 
「付いてくるんだろう?」
「えーえー!行きますよ!ついて行くよ!!行かせていただきます!!ああ、もう最悪だ」
 
 がばりと顔を起こし、やけ気味に声をあげる彼女の髪を一房、梳くように手に取る。それを目で追う白刃の前で彼はその顔に笑みを浮かべた。
 
 誰もが見とれるような笑みを。
 
「それは良かったな」
 
 そう髪に口付ける。白刃は、もはや声もなく赤い顔をさらに首まで赤くし、ぱくぱくとあえぐ。良くない良くないけど今のはなんだ嫌がらせか。そう胸中で叫び―――疲れたようにベッドに突っ伏した。
 
 
 
 一人、さんざん振り回されたことに対する報復に、大変、満足した青年がいたとかいなかったとか。
 

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